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もんもん日記

ここではもんもん博士の日々のエピソードや思いついたことなどを日記でご紹介します。
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令和2年2月25日(火)

 久しぶりの2連休であった。天気もよかった。土曜日は午前中外来をしているので、3連休にはならない。その分、木曜日を休診にしている。患者さんからはゆっくり休んだと思われている。しかし、この2連休も書類書きでゆっくりとはできなかった。もちろん朝から晩までびっしりと書いていたわけでない。やる気がなかなか起こらなくて、YouTubeなどに浮気していた。借りた宅配ビデオも見ていた。最近見た映画では、「ギフテッド」やジャッキー・チェンが主演している「ザ・フォーリナー」が面白かった。この映画では、アイルランドの武装闘争をしたIRA(アイルランド共和国軍)のことが出てくる。昔は、ロックバンドのホークウィンドがこのIRAのターゲットになっていたことを思い出した。
 月末が近づくと、生活保護患者の要否意見書が送られてくる。今月は7枚あった。書くのにそれほど時間はかからない。しかし、山のように積まれたカルテを見ているとゲンナリしてくる。今回は、労災の症状固定の意見書を2通書かなければならなかった。いつもの労災判定とは違って、資料を読んで自分で最初から書かなければならない。これも、とんでもない労力がいるわけではない。しかし、久しぶりに書くとなると、それなりに時間がかかる。確定申告の書類も整理しなければならなかった。他にも、最近労災申請をした私の患者さんがいて、この回答書も思ったより時間がかかった。2連休があったというのに、新規の自立支援医療の診断書2通と新規の精神障害障害者福祉手帳の診断書1通、継続の障害年金の診断書3通が書き切れなかった。
 最近は、年度末が近づいているということで、労災認定の審査を頼まれることが多い。明日も私の医院で簡単な検討会がある。金曜日は、東山区の介護認定審査会がある。予め、30例の症例を読んでいかなければならない。年をとってきて、締め切りの書類に追われている人生が段々といやになってきた。

週刊スパ ・この本は先週の火曜日に出た。私は毎週火曜日にコンビニで買い、実際に読むのは水曜日の夜である。きょうも往診の時に、今週号を買った。どうしてこの雑誌を今回取り上げるかというと、面白い記事が2つあったからである。まず、連載マンガの「AV女優ちゃん 峰なゆか」である。タイトルには、弱い者たちの夕暮れとついている。いつもは、さっと目を通すぐらいであった。ところが、今回の内容は人間の本質を深くついていて、強く印象に残った。AV女優相手のサイン会のことが書かれている。DVD3枚買うと、チェキでAV女優とのツーショットを撮ってもらうことができる。
 サイン会は午前と午後の二部に分かれている。午後の部は、時間を経てオタクたちの体臭・口臭がパワーアップしている。風呂にはいるとか歯を磨くという常識を身につけなかった不幸な社会的弱者である。この時に足の悪い身体障害者の人がいた。誰も席を譲ろうとしない。本人が遠くにいるときに歩き方をからかって、みんなで大笑いしている。社会的弱者はさらなる弱者だと認識した人間を見つけては叩く。自分より弱いと思える人間なんて滅多にお目にかからないので、ここぞとばかり嬉々として、と書いている。
 この身体障害者のサイン会の順番がまわってきた時である。「ブスでもおっぱいがでかいってだけで金をもらえていい仕事だねぇ」、「ねぇねぇ、こんな仕事をしてるって親御さんは知ってるの?」、「せっかく育ててもらったのに人前でちんぽしゃぶって申し訳ないと思わないのぉ?」といきなり説教してくる。さらなる弱者はさらなる弱者だと認識した人間を見つけては叩く(略) わざわざ会いに行ってまでも、と書いている。
 2つめは、最後のページの「佐藤優のインテリジェンス人生相談」である。北方領土というと、大多数の国民は択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島を考える。しかし、51年のサンフランシスコ平和条約で、日本は択捉島、国後島を含む千島列島を放棄している。日本政府が「四島一括返還」と言い出したのは、1975年である。当時共産主義国であるソ連と接近しないことが日本の国益に適うと政府が考えていたので、ソ連が絶対に応じない四島一括返還という要求を掲げたという。こんな話は今回初めて知った。

今週のトピックス 92 (200225)

吉野次郎「サイバーアンダーグラウンド ネットの闇に巣喰う人々」 (日経BP)
吉野次郎「サイバーアンダーグラウンド ネットの闇に巣喰う人々」 (日経BP)

 この本は、先ほど紹介した週刊スパのブック・レビューに載っていた本である。同時並行読みの本が何冊かある。面白そうだったので、アマゾンで注文して、最優先で読み終えた。今年1月21日に発売したばかりの本である。全部内容を紹介するのもためらわれるので、私の興味をひいた部分を一部紹介する。いつもアマゾンの写真を使わさせてもらっている。帯の写真がない時には、自分で本を撮影してアップロードする時もある。この時に、評価だけ(星の数だけ)ちらっと見える。早くこの日記を書き上げないといけないので、評価の内容を読んでいる暇はない。星の数だけでは、高い評価であった。興味のある人は、是非ともこの本を手に取って読んで下さい。
 この類いの本は山ほど読んできた。私はいつも書いているように、基本的にパソコンもスマホもあまり信用していない。この本では、最初に未成年者のハッカーによるランサム(身代金)ウエアというウィルスを使った企業に対するサイバー攻撃について詳しく書いている。標的となる企業が守りを固めていても、セキュリティが弱い取引先企業を突破口とすれば、たやすく攻撃できてしまうケースが多い。現在、実際の病であるコロナウィルスの感染が大問題となっている。いくらマスクをして、手などを消毒しても、感染は防げないようである。マルウェアをコンピュータ・ウィルスと名付けたのも、つくづくその本質を言い表していると改めて感心した。
 次に、アマゾンや食べログの「やらせレビュー」である。食べログの集計方法が変わって、店の総合得点が下がり、予約がピタリと止まってしまったレストランもある。死活問題に繋がり、禁断のやらせに手を出す飲食店も多くなる。代行業者を使って高い評価を書き込んでもらうだけではなく、中には同業者に嫌がらせで、一つ星の低評価を付けさせたりする。削除代行業者の中には、レビュアーに口止め料を払って低評価の投稿を撤回させる業者がいる。そうした業者からの金銭目当てに、あえて低評価のレビューを書き込む図太い消費者もいるという。
 オレオレ詐欺ネット詐欺についても、詳しく解説している。振り込め詐欺の2018年(平成30年)の被害総額は356億円に達した。5年続けて350億円を超えている。他の国の犯罪を揶揄して、ドロボー国家のようにいう自称愛国者の人もいる。しかし、わが国でも高齢者を中心にこれだけの人がだまし取られているのである。ネット詐欺の勢いが衰えないのは、オレオレ詐欺と同様の摘発逃れの仕組みが出来上がっているからである。トカゲのしっぽ切りの機能を多段階に設けているので、金に困っている寄せ集めの誰もが、上部の組織のことを知らない。疑わしい組織でも、確たる証拠がつかめないのである。
 北朝鮮のサイバー部隊のことも書いている。著者は、北朝鮮でコンピューター科学を教えていたという脱北者に韓国のソウルでインタビューしている。そして、米国のサイバーセキュリティ会社の人物とも会い、北朝鮮のサイバー部隊について聞いている。著者は両者からの情報をすりあわせ、一致することと、一致しないことも書いている。国連の専門家パネルは、19年9月、北朝鮮のサイバー部隊がこれまで最大20億ドル(約2200億円)奪ったとする推定する報告書を公表した。
 バングラデシュ中央銀行やクウェートの金融機関、韓国の仮想通貨交換会社などが被害にあっている。「ラザウス」と呼ぶハッカー集団が多くを実行している。先の脱北者は北朝鮮の180部隊の中に設置されたグループの1つに間違いないという。北朝鮮のサイバー部隊の任務は二つあり、非友好国の通信、交通、電力などのインフラにシステム障害を引き起こす破壊工作と、日本、米国、韓国などの要人の末端を乗っ取るなどの情報を搾取する諜報活動である。朝鮮エキスポが表向きはソフト開発を手がけ、フロント企業を使って日本の企業からも受注している。その一方でサイバー攻撃に手を染め、14年にソニー・ピクチャーズのシステムを破壊して、盗み出した情報をネットにさらしている。
 この本で1番面白かったのは著者のインタビューで出てくる英国の元諜報員の話である。使用する監視技術と監視する対象は時代とともに変遷している。相手の弱みにつけ込んで内通者にした者が窮地に陥っても(裏切りがバレても)、助け出すことはないという。所詮金銭で情報を売買していた間柄だと、割り切っていたという。当初は、ウィルスの感染源としてよく活用したのがアダルトサイトである。テロ組織の幹部が頻繁に訪れているアダルトサイトを突き止め、閲覧するとウィルスに感染する仕掛けを施した。諜報活動をしていて、世の男性がいかにアダルトサイトに執着しているのかがよくわかったという。ウィルスの感染に成功すると、パソコンの中身がまる見えになる。この方法で、北アイルランドでは14回中13回のテロを防ぐことに成功している。
 日本が警戒しなければならない国家は、中国、北朝鮮、ロシア、イランが運用するサイバー部隊だという。諜報の世界では、友好国ですら用心しなければならない。内部告発サイト「ウィキリークス」によれば、アメリカ国家安全保障局(NSA)は日本の内閣官房や財務省、日本銀行の通話を盗聴し、通商政策などを探っている。産業界でも、三菱グループや三井グループのエネルギー部門を標的にしているとされている。著者が、最も注意すべき西側の国を質問している。答えはフランスである。仏対外治安総局(DGSE)のサイバー部隊は、自国産業を助けるために、外国企業の知財を平気で盗む。中国のサイバー部隊のように節操がないことから、フランスは「西側の中国」と揶揄されているという。著者が、サイバー空間に真の味方はいないと書いている。
 他にも、ロシアの海外向け国営テレビ局のことや、フェイクニュース、ウィグルの監視社会や日本の商業施設の監視システムなど興味深いことが山ほど書かれている。ネット犯罪の摘発で有名な京都府警も出てくる。読めば読むほど、この分野でも日本は世界にかなりの遅れをとっているのではないかと思った。

 

令和2年2月18日(火)

 この前の土曜日は、いつもお世話になっている精神科病院の年に1度の懇親会があった。最初に、今年の3月で定年退職する京都第二赤十字病院の精神科部長がこれまでの診療について詳しく解説してくれた。日赤病院の歴史についても、私の知らないことばかりであった。そのときにもらったレジメが見つからなくて、ここで詳しいことは紹介できない。
 講演会の後は、各テーブルでの会食である。ふだんあまりしゃべる機会のない女医さんとも話をした。会場は京都市内の有名なホテルである。料理は洋食であった。この前の和食といい、今回の洋食といい、高級な料理を出してもらっているが、どこが美味しいのかよくわからなかった。寿司やウナギや天ぷらなどは、美味しいと思う。ところが、懐石料理のようなコースになるとだめである。
 帰りは三条京阪から東福寺まで電車で帰ってきた。この時に、三条京阪の駅で、京都市内で開業している女医さんと一緒になった。テーブル席が離れていたので、帰るときに軽く挨拶したぐらいであった。この女医さんとは数年ぶりに顔を合わせた。娘さんがどうしているのかと聞いたら、関西圏の私立医学部に合格したばかりだという。テーブル席の開業医の女医さんも、子どもが関西圏の私立医学部に行っていると話していた。子どもが私立医学部に行っている人が多くて、びっくりした。同じテーブルの少し後輩の開業している先生は、2人の子どもが私立医学部を卒業している。医者の子どもが医者になるというのも、けっこう当たっていると思った。  

今週のトピックス 91 (200218)

烏賀陽弘道「世界標準の戦闘と平和」 (扶桑社)後半
烏賀陽弘道「世界標準の戦闘と平和」 (扶桑社)後半

 さて、先週の続きである。前回は第一章から第三章まで簡単に紹介した。書き切れないことが山ほどあり、是非ともこの本を手に取って読んで下さい。第四章は、「ケーススタディ 尖閣諸島」である。まず、国際セキュリティ問題を考えるときに必要な思考を箇条書きで12を挙げている。最初に、リスクを見積もる時に、自国政府の公式声明や公式文書、発表だけに依存してはならないである。ここでは、尖閣諸島における中国の戦略的動機について解説している。
 南シナ海は中国にとって中東からの石油輸送の動脈である。現在の中国は、「経済」「国際セキュリティ」「体制維持」が微妙なバランスの上で成り立っている。石油輸送シーレーンの安全に神経質になるのは自然で、サンゴ礁の島を勝手に埋め立てたり、滑走路などを作るのには中国側の戦略的動機がある。自国沿岸でしか行動できなかった海軍が外洋に出るようになることを軍事では、「Brown Water NavyからBlue Water Navyへの転換」と言う。
 アメリカはシーパワーの国なので、カリブ海は戦略的に重要な勢力圏である。敵対的な国が誕生すると、神経質に介入してそれを潰そうとする。社会主義国キューバのカストロ政権の転覆を謀り、ピッグス湾侵攻や経済封鎖などありとあらゆることをしている。パナマを支配していたノリエガ大将は反米的であると名指しされると、ブッシュ(父)政権時代にアメリカの地上軍が侵攻し、強制的に排除している。パナマにとっては露骨な主権の侵害である。この本には書いていないが、今はアメリカにとって政権交代の対象国はベネズエラである。
 著者によると、「アメリカにとってのカリブ海」「中国にとっての南シナ海」は地政学的相似形を描くという。中国はベトナムやフィリピンに侵攻して政府を転覆したりしていない分、アメリカよりまだ穏健なレベルに留まっていると述べている。ここまでは、南シナ海のことである。尖閣諸島は台湾をはさんだ反対側の東シナ海にある。南シナ海で中国が横暴だからといって、東シナ海でも同じようになるとは限らない。地政学的に言うと、場所が変われば戦略的な価値も変わるからである。
 ここでは、海上保安庁がネットで公開している「尖閣諸島周辺海域における中国船等の動向とわが国の対処」について解説している。図だけをみていると、2012年9月以降、中国船が日本領土に日常的に侵入を繰り返し、尖閣諸島の海域は無法地帯になっている印象を受ける。外務省のウェブサイトでも、大変なクライシスが来ているかのような記述がなされている。しかし、前回の日記でも書いたように、接続水域に中国船がはいっても、ただちに「日本の領土の侵害」「侵略行為」とは言えない。接続水域は沿岸から24カイリ(約44.4km)で、関税や入国手続きを受けるために待機する「待合室」のようなものである。領海内であっても、船舶には「無害通航」が認められている。武力による威嚇・武力行使から始まって、重大な汚染行為や調査活動、通信系施設への妨害などの敵対行為をしなければ、自由航行が認められている。
 1年間に日本の港に入港する外航船舶の数は10万4千隻である(2016年)。日本の領海に入るのに、無害通航権を持っているので、いちいち日本の許可をとる必要ない。先ほどの海上保安庁の統計から、尖閣諸島の接続水域にいた中国船の数が124隻に達する2012年11月(9月に日本が尖閣諸島の国有化をして、反日デモが暴徒化した)と最大の146隻が接続水域にはいった2016年8月の表を比べて、著者は次のような結論を出している。中国船は月のうち数日を除いて毎日「接続水域」にやってくる。しかしここは領海ではないので違法性はない。領海だけでも東京都と神奈川県ぐらいの広さがあり、接続水域を合わせると四国の半分ぐらいになる。月の数日、そのうちの何隻かが領海の中にはいる。無害通航を破ったという記述はない。これだけ広い面積に最大15隻の中国船がいることを、「軍事的緊張」「侵略行為」と呼んでいるのである。
 英国ロンドンにある民間研究機関「国際戦略問題研究所」が年に1回発行している「ミリタリー・バランス」がある。世界の国際セキュリティ政策の関係者の間でスタンダードになっている本である。2017年版で中国の戦略をどう分析しているかである。「南シナ海に人口島を建設したり、尖閣諸島に五千の小型船を送り込んだりするのも、むき出しの敵対行為を取ることなく、そこが領土であることを強く主張するためである」と書かれている。「軍」と「民」の区別がますます曖昧になっている。なぜ、中国船が国際法を守り、尖閣諸島の領海に時折入ってみせるかである。中国政府は、「尖閣は中国の領土」という意思表示(シグナリング)のため船舶を派遣しており、今のところ事を荒立てるつもりがないということである。
 2012年〜16年の5年間のあいだ海保が検挙した外国漁船の数は、排他的経済水域を含め52隻しかない。領海に入った漁船は5年間でわずか9隻に過ぎない。中国6隻、台湾2隻、韓国1隻である。2010年に、中国漁船が尖閣諸島近海付近で海上保安庁の船に衝突した事件が起きた。その同じ年に約9200隻の中国漁船が違法に台湾に押し寄せ、約2900隻が拿捕されている。韓国でも、2015年に毎日40〜50隻の中国漁船が違法に韓国の水域に侵入していると伝えられている。同じ年に尖閣諸島周辺では年に70隻である。中国の漁船と海上保安庁の船が衝突した2010年から11年の数字では、1年間に500隻近くが韓国に拿捕されている。韓国海洋警察と中国漁船との間の殺傷事件も絶えない。「台湾〜日本〜韓国」という国境をまたいだビッグピクチャで眺めると、日本は1人の死者も出さず、漁船が海保船に1度衝突しただけで、国を上げて大騒ぎなのである。
 どうしてこんなことが起こるのかというと、外からのリスクを過大に評価し、予算・人員を減らしたくないといいう官僚組織の自己保存本能があるからである。また、過小なリスク見積もりが外れると世論の非難を浴びる。著者は指摘していないが、人事権を官邸に握られた官僚の、韓国・中国嫌いの安倍首相に対する忖度?(または指示?)もあるのではないかと思っている。ここでは、日本の記者クラブ系メディアの悪癖も指摘している。産経新聞では、2019年5月と6月の記事で、接続水域に中国船がいることを、国際法違反あるいは領海侵犯のような記述をしている。
 同紙の同年の6月のオピニオンでは、櫻井よしこが「美しき勁き国へ 改憲で令和を乗り越えよ」が1面に掲載された。ここで一部を紹介すると、「中国海警局の大型艦船4隻が52日間、尖閣諸島の接続水域に侵入中だ。(正確には入域) 沖縄県石垣市の市議は、4隻は日々、24時間尖閣の接続水域を航行し、たびたび領海に侵入する。その危機を全国民が共有しなければならないと警告する」である。そして結論は、「日本を取り巻く状況を見れば、責めも守りも強化しなければならない。憲法改正が急がれるゆえんだ」と日本国憲法の改正を主張している。沖縄本島と宮古島の間は公海であるのに、公海でないというフェイクニュースのことも指摘している。ここでは、過剰にリスクを見積もる危険性についても具体的な例も挙げている。「イラクに大量破壊兵器がある」と信じたアメリカは結果的にはなかったイラクへの軍事侵攻を実施している。
 2010年の中国の漁船と海保船の衝突事故の前後は、尖閣諸島の領海・接続水域に入った中国公船はほとんどいない。ゼロから多くて月2隻である。自国民が日本政府に逮捕拘留されるという事態にもかかわらず、ずっとゼロが続く。その状態が激変するのは、私有地であった尖閣諸島を2012年9月に日本政府がその土地を買い上げ「国有化」して以降である。日本が国有化して自分の領土と明言したので、中国も黙っているわけにはいかなくなった。当時北京駐在大使だった丹羽宇一郎は「国有化は時期尚早だと東京(外務省)に警告した」と証言している。ところが、結果的には当時の民主党・野田内閣には伝わっていなかったようである。
 尖閣をめぐる現在の日中関係の事実についても触れている。2014年11月の段階で、安倍首相と習近平主席は尖閣諸島の帰属を「玉虫色」としたまま合意している。それまで、日本政府は「尖閣諸島に領有問題は存在しない」という見解を通していたが、「緊張状態について異なる見解を有していると認識」と軟化している。また、尖閣諸島周辺の排他的経済水域(EEZ)では、日中両国の漁船が操業することを認め合っている。
 尖閣諸島は、日本と台湾の接点にある。その東隣が沖縄の米軍基地が密集している。大連、上海、広州などの中国の主だった貿易港に出入りする船は、南シナ海または日本列島、沖縄諸島、台湾、フィリピンという島の隙間を縫って往来する。こうした領域の制海権を握っているのはアメリカである。中国の海軍力はアメリカの海軍力には及ばない。中国にとって最大の懸念材料は、アメリカが自分たちの戦略的な生命線である海をブロックしないかである。
 尖閣諸島は沖縄〜台湾〜中国本土を結ぶ三角形のど真ん中である。1972年に沖縄が返還されて以降、米軍は日米地位協定で、尖閣諸島を射撃場として使用できる協定を結んでいる。中国にとっては、台湾の真横でいつ米軍が展開するかわからないのである。米軍が突然ここで行動を起こす可能性が否定できないので、中国が疑心暗鬼を生むリスク要因となっている。中国が尖閣に上陸して占領しない理由もこのことがあるからである。米軍の演習場をいきなり軍事占領したら、アメリカを紛争当事国に巻き込んでしまう。接続水域に中国海警船がいるのは、アメリカの船が軍事演習や基地化しないか監視し、自国領土であることの主張をシグナリングしているのである。著者は、尖閣諸島を日本が国有化したときには、中国は「軍事基地化か?」とあわてたのではないかと推測している。
 さて、第五章は、「普遍的な見方」である。ある国の公式発表や声明はその国の「建前」に過ぎない。国が言葉にできない意思を行動で表現することを「シグナリング」呼ぶ。シグナリングには、「やっていること」と「できるのに、やっていないこと」の2つがある。例えば、「尖閣諸島は中国の領土だと主張しているので、中国の国内海上警察が巡回する」=やっていること。「しかし、上陸して占領したり日本の海上保安庁に発砲したりという強硬なオプションは実行していない」=できるのにやっていないことである。今のところ軍事衝突はしません。したくないというシグナルと解釈する。
 2013年にオバマ政権の国務長官と国防長官が来日した。安倍首相は、その少し前に米外交専門誌「フォーリン・アフェアズ」で、アーリントン国立墓地を引き合いに出し、靖国神社は国のために命をささげた人々を慰霊する施設であり、日本の指導者が参拝するのは極めて自然で、世界のどこの国でも行っていることだと述べていた。アメリカの2人の長官は、米国側の意思で千鳥ヶ淵にある戦没者墓苑を揃って訪れ、献花した。これは、アメリカ政府の意思表示で=シグナリングと理解するのが合理的である。ところが、安倍首相は2013年12月に靖国神社を参拝した。アメリカ政府は、すぐに「日本の指導者が近隣国との緊張を高める行動を取ったことに、アメリカ合衆国は失望している」と声明を発表している。ここでも何回も書いているように、靖国神社は世界では、War Shrineとして知られている。日本を訪問する各国首脳も絶対に参拝しない。天皇でさえ、A級戦犯が合祀されてからは、誰もご親拝していない。
 そんな靖国神社をアメリカのアーリントン国立墓地を引き合いに出し、世界各国の専門家が読んでいる「フォーリン・アフェアズ」で、とくとくと自説を披露しているのである。日本国内では、この言い分でも通るかもしれない。しかし、鍛え抜かれた各国の専門家は一瞬にして「歴史を知らないバカ」だと見抜いただろう。国際社会におけるルールについて、まったく無知なのである。所詮、田舎の大将である。私は日本のリーダーになる人は、バランス感覚のとれた知的エリートでなければならないと思っている。どうしてかと言うと、国際社会でこんな低レベルのことを発言すると、外交で揚げ足を取られ、日本の国益を損なうからである。他にも、アメリカのアマチュアリズムなどについても詳しく解説している。もしかしたら、細部については専門家でも意見の分かれる部分もあるかもしれない。しかし、最初に書いたように、日本の安全保障を考える上で、最低限の知識として知っておくべきことが書かれている。

 

令和2年2月11日(火)

 この前の日曜日は、東山医師会第4班の新年会を兼ねた班会があった。京都第一赤十字病院周辺で開業している先生や伏見区に近い病院で勤務している先生が参加していた。簡単な会計報告の後は、会食である。同じ東山区にある日本料理店である。料亭になるのかもしれない。いろいろと料理が出てきた。最近はたくさん食べないので、美味しい物が数点でいい。正直言って、料亭の料理やホテルの料理(洋食を含め)の味がよくわからない。
 勤務医の先生だと、なかなか長期の休みは取れないようである。1人の開業医の先生が、私がコロンビアに行ったことについて興味をもってくれた。南米はメキシコやブラジルに夫婦で行ったという。去年の暮れには、スウェーデンにも行っている。コロンビアのカルタヘナと言っても、誰も知らない。ただ、内科の年輩の先生が、カルタヘナ症候群という病気を思い出してくれた。どんな病気なのか私はもちろん知らない。私の行ったカルタヘナと関係するのかもわからなかった。(南米はスペインの地名を付けていることが多い) 同じ年代か私より年上の先生が多かった。みんな考えることは同じである。元気なうちに行ける所には行こうである。

岬の兄妹 ・この映画「岬の兄妹」は、宅配レンタルで新作396円を払って見た。私の患者さんで、年間100本の映画を映画館で見ている人がいる。私は映画が終わったら、最後の字幕も見ずに出てしまう方である。この人は最後の字幕が終わるまで見ている。そういうことを何十年と続けてきている。毎年昨年の映画で何がよかったのか聞いている。この時に、この映画を教えてもらった。
 日本映画である。強烈な内容で、面白かった。足の不自由な兄と自閉症の妹の物語である。兄が失職したときに、兄妹はどうやって生き伸びていくかである。こういう映画を撮る人がまだいるなんて、日本の映画も捨てたものではないと思った。

Celia Cruz ・コロンビアから帰ってきて、中南米の音楽をYouTubeで検索するようになった。最近は、長いこと音楽に夢中になることはなかった。サルサ音楽を探すうちに、いろいろな曲に出会うようになった。スペイン語で書いてあるので、どこのミュージシャンなのかわかりにくい。
 今回紹介するのは、キューバの歌手である。最初聞いた時には、どこかで聞いた事があると思った。なかなか思い出せなかった。ふと、サンタナの曲にあったことを思い出した。オエコモバ(僕のリズムを聞いとくれ)であった。この人のオリジナルではなく、サンタナの方が先のようである。中南米特有の味がある。Celia Cruz - Oye Como Vaで聴くことができる。(クリックして下さい)

Armando Hernandez ・次は、アルマンド・エルナンデスである。この人を調べるのにも苦労した。1945年生まれのコロンビアのミュージシャンである。今回紹介する曲は、アコーディオンではなく、バンドネオンの間奏が感動するほどよかった。La Zenaida - Armando Hernandezで聴くことができる。

Cali Pachanguero ・コロンビアの第3の都市カリがサルサのメッカだとは知らなかった。サルサにもいろいろな種類があり、カリなどで演奏されるのはハードサルサに属する。今回紹介する曲は有名な曲のようである。内容は、カリが1番で、他はボゴタも含め丘だという。アルベルト・パロスがコロンビアオールスターサルサを結成して、演奏している。Cali Pachanguero - Colombianas Salsa All Starで聴くことができる。

今週のトピックス 90 (200211)

烏賀陽弘道「世界標準の戦闘と平和」 (扶桑社)前半
烏賀陽弘道「世界標準の戦闘と平和」 (扶桑社)前半

 この本は少し前の「週刊スパ!」で広告が何回も載っていた。私は途中まで読んでいて、他の本などに浮気していた。ほとんどの日本人が知らない内容である。目から鱗のことがこれでもかと書き詰められている。まだ、最後までは読んでいない。内容が濃すぎて1回では紹介できないので、前半と後半に分けて紹介する。著者は京都市生まれの京大卒である。朝日新聞社に入社した後、米国コロンビア大学に自費留学し、軍事・安全保障論で博士号を取得している。ニューヨークに「アエラ」記者として2年駐在。2003年に退社して、現在はフリーランスの報道記者・写真家として活躍している。
 この本は第五章までで構成されている。今回は第三章までを紹介する。まず、第一章の海と核兵器である。地球上での空間は「陸」「海」「空」しかない。最近は「宇宙」「サイバー(ネット)」という空間も出てきた。現代の国際安全保障政策でもっとも重要な空間は「海」である。その理由は、@地球の表面面積の71%を占める A世界の海はすべて1つの水でつながっている B浮力が働くので、重い物を少ないエネルギーで運べる C海には国境がなく、自由通行ができるである。解説すると、1トンの荷物を1km移動させるエネルギーは、船では飛行機の2.5%、トラックの39%のエネルギーですむ。貨物船の速度は遅いが、大量の荷物が運べるので燃料費は安くつく。スーパータンカーでも、乗組員が20〜30人なので、人件費もかからない。海には国境がないので、陸地とは違って他国の許可なしに世界に出かけることができる。
 「領海」は12カイリに限定されている。その外側は全部公海という考え方を「海洋自由の原則」という。この領海内でも、船舶には「無害通航」が認められている。沿岸国に敵対的なことをしなければ、領海内でも沿岸国の許可なく通過できる。軍用船(軍艦)については、国によって解釈がバラバラだという。軍事用潜水艦でも、海面に浮上して、所属する国の国旗を掲揚すれば、無害通航権を行使できる。領海の外側には「接続水域」(12カイリ)あり、その外側に漁業や海洋資源を利用する優先権を沿岸国に認める「排他的経済水域」(200カイリ)がある。よく「沖縄で、中国の海軍船が通過した」とマスコミが大騒ぎするが、どこの国の艦船も自由に航行できる。北海道と本州の間の津軽海峡の真ん中の部分も公海なので、世界の艦船は日本の許可がなくても自由に航行できる。日本には、他にも宮古海峡や対馬海峡など、どこの国の船でも自由に通過できる4つの国際海峡がある。
 この章では、著者はかって勤めていた朝日新聞などの「核廃絶」や「核なき平和な世界を目指す」というスローガンを批判している。戦後に発生した非戦闘員の大量虐殺(カンボジア、旧ユーゴスラビア、ルワンダなど)は、核兵器なき国で起きている。核兵器を持つ米ソは、朝鮮戦争やベトナム戦争でも、交戦当事国になることを避けて、「代理戦争」をしている。著者は国際社会の現実を、「核ある平和」「核なき虐殺」しかないと述べている。
 日本国内では、軍事政策の公的議論は「タブーの領域」である。しかし、著者がコロンビア大学で専攻した国際安全保障政策では、最初に学長から「国際政治を動かすルールは、軍事力=とくに核兵器を中心にした核戦略である」と教えられている。当時の学長は、国際紛争の予防や解決に国際機関に委ねる「インスティチューショナリスト」(国際機関主義者)で、決死して「力の行使」を主張するリアリストではなかった。
 授業では、アメリカ本土からレニングラードを攻撃する核弾頭を運ぶ方法も教えられた。選択肢は、@地上発射型ミサイル A爆撃機 B潜水型発射ミサイルである。答えはBである。@もAも先制攻撃には弱い。核弾頭を積んだ原子力潜水艦は90日間潜水したまま行動できる。アメリカのSLMB搭載原潜には、核ミサイルが24基積まれている。1基のミサイルには8〜12発の核弾頭が装着されている。1つの核弾頭は原爆の32倍の破壊力がある。常に公海を潜水しているので、すべての原潜を捕捉するのは不可能である。アメリカ本土を核爆弾で壊滅しても、攻撃した国はどこにいるかわからないSLBM搭載原潜によって同じように壊滅させられる。生存性が高い核反撃力能力を持つことで、相手国の先制攻撃を思いとどまらせることを「核抑止」という。
 「SLBM搭載原潜」と「爆撃機」、「地上発射型核ミサイル」の3つの核兵器運搬方法を総称して、「核の3本足」という。米ロはこの「核の3本足」を持っている。2019年現在、SLBMを積んだ原潜を持っている国は、アメリカ、ロシアのほか、イギリス、フランス、中国である。ただ核兵器を持っているだけでは、その国の生存を保障する「保険」にはならない。最初に出てきたように、安全保障政策で1番重要なのが海なのである。
 ここでは、空母のことも書いている。ISにせよシリアにせよ、米軍の攻撃は「海」から行われている。陸上の空軍基地に爆撃機や弾薬などを運ぶのは大変である。ホスト国に基地使用の許可も取らなければならない。空母は、「世界をすばやく自由移動できる攻撃基地」となる。最大6700人もの要員が載っている。国際貨物輸送量の約85%が海上輸送によって行われている。世界経済にとって死活的な重要な海上輸送路をシーレーン(または.シーライン)と呼ぶ。海に囲まれた日本では、貿易量の99.7%が海上輸送である。日本だけで世界の総海上輸送量の6分の1を占めている。
 第二章は、シーパワーランドパワーである。まず、国際安全保障の世界で基本文法となる地政学的アプローチである。シーパワーというのは、繁栄の源泉を海上輸送に依存している。それを守る強い海軍力を持っている。ランドパワーというのは、繁栄の源泉を陸上輸送に依存している。強い陸軍力を持っている.シーパワーの代表は、日本(海軍力は限定的)、イギリス、アメリカで、ランドパワーの代表はロシアと中国で、ドイツもランドパワーに分類される。歴史を検証すると、「発展したランドパワーは海への出口を求めて拡張を始める」という法則がある。最初に書いたように、海上輸送の方がコストが安い。陸は国境で分断されていて、複雑な手続きや手数料などがかかる。
 ロシアを例にとると、ロシアほど外洋に出る船のルートが他国にブロックされている国は珍しい。また、冬でも氷結しない不凍港(砕氷船でなくとも、出入りできる港)がほとんどない。この本でロシアが外洋に出られるルートを3つ解説している。ここでは、クリミア半島のセバストポリに基地のあるロシアの黒海艦隊について述べる。黒海を抜けるには、トルコ領土にはさまれたボスポラス海峡などを抜けなければならない。地中海に出ても、大西洋に抜け出るためには今度はイギリス領のジブラルタル海峡を抜けなければならない。ロシア帝国とオスマントルコは4世紀の間に12回も戦争を繰り返している。1991年ソ連崩壊後に、クリミア半島はソ連から分離しウクライナ共和国の領土となった。ロシアがクリミア半島を巡って戦争を繰り返すのは、ここはロシアにとって地政学的に死活的に重要な戦略的要衝だからである。
 19世紀、ロシアが不凍港を解決しようとして選んだ「外洋への出口」は東アジアであった。滅亡期の中国・清王朝から領土を奪い、ウラジオストクという港湾都市を建設した。ロシアが長いこと渇望していた不凍港で、太平洋への出口を獲得した。サンクトペテルブルグ、セバストポリ、ウラジオストクはロシア海軍の重要な拠点となっている。北方領土を日本に返還したら、米軍が基地を置く可能性も否定できない。択捉島・国後島付近の海域は、ロシアの艦船が太平洋に出る「最後の関門」の位置にある。ここに米軍基地ができたら、ウラジオストクの太平洋艦隊が外洋に出られず、封じ込まれてしまう。ロシア側は、「北方領土を返還してほしいなら、その海域から太平洋に出る通路の安全を保障しろ」と言っているである。
 ランドパワーが外洋に出ようとするとシーパワーは警戒する。特に半島に隣接してシーパワーが控えている場合は、軍事衝突の可能性が高くなる。ここでは、朝鮮半島の支配をめぐる日清戦争、日露戦争のことが解説されている。著者によると、朝鮮半島の歴史は、インドシナ半島とそっくりで、バルカン半島の歴史も似ているという。ベトナム戦争は中国・ソ連というランドパワーとアメリカというシーパワーがインドシナ半島で衝突した代理戦争である。アメリカが自国民を地上兵力として投入してまでベトナムの共産化を防ごうとしたのは、ベトナムが東シナ海という石油輸送の動脈部分に長い海岸線を持っていたからだという。
 ここでは、1940年に大日本帝国が、仏領インドシナに侵攻したことも書かれている。フランスがナチスドイツに敗北したことで、日本が戦闘を伴わない軍事侵攻をした。日本はドイツ・イタリアと日独伊三国同盟を締結し、日中戦争という「東アジアの戦争」からフランス領という「ヨーロッパの領土」に日本が踏み込んだ第一歩であった。アメリカは1941年に「在米日本資産の凍結」「石油禁輸」と強行な経済政策を次々と日本に課した。当時、日本の石油輸入額の81%がアメリカに依存していた。日本軍の仏印侵攻は、その後の真珠湾攻撃、太平洋戦争という全面戦争の引き金となった。
 この本では、どうして日本軍が当時欧州の列強であったロシアに日露戦争で勝ったのかも書いている。日本はイギリスに世界的な情報と補給のネットワークのバックアップを受けたからである。日本が買い取った軍艦2隻をジェノバから日本に向かわせる時に、英海軍軍艦が護衛した。イギリスが日本をバックアップしたのは、ロシアが極東で勢力圏を拡大することを阻止しようとしたからである。なぜ沖縄がアメリカに軍事基地化されるのかも書いている。結論から言うと、「沖縄がアメリカの世界戦略にとって最高の好立地にあるから」である。
 沖縄からそれぞれ半径1000kmから5000kmの同心円を書いていくと、4000kmで東南アジアほぼ全域、中国ほぼ全域になる。アメリカ本土から1万kmの同心円を描いても、東南アジアはカバーできない。アメリカにとって前方展開軍を置くのにもっとも便利な場所は、ロンドンか沖縄である。米軍の海兵隊は「緊急展開」が専門で、24時間365日体制でクライシスに備えている。その海兵隊は3個師団があり、2個師団はアメリカ本土にある。海外では、沖縄の第3海兵師団しかない。沖縄にいる米軍、とくに海兵隊は沖縄や日本の防衛のためにいるのではない。朝鮮半島などの東アジアだけではなく、中東など米国本土と遠く離れた世界中の紛争にさえ対応するために駐留している。
 第三章は、安全保障イコール軍事という誤解である。朝からこの本を読み、途中昼食を取ったり、夕食の買い物に行き、今は午後6時半である。いつものように、書いていて段々と疲れてきたので、簡単にまとめる。日記の本体の部分は、夕食を自分で自炊して食べてからである。このトピックスだけは夕食をとる前に、何とか書き終えようと思う。国際安全保障政策は、経済、外交、情報、メディアなどを包括した総合政策である。軍事はあくまでもその1ジャンルで、最後の最後の奥の手になる。国家の3要素は、@領域 A人民 B主権である。
 セキュアリティ(安全かつ安定していて、危険や恐怖、苦悩から解放されている状態)が失われた状態をクライシスと呼ぶ。福島第1原発事故も国家的クライシスになる。国民の安全を安定して守るためのミニマムな要素として、「身体と財産の安全」に加えて、「食料」と「エネルギー」がある。外国からの輸入に依存している国は、食料とエネルギーの安定した供給を確保することが国際セキュリティ政策の重大な課題となる。日本の食料自給率は37%で、エネルギー自給率は8.3%である。石油に関しては、全体の85.1%が中東から来る。中東依存度は、アメリカで8%、イギリス1%、ドイツ4%である。中国では31%である。日本が原子力発電に固執する理由の1つに、エネルギー自給のリスク分散があるという。
 他にも、勉強になることがこれでもかと書かれている。この本を読まずに(ここに書かれていることの知識もなく)、日本の安全保障についてあれこれ論じても意味がない。最後に、「国を縛る法律はない」である。「国際法」はこれまでの慣習の集積に過ぎないという。国連には方針に従わない国を罰する力はない。国連軍は、敵対する勢力を分離する、人道を支援する、停戦を監視するなどの機能しかない。国際社会において戦争や侵略、武力攻撃を防止するには、「戦争をしない動機を与える」または「戦争をする動機を奪う」という環境をつくるしかない。経済制裁もあるが、効果はより限定的である。

 

令和2年2月4日(火)

 この前の木曜日は久しぶりに大阪の池田にいる母親の所に行ってきた。この2月で88歳になる。1人で買い物に行き、食事は自分で作っている。ヘルパーの派遣やデイ・サービスの利用などを考えていたが、まだ大丈夫である。ただ、住宅街なので、近所の人とは会った時に話すぐらいである。耳が遠いぐらいで、まだしっかりとしていた。一時、妹とけんかをしていたが、今は妹のことを気を遣ってくれると感謝していた。
 実は妹の娘がこの1月に出産したことは、私の娘から聞いた。今は産休をとって、妹の家にいた。妹夫婦は、二人とも働いているので、この日は不在であった。出産祝いを持って、母親と出かけた。母親の住んでいる所から歩いて5分ぐらいである。妹の娘は産婦人科医をしている。現在31歳である。女医さんの同級生は、結婚が早い人と遅い人で半々ぐらいだと言っていた。3週間前に生まれた男の赤ちゃんで、久しぶりにこんな小さな子を抱いた。育休も取って、7月ぐらいまで休むようである。
 昼食はいつものように母親が作ってくれた。もう私も年で、そんなに食べれないのに、次から次へと出してくる。帰りも、いろいろな料理を作って、持たせてくれた。私は妹のように、母親の世話に関してはほとんど貢献していない。しかし、この年代の母親にとって、長男は特別のようである。息子に昼食を作って食べさせ、料理を作って持たせて帰らせるのが、生きがいとなっているようである。私も親孝行として、付きあえる所まで付き合うと思っている。
 土曜日は、外来が終わってから、近くの紙処理場まで、機密文書を車で持って行った。京都労働局の労災認定の仕事をしていることは前から書いている。予め資料が送られてきて、私の医院で労災補償課の人と事例について検討する。この時に送られてくる資料が分厚い。いつの間にか、小さな段ボール箱11箱も溜まってしまった。2階から3階に上がる階段の所に置いていたが、足の踏み場もなくなってきた。ネットで調べて、紙処理場が近くにあることを知った。
 荷物を測ったら、90kgもあった。機密書類の処分代として、料金は2700円であった。今回はたまたまであるが、きのう労災認定の打ち合わせがあり、明日もある。実際に読むのは、分厚い資料の一部分である。労働時間から治療経過、職場の上司や同僚などの証言など、すべての資料が揃っている。中にはとんでもない厚さになるものもある。この日は、3階の部屋の障子の張り替えもしていた。医院を建てて19年目になるので、一部の障子は破れてボロボロであった。ホームセンターで買ってきた障子を4枚張り替えた。けっこう面倒臭く、一部分は裏から目立たないようにガムテープで張った。それでも、部屋の中はきれいになってすっきりした。
 時々、宅配ビデオを借りている。何枚も見ているが、みんなそこそこの出来で、それほど面白くなかった。たまたま、韓国映画の「無双の鉄拳」を見たら、久しぶりにはまった。映画評では、評判がよかったり悪かったりである。しかし、私には本当に面白かった。興味のある人はまた見て下さい。

今週のトピックス 89 (200204)

山崎雅弘「歴史戦と思想戦 ー歴史問題の解き方
」 (集英社新書)
山崎雅弘「歴史戦と思想戦 ー歴史問題の解き方」 (集英社新書)

 この本は最近本屋で見つけて、買ったばかりである。新しい本かと思ったら、去年の5月に出ていた。この類いの本はこの日記でも何回も取り上げている。内容はすでに紹介した部分と重なることもある。しかし、まだまだ知らないことも多く、本当に勉強になった。この本では、産経新聞が2014年から本格的に開始した「歴史戦」を取り上げ、戦前の「思想戦」と対比させながら、歴史的事実を検証している。歴史戦とは、中国政府や韓国政府による、歴史問題に関連した日本政府への批判を、日本に対する「不当な攻撃」だと捉え、日本人は黙ってそれを受け入れるのではなく、中国人や韓国人を相手に「歴史を武器にした戦いを受けて立つべきだ」という考え方である。
 そして、「歴史戦」の三文字を冠した書物が続々と刊行されている。いちいち本の題名は紹介しないが、武田鉄也がYouTubeで絶賛していた黄文雄ケント・ギルバード杉田水脈などの著者の名前が挙がっている。これらの著書の中で共有されているのは、中国や韓国が日本に歴史戦を仕掛けるのは、現在の日米同盟に亀裂を生じさせるためだという。
 ここでも何回も取り上げていることである。朝鮮人の若い女性を強制連行したという吉田清司の虚言を報道し続けてきた朝日新聞について、産経新聞では、事実に基づかない積年の慰安婦報道を通じ、日本の国際的地位と名誉を傷つけ、国民の誇りを奪い続けたきたと表現していた。しかし、実際には、朝日新聞は吉田清司の証言が誤りであったと認めただけで、記事のすべてが間違いであったと認めたわけではない。
 吉田証言の虚偽を指摘した歴史家の秦郁彦が著した「慰安婦と戦場の性」では、日本人が初めて軍人専用の娼館を開設したのは、満州事件勃発翌年の1932年で上海であった。そして、5年後の1937年に日中戦争が勃発し、上海から南京へと進撃した日本軍人による、現地の中国人女性に対する強姦事件が多発した。日本軍の現地部隊を統括する中部志那方面軍は、早急に日本軍人の「慰安所」を作る必要性を痛感し、日本軍人を相手にする娼婦が集められた。その後、日中戦争の拡大に伴い、あちこちの国に慰安所が作られるようになった。このことは、以前にも紹介した。
 現在の産経新聞出版の前身であるサンケイ出版から、1983年に「今明かす戦後秘史」という対談本が発刊された。戦争中は陸軍将校として勤務した経歴を持っている当時サンケイ新聞社の社長であった鹿内信隆と戦後日本の財界で四天王の1人に数えられた櫻田武の対談である。この中で、鹿内が、日本軍の「経理学校」が慰安所の具体的な運営規則を教えていたことを述べ、軍が運営に関わっていた事実を明らかにしている。他にも、鹿内が、良家の子女が揃っていたマニラ大学の女子大生が「日本の将校のえじきになった」と表現している。先に挙げた秦郁彦の本でも、フィリピンで駐留する日本軍の末端組織による「計画的と思われる女性の自宅への襲撃」や「作戦行動中の強制連行」で駐屯地に連行され、組織的なレイプが多数発生していた事実に言及している。
 他にも、シンガポールに赴任していた無線小隊長の戦記「南海のあけぼの」に書いてあることである。慰安婦に応募した娼婦でも、列をなした兵士を次から次へと相手して困憊し、係の者が打ち切ろうとした。ところが、順番を待っている殺気だった大勢の兵士を抑えることができず、女性の手足を寝台にくくりつけ、相手をさせ続けている。山崎が述べているように、性奴隷と言わずに、何と表現するのであろうか。この戦記を書いた著者は、決して左翼的な思想の持ち主ではない。あの戦争はアジア解放の戦いであったと戦記に書いている。
 次に、南京虐殺である。ここでは、自民党の山田宏参議院議員が、2017年12月にツイッター投稿した内容について書いている。「南京攻略に参加した日本兵や、当時南京にいた日本人からの虐殺証言はゼロである‥」 こんな程度のオツムの弱い人が国会議員をしているのである。旧日本軍将校を中心とした親睦団体である偕行社が、会員の日本軍人から聞き取り調査に基づいて編集し、1989年に刊行した「南京戦史」がある。
 当初は、南京事件がなかったことを証明するために、参加した軍人に証言や日記などの資料の提出を求めて編纂する予定であった。予想に反して、市民と捕虜の大量虐殺を裏付ける証言記録が数多く寄せられたため、南京虐殺が事実であることを認めて反省する資料集として出版された。同団体で確認できた範囲での犠牲者の推定として、1万5760人と算出している。他にもたくさんの記録が残されている。南京だけではなく、上海でもある少尉が「この部落民も隣村のように皆殺しにするんだ。隣村では、三歳の童子も殺した」と兵士に命令している。
 昭和天皇で弟である三笠崇仁は、戦争中は陸軍将校として中国戦線に派遣された経験を持つ皇族である。1994年8月号に掲載された月刊誌で、戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から聞いた話であると述べている。「新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる」である。
 2012年2月に、河村たかし名古屋市長が姉妹都市である南京市の訪問団と会談した後の記者会見で、「一般市民のいわゆる虐殺行為はなかった」と述べている。もちろん、中国外務省は「同意できない」、「確かな証拠がある」と反論している。それから半年後の2012年8月の産経新聞朝刊に、「私たちは、河村たかし名古屋市長の『南京』発言を支持します!」という意見広告が掲載された。広告主催者は、渡部昇一が代表を務める団体で、呼びかけ人として列記されている8人の中に、現在の安倍首相、平沼赳夫、石原晋太郎などがいる。「賛同する国会議員」としては、片山さつき、下村博文など計61人の国会議員の名前が列記されている。この中に、当時の日本会議の副会長も名を連ねている。日本会議についてはこの日記でも何回も取り上げている。著者は、戦前や戦中の精神文化を現代に甦らせることが、日本を本来あるべき姿に「取り戻す」ことになるという主張を展開していると述べている。
 産経新聞社が刊行する「正論」の2015年4月号で取り上げられている「アジアは忘れない 戦後70年の大東亜戦争肯定論」という小特集の中で、ジャーナリストの井上和彦による「大東亜戦争の真髄 シンガポール攻略作戦(上)」という記事が載っている。後編の(下)は5月号に連載されている。井上は、シンガポールを占領した日本軍が、戦死した日本軍将校を慰霊する「忠霊塔」を現地で建てた際、イギリス連邦軍戦死者の慰霊碑を建てた逸話を紹介し、これがシンガポールの教科書でも紹介されている事実に触れ、結局最後は、日本軍は、アジアの人々に希望と自由、そして独立の喜びを与えたのだと締めくくっている。
 著者は井上が記事を書いて間もない2015年12月にシンガポールを訪れて、記事の内容が事実なのか確認している。例えば、井上が「抗日華僑らの慰霊碑」と呼んでいる記念碑は、日本に刃向かった華僑だけではなく、マレー系、インド系、ヨーロッパ系の大勢の民間人の犠牲者を慰霊する碑であった。市内のあちこちにあるブック型記念碑のひとつでは次のように説明されていた。「かってここにあった旧YMCAビルに(日本軍の)憲兵隊東支部が置かれた。憲兵隊による(粛正)行動のなか、抗日運動の嫌疑を受けた大勢の華人(中国系市民)が生命を落とした。抗日容疑者たちは取り調べで拷問を受け、その悲鳴がビル周辺の静寂を破ることもしばしばであった」
 別の「大検証(粛正)検問所」のブック型記念碑では、「ここは憲兵隊がいわゆる(華僑抗日分子)の選別を行った臨時の検問所の一つである。(略)幸運な者は「検」の文字を押印されたのち解放されたが、不運な人々はシンガポールの辺鄙な場所に連行され処刑された。犠牲者は数万人と推定される」と書かれている。日本軍関係の記録や証言では、約5千人となっているが、シンガポール側の公式記録では、約5万人となっている。
 井上は、中国系市民の大量虐殺については「実態はよく分かっていない」とはぐらかしている。井上が「日本軍の武士道精神が評価されている証拠」として語る、シンガポールの中学教科書の記述も著者は調べている。そこに書かれている内容は、「オーストラリア兵がいかにシンガポールを守るために勇敢に戦い、敵である日本兵からも賞賛を得た」という話であった。越田稜編者「アジアの教科書に書かれた日本の戦争・東南アジア編(増補版)」(梨の木舎)では、中学校教科書に「シンガポールの人びとは日本の支配下で彼らの生涯のうち、もっとも暗い日々を過ごした」書かれていることも紹介している。
 井上は、シンガポールでも反日の声を聞くことはほとんどないと書いている。当たり前である。戦争中の「大日本帝国」とその反省に立って戦後民主化された日本国をきちんと分けて考えているからである。かって侵略を受けた東南アジアでは、「許そう、しかし忘れまい」という言葉がよく語られる。シンガポールの初代首相となった中国系のリー・クアンユーは18歳の時に、先ほどの「大検証」を生き延びた。回顧録の中で、「同じアジア人として我々は日本人に幻滅した。(略)日本人は天照大神の子孫で、選ばれた民族であり遅れた中国人やインド人、マレー人と自分たちは違うと考えていたのである」と述べている。
 井上はタイを扱った章で、泰緬鉄道に触れて、「鉄道や橋梁建設に従事した英軍の捕虜が命を落とした」と簡単に書いている。約1万3千人の連合軍捕虜に加え、約8万5千人のアジア人労務者が死亡したことや、その死者の多さから国際的には「死の鉄道(デス・レイルロード)」と呼ばれている事実には一切触れていない。こんないい加減な内容の記事を頭から信じている人は、何の根拠もなく自虐史観を打ち破ったと考えるのだろう。この本は全部で、301ページある。ここまで紹介した分は、まだその4分のにも達していない。それほど、内容が濃くて最初から最後まで説得力のある本である。黄文雄やケント・ギルバードなどの本も井上和彦の文章のように、でたらめだらけの内容であると考えた方がいい。
 他にも紹介したい内容は山ほどある。クズ本を読むぐらいなら、この本を1度読んで下さい。ここに書いてある内容に反論したければ反論したらいい。しかし、きちんとした資料を提供して私のような読者を説得しなければならない。後の内容については、私が印象に残ったことだけ簡単にまとめる。自虐史観や東京裁判史観について、著者は大日本帝国の否定的側面を批判する行為をなぜ自虐というのかと問うている。自虐史観と呼んでいる人は、自分のアイデンティティを、すなわちその自己認識とその帰属先を大日本帝国に置いているからである。「日本の名誉」という部分の日本は、大日本帝国を意味する形で使われていることが多い。ケント・ギルバードの本を引用して、「反省」ということ言葉を「自虐」という言葉に置き換えて否定するトリックについても書いている。
 この本ではエーリッヒ・フロム「自由からの逃走」で読み解いた「権威主義国の魅力」についても詳しく解説している。エーリッヒ・フロムは、「自由は近代人に独立と合理性をあたえたが、一方個人を孤独におとしいれ、そのために個人を不安な無力なものにした。この孤独は耐えがたいものである。かれは自由の重荷から逃れて新しい依存と従属を求めるか、あるいは人間の独自性と個性にもとづいた積極的な自由の完全な実現に進むか二者択一に迫られる」と書いている。ドイツ国民が選んだのは、前者である。ヒトラー総統という強い国家指導者が国民を正しい道に導いてくれると信じた。強大な権威に服従し、それと一体化する道を自らの意志で選ぶことによって、その権威が持つ力や栄光、誇りを我が物にしたかのような高揚感に浸ることができる。
 大日本帝国の権威主義的な教育の中核だった教育勅語のことも書いてある。自分を独立した個人ではなく、偉大な国家の一部として考える方が楽で魅力的にうつる。権威主義国家の特徴として、時の国家指導者や国家体制を国そのものと同一視し、それに反抗する者を「国家の敵」と見なすという思考形態がある。この本では、右翼の人たちなどで語られるコミンテルンの陰謀GHQの洗脳についても詳しく解説している。何の教養もない百田尚樹などの本を読んで、自分は真実を知ったと勘違いしている人には、是非とも読んで欲しい本である。もう疲れてきたので、きょうはこの辺で終わりにする。

 

令和2年1月28日(火)

 やっと体調が回復してきた。今月書かなければならない診断書などもすべて書き終えた。確定申告が近づいているので、12月分の資料をやっとまとめて税理士法人に送った。前から書いているように、日曜日でもまともに休んだことはない。何かしら、雑用をしている。このホームページを見ている患者さんから海外によく行っていると言われる。実際に、まともに休んでいるのはこの時ぐらいである。外来の医療事務以外は、すべて私が1人でやっているからである。
 最近、大きな液晶画面のスマホが欲しくなった。ふだんはパソコンを使っているので、子どもとメールのやりとりをするぐらいである。海外旅行に行った時には、スマホは役に立つ。動画もたくさん入れて行く。現地の情報を検索する時にも、もうちょっと大きな画面の方が便利である。古いタブレットを持っているが、ここまで大きくなくていい。持ち運びに不便である。実は7インチ越えのファーウェイの「Mate 20 x」を買うつもりであった。ところが、米中の貿易戦争でなかなか日本では発売とならない。結局、発作的にアマゾンで中国製の「OUKITEL K9」を買った。液晶は7.12インチある。値段は2万7千円であった。専用ケースも1,200円ぐらいであった。
 今使っているフリーsimは1ヶ月2Gまでで、通信料は千円ちょっとである。外出の時も持たないぐらいである。外食の時など、待ち時間にニュースをチェックするぐらいである。私はスマホで写真を撮らないので、このぐらいの大きさが便利である。アンドロイド用の小型キーボードで、文章を書いてみようかという気にもなる。今使っているファーウェイのスマホから乗り換えて、アプリや音楽、動画なども全部入れ替えた。値段はケースや強化ガラス液晶フィルムも含め、3万円にもならなかった。しかし、さくさくと動き、ふだん使いにはまったく支障がない。
 いろいろと疑い出したら、バックドアの心配はある。しかし、私はスマホやパソコンは基本的にはあまり信用していない。ある程度情報が漏れているぐらいで使っている。クレジットカードで宅配便のアダルト・ビデオを借りることがある。この時に、クレジットカードを発行している会社にどこまで明細が送られているのか疑問である。(借りたアダルト・ビデオのタイトルまですべて伝わっているのかしれない) クレジットカードは便利である。しかし、支払いした明細は、すべてクレジットカード会社に把握されていることを忘れてはならない。
 息子の医師免許の国家試験が2月8日(土)と9日(日)である。合格発表は3月16日(月)である。息子は試験が終わったら、卒業旅行で友だちと海外旅行に行くようである。私もやっと解放される。税金のかからない生前贈与は娘と同じように年間110万円まではやる。これで経済的には完全に自立して欲しい。後は、結婚式の費用は私が出すつもりである。去年は前年度より患者さんの数が減り、収入も減った。しかし、これから息子の授業料(年間450万円弱)がなくなり、おまけに大学近くのマンションの家賃や生活費も払わなくて済む。生前贈与をしても、これまでより実質的には手元にお金が残ることになる。
 最近は、なかなか本が読めていない。面白そうな本が次から次へと出るので、読みもせずについつい買ってしまう。本当は、年末の週刊誌に出ていた記事を取り上げたかった。うろ覚えであったが、ネットの記事ではこの問題が取り上げられていた。きょうはゆっくりしたいので、完全な手抜きでここで終える。また、関連する本を読んだ時に取り上げようと思う。

スマホ1 ・今回買った「OUKITEL K9 SIMフリースマートフォン」である。8.9cm×18cmもあり、液晶も見やすい。動画は画面いっぱいに拡大し、迫力がある。パソコンのデータをスマホに転送する時に、これまで使っていたファーウェイとは違い、自動的に表示されなかった。最初はわからず、どうしたらいいのか迷った。本体で操作する。

スマホ2 ・スマホやタブレット用のブルートゥースで繋ぐキーボードである。折りたたみ式のキーボードを試してみたが、もうひとつ打ちにくかった。前から持っているタブレット用のキーボードが打ちやすかった。ただ、日本語と英語の切り替えがよくわからなかった。スマホの中のキーボードを英語に切り替えると、外付けのキーボードも切り替わる。しかし、いちいち面倒臭い。説明書を読んでキーボードを押しても、うまいこと切り替えができない。

ブランチ大津京 ・去年の11月末に開業した、びわ湖競輪場跡のブランチ大津京である。国道を挟んで、私のびわ湖のマンションの前である。あまり大した店ははいっていないと最初は思った。ニトリは、名神京都南インター近くの店と比べたら小さい。それでも思ったより品揃えは豊富であった。アウトドア専門の店もはいっていた。
 グランドみたいな所では、子ども連れで遊んだりできる。私のお気に入りは焼き肉の店である。夜11時までやっているので、便利である。(注文は10時まで)

サルサ ・カルタヘナでタクシーの運転手に聞いたサルサのバンドと曲が、YouTubeでうまいこと見つからなかった。サルサで調べると、キューバなどのサルサも混じっていて、どれがコロンビアのサルサかわかりにくい。あまりいい曲にヒットしなかった。現地で聞いたサルサはもっとリズム感があり、名曲ばかりであった。
 今回YouTubeで見つけたのは、かなり古い曲である。サルサクラブでこんな過激な踊りはしていなかった。Sonora Carruseles - Al Son Del Los Cuerosを紹介する。(クリックして下さい) 同じバンドで、「La Salsa LLego - La Sonora Carruseles」もよかった。今度コロンビアに行った時には、サルサのDVDやCDも出ていると思うので、きちんと調べて買ってこようと思う。

令和2年1月21日(火)

 まだ、今月中に書かなければならない2年に1度の継続の自立支援医療や障害者保健福祉手帳の診断書が20枚以上残っている。障害年金の診断書や新規の診断書も山ほどある。どうして週末に書けなかったかというと、19日(日)の午後1時から4時半ぐらいまで、介護認定審査会委員向けの「介護認定平準化研修」があったからである。この時間の中に、京都市だけの説明会が最後に15分ほど入っている。内容はすごく役に立った。しかし、途中うつらうつらと眠ってしまうこともあった。
 例えば、短期記憶の障害はあるというのは、5分前のことを覚えていないことである。きのうのことを覚えていなくても、短期記憶の障害があると評価しない。他にも、評価項目が事細かく決められている。歩行、食事摂取、移動などを、1.介助されていない 2.見守り等 3.一部介助 4.全介助と決めなくてはいけない。朝の食事は、自分で箸を持って摂取できている。昼から夜にかけて肘の痛みが強くなるため、昼食と夕食は家族が食卓で小さく切ったり、ほぐしたりする介助をしている。自分で食事は食べることができる。こういう場合はどう評価するかである。
 私は副合議体長をしているので、合議体長が休みの時は代わりに司会をしなければならない。今年の3月で1年になる。かなり以前にも、合議体長をやっていたこともある。こんなに細かいことはよく知らなかった。今回話を聞いていて、精神の障害年金の診断書のことを思い出した。私は長いこと労災認定の仕事をしている。労災認定もガイドライン(手引き)があり、厳密に審査している。ところが、前から書いているように、精神の障害年金の診断書はガイドラインが出ているのに、そのことさえ知らず、いい加減に書いている精神科医が多い。
 介護認定の場合は、多少間違っていても、せいぜい要介護2が要介護3になるぐらいである。しかし、精神科で該当もしない患者さんにいい加減な診断書を書いたら、毎年国から最低77万〜96万円まで支払われることになる。一旦これだけの額のお金が出ると、改善していても簡単にはやめられない。他院から転院してきた患者さんのでっち上げみたいな診断書を続けて書かされるこちらの身にもなって欲しい。特に生活保護の患者さんが多い。福祉の担当者は、障害年金の診断書を書いてもらったら、生活保護費が減らせて万々歳かもしれない。しかし、医者の方は偽の継続の診断書を書かされていることになる。
 さて、コロンビアの旅の続きである。ボゴタからメキシコ・シティに行き、成田まで帰ってきた。メキシコ・シティの空港も寒かった。コロンビアは夏休みにまた訪れようと思っている。次はメデジンカリである。どちらも、コカインのドラッグ・カルテルがあった所である。メデジンは夏は雨が多いようである。ゴールデン・ウィークはメキシコを考えている。メキシコ・シティとカリブ海に面したカンクンである。ベスト・シーズンになる。その前に、簡単なスペイン語を覚えて行こうと思っている。

黄金博物館1 ・1月3日(金)は、1日にトリップアドバイザーで予約したボゴタ近郊の滝巡りのハイキングに参加するつもりであった。ところが、まだ正月明けで、参加者は他にいなかったようである。2日(木)に、ガイドの都合が悪いので、4日(土)にしてもらえないかというメールがはいった。4日は午後2時過ぎの飛行機で、メキシコ・シティに行く。結局、急遽キャンセルとなった。
 これはこれでよかった。最後の日は、ゆっくりと市内を廻ることができた。ここは黄金博物館の前である。向こうに見えるのが黄金博物館である。ボゴタの空港は、エル・ドラード国際空港と名が付いている。エル・ドラードは耳にしたことのある人もいるだろう。大航海時代にスペインに伝わったアンデスの奥地に存在するとされた黄金郷である。他にも、世界には、小説の中でのチベットの奥地にあるとされる理想郷であるシャングリラも知られている。

黄金博物館2 ・入場料は5,000ペソで、約170円ぐらいであった。コロンビアで発掘された黄金製品が展示されている。

黄金博物館3 ・どういう風に身につけていたが、人物の陰が付いている。実は、近くにエメラルド博物館もあった。ところが、身分証明書を持って行かなかったので、中に入れなかった。身分証明書と言っても、パスポートのコピーでいい。コピーは何枚か用意していた。必要がないと思って、ホテルに置いてきてしまった。

広場 ・ここは、黄金博物館前の大きな通りである。踊りや楽器の演奏だけではなく、いろいろなパフォーマンスをやっていた。動画でたくさん撮ってきた。

ボテロ博物館1 ・ここはボテロ博物館である。入場料は無料である。世界的に有名な画家、ボテロの作品やコレクションも収蔵されているという。(地球の歩き方) だから、この作品がボテロの作品かどうかよくわからない。

ボテロ博物館2 ・他に、気に入った絵もあった。太った人物や馬などがこの人の代表的な作品である。

ボテロ博物館3 ・絵画だけではなく、彫刻などの作品もある。ピカソ、シャガール、モネなどの多数の貴重な作品も展示されているようである。この作品もボテロの作品なのかよくわからない。

カテドラル1 ・大きなカテドラル(名前が何というのかよくわからない)の前に、広い広場がある。大勢の観光客が集まっていた。

人物 ・広場の近くにいた夫婦である。小銭をやって(ステッキの上のコップ)写真を撮らせてもらった。

カテドラル2 ・カテドラル前の広場はこんな感じである。

マルケス ・カルタヘナでも紹介した、「百年の孤独」を書いたコロンビアのノーベル賞作家のガブリエル・ガルシヤ=マルケスの名前が刻んであった。本屋の前である。

パフォーマンス ・あちこちで、いろいろなパフォーマンスをしていた。小銭をもらうと、じっと立っていた人物などが動き出す。パートナーの人が色を塗っていた。

レストラン ・ここはネットで調べて行ったレストランである。GoProで写真を撮った。クラブみたいな店で踊れるとなっていた。ところが、踊れるスペースがない。ここで軽い夕食を取った。金曜日の夜だったので、混んでいた。  

クラブサルサのクラブに行きたかったので、ネットで調べてタクシーで行った。ここのクラブはよかった。いくつのものフロアーに分かれていて、ここが1番広いフロアーである。左側に大ホールがあって、大勢の人が踊っていた。音楽は生演奏ではなく、照明とビデオが流れていた。私は上の階にあった少し狭いホールが気に入った。大音響でサルサが流れ、いくつものディスプレーで動画が流れていた。ビールなどを除いて、酒は飲み放題であった。入場料は11万ペソ(約3500円だったと思う)で、コップを渡され、バーテンダーに頼んでウォッカベースでジュースやコーラで割って何杯でも飲める。ここは本当によかった。
 実は、売春街のサンタフェには2日と3日と顔を出していた。2日は有名なストリップバーは1軒しか開いていなかった。ここでは、裸の女性が踊っていた。大きなディスプレーには、あまり情緒のない器械体操のようなアメリカン・ポルノが流れていた。私はビールの小瓶を2本飲んで、3万ペソ(約1,000円)取られた。ここは客層は悪く、隣の席ではコカインを鼻から吸引していた。カルタヘナのカフェ・ハバナの近くでも、コカインはいらないかと声をかけられた。土産物を売る振りをして、ビニールの袋を出してきた。私はアンチ・ドラッグ派なので、もちろんしない。中にいた女性ももうひとつであった。
 3日には、前日行った隣のストリップバーにも行った。ここもガラが悪く、両隣のテーブルの客がコカインを鼻から吸っていた。明朗会計で、ビールも1本1万ペソ(350円)もかからなかったと思う。本来は治安の悪い場所である。しかし、あちこちに警察官が立っていた。実は、3日(金)は最後の日なので、高級ストリップバーはどんな所かタクシーで別の所に行ってきた。
 ビールの小瓶1本が4万5千ペソで5万ペソ渡しても、5千ペソはチップで返ってこない。何と1本約1,700円もするのである。これだけ高いと、変な客は来ない。スーパーで買ったら、100円ちょっとぐらいのビールである。あまりにも高かったので、2本目を頼む気にもなれなかった。高級クラブの雰囲気はあった。ステージで踊っている人(ストリッパー)もいた。1人の女性と少し話をした。英語が話せる。店に70米ドルの連れだし料を払い、女性には250米ドルが必要だという。ここも1時間と言いながら、30分で終わるのかよくわからない。子どもがいるのか聞いたら、1人いるという。サンパウロの高級ボアッチの方がきれいな女性がいた。もともとどんな雰囲気なのか知りたかっただけである。返ろうとしたら、200米ドルでいいと値切ってきた。長居はせずに、そのまま店のタクシーで帰ってきた。
 この日はそれだけでは終わらず、夜中の3時にまたサンタフェに顔を出してきた。夜中の3時にもなると、警察官は立っていなかった。売春婦があちこちに大勢立っていた。中には、一見かわいい子もいた。私は女性を求めて行ったわけではない。前から書いているように、何でも見てやろうである。今は日本は不況なので、2〜3万円も払ったら、好みの風俗嬢はいくらでも選べる。日本でさえ、梅毒が大流行しているぐらいである。こんな所で性的サービスを受けたら、何をうつされるかわからない。本当は、スラム街にも行ってみたかった。

カメラ ・今回持って行ったカメラである。ソニーのRX100M7とGoProのHero 7 Blackである。動画はたくさん撮ってきた。旅カメラにはこの2台で充分である。シュノーケリングには、GoProの出番で、水中も撮れて便利であった。大きなカメラではないので、あまり治安のよくない所でも目立たない。ただ、私の持っているBDレコーダーは少し古く、カメラの動画を取り込めない。(ビデオカメラの動画は大丈夫である) 基本的に撮ってきた動画はTVで見たいので、今回新しいBDレコーダーに買い換えた。パソコンでBD(ブルーレイディスク)を作ることもできるが、手間暇がかかる。

令和2年1月14日(火)

 この連休に今月に更新しなければならない自立支援医療と障害者保健福祉手帳用の診断書を一気に書くつもりであった。ところが、日曜日は何もする気になれず、月曜日の成人の日は、荷物の片付けをなどをしていたら、あっという間に時間が過ぎてしまった。この日は、毎年恒例の東山医師会新年会が午後5時半からあった。コロンビアの旅行中から、鼻水と咳が出て、まだ続いている。いつもの風邪のパターンとは違う。あまりに続くようなら、呼吸器科にでも受診しようかと思っている。
 新年会は毎年東山区の同じホテルを使ってやっている。きのうは、成人式の若者が多かった。1つの丸テーブルに7人の医者が座る。私の両隣は、女医さんが2人づつ座っていた。1人の先生は私の医院の近くで開業している先生で、よく知っている。他の3人の先生はこれまでほとんど話したことがなかった。女性には、結婚しているのかとか、子どもさんがいるのかとかは聞きにくい。ちょっとした会話のきっかけには、どうしてもこういった情報が欲しい。こちらも気を使って、余計なことは触れないようにする。
 同じテーブルに、70代の父親の後を継いだ40代半ばの男の先生が座っていた。結婚が遅く、まだ子どもは1歳半だという。最近は、両極端で、早い人は早く、一方ではどんどんと晩婚化が進んでいる。きのうの午前中は、買いたい物があったので、八条口近くのイオンモールに行った。小さな子ども連れの夫婦でいっぱいであった。ところが、子どもはまだ小さいのに、父親は年を取っている感じの人が多かった。最近は、再婚の人も多い。当然、父親の年齢の割には、まだ子どもは小さい。
 ここではしつこいほど書いていることである。晩婚の人はまだ突入していない未知のことである。私は38歳の時に結婚し、当時は超晩婚であった。今年の3月に息子がやっと私立の医学部を卒業する。5月には私の誕生日が来て67歳になる。開業して金銭的には余裕があっても、もう息も絶え絶えであった。67歳で、やっと子どもの教育から解放される。誰でも、50代ぐらいの時には、この子のために頑張ろうと思う。年を取ってきて、反抗期があったりすると、大変である。最後は、子に対する親としての責任感しかない。劇作家の野田秀樹に去年の秋に63歳で第4子ができた。ここまで年齢がいくと、いくらお金があっても、子どもに対して父親としての役割を最後まで果たせないような気がする。
 今年のゲストは、ギター演奏者であった。YouTubeに挙げている「ルパン三世のテーマ」は何十万人の視聴者がいるようである。あちこちで、ライブ活動をしている。たまには、こういう演奏もいい。今はサルサに目覚めてしまったので、日本でライブ演奏をしている所がないのかと思ったりしている。きょうは往診の後、歯科に行っていた。医院に帰ってきたのは5時半近くであった。この前の続きで、コロンビアのカルタヘナからボゴタについて、写真付きで解説する。

夕食 ・カルタヘナには4泊した。2泊は旧市内の城塞近くで、2泊は高層ビルが建ち並んでいるポカ・グランデである。泊まったホテルは1泊朝食付きで、約7千円であった。部屋は広かったが、ベッドしか置いてなく、ここでも机やイスがなかった。近くには、スーパーマーケットが2軒あった。
 ビルが建ち並んでいる地区なので、最初は整ったモダンな地区かと思った。むしろこちらの方が旧市街地(セントロ)に近い、垢抜けないローカルな雰囲気であった。夕食は、バーベキューの店でとった。ビールの小瓶を入れて、50万ペソ(約1700円)ぐらいであった。料理は美味しかった。

港 ・12月30日(月)も、アイランド・ツアーに参加した。朝8時に集合である。ボート乗り場は、左のもっと奥にある。値段は、ボート代を除いて7千円ぐらいであった。

パンフレット ・パンフレットの一部である。私の行った島は右側の島である。パンフレットには、名前が書いていない。実は、前日の29日(日)に行きたかった。しかし、満杯で参加できなかった。英語をしゃべる係の人は、本音でこの島が1番いいと話していた。

ビーチ1 ・ここは、ジェットボートで45分の所にあるベンディタ・ビーチである。この日は雲が多かった。しかし、太陽が時々のぞき、そのときには海はきれいであった。

ビーチ2シュノーケリング・ツアーも別料金で参加した。ボートで行き、50万ペソ(約1700円)であった。今回はGoPro Hero 7 Blackを持って行った。かなりの動画を撮影してきた。GoProは今回初めて本格的に使った。防水なので、便利であった。

ビーチ3 ・このビーチの参加者はアメリカ人が多かった。コロンビアでは英語はほとんど通じない。カルタヘナはアメリカに近いので、ボゴタよりまだましである。

ジェットボート ・帰りのジェットボートである。向こう側に見える高層ビルが建っている所が、ボカ・グランデである。この日の夜は、どんな所かストリップ・バーに行こうと思った。ホテルのWiFiで英語で検索した。日本語の情報は古すぎて、役に立たない。タクシーで行ってみたら、2軒とも休みであった。年末のためか、もともと月曜定休なのかよくわからない。
 タクシーの運転手が比較的近くの場所を案内してくれた。店には、アメリカ人らしきグループが何人もいた。ビールの小瓶が1本3米ドルであった。女の子も英語を話す。(支払いは米ドルで英語専用の店みたいであった) 最初に店にはいった時にいた女の子が背が高く、私好みであった。ストリップ・バーと言っても、誰も踊ってはいない。明朗会計で、飲み物を頼むごとに代金を払う。他には、料金がかからない。まったく人気のない所で、帰りのタクシーは捕まらない。店の前で、普通の車が待機していた。ホテルまでは、車代は1,100円ぐらいで少し高かった。
 3本ビールを飲んでいる間に、いつの間にか男性客はいなくなっていた。好みの女の子もいなくなっていた。何人かの女の子と話していたら、1時間70米ドルだという。あまり露出度の高くない服を着ている女性を選んだ。もちろん、セックスもしないし、口の奉仕も受けない。病気がこわい。バーの隣の部屋に案内された。服を脱いだら、全身タトゥーだらけであった。だから、全身服で隠していたのである。1時間と言っても、30分で終わるのはネットにも書いてあった。

ビル ・31日(火)は、カルタヘナからボゴタに飛行機で行った。時間は1時間半ぐらいである。カルタヘナでは日中30℃以上超えていた。ボゴタでは、6〜18℃ぐらいであった。ここは別の日に撮ったホテルからの眺めである。

ホテル ・ホテルは旧市街地に近い「地球の歩き方」に載っていたホテルである。値段は朝食付きで、4泊22,500円を切るぐらいであった。1泊5600円である。キッチンも付いていて、隣に同じ広さのベッドルームやロッカー、洗面所などがある。
 どうしてこんなに安かったのかというと、大晦日の日だったからである。今まで、年末は南の島に行っていて気がつかなかった。昔、バンコクで泊まった時にも、広い部屋を提供された。美術館やレストランなどは、正月の間は休みになるからである。ボゴタのツアーでさえ、なかなかやっていなかったぐらいである。やっと2日に一部の店が開くぐらいである。

夕食 ・それでも、この日は近くをうろうろしてみた。夕食は、現地のマクドナルドかなか卯みたいな所で注文した。ビールを含めて、1,000円もかからなかったと思う。ボゴタは、カルタヘナのようなリゾート地とは違うので、タクシー代も含め物価は遙かに安い。
 夜は、悪名高い売春街であるサンタフェに歩いて行ってみた。どんな所かちょっと見学したぐらいである。ホテルには暖房がはいっていないので、夜は寒かった。厚手の上着のシャツを着て、そのまま寝たぐらいである。たまたま見つけた南米をバスで旅している人のブログを読んだ。ペルーからの国境越えでは、夜のバスの中の温度は2〜3℃で、凍え死ぬほど寒くかったという。

青空市1 ・結局、1日(水)は旧市内を歩いたりしていた。街の雰囲気はこんな感じである。観光地はどこも安全である。パトカーというより、バイクに乗った警察官が多かった。あちこちに立って、警戒をしていた。どこの国も観光に力を入れている。

青空市2 ・古本からありとあらゆる物を売っていた。もしかした、盗品もあるかもしれない。

青空市3 ・あちこちの壁に落書きがしてあった。  

車 ・演説をしている人もいた。車に張られた幕は、何か政治的主張なのかよくわからない。

アート画1 ・街のあちこちに、こんなアート画があふれている。

アート画2 ・私が1番気に入った絵である。

街角1 ・青空が出たり、雲が厚く覆ったりしていた。

街角2 ・この雰囲気も好きである。

アクセサリー売り ・あちこちで手作りのアクセサリーが売られている。

トランスミレニオ ・ボゴタには地下鉄はない。その代わりに、バスが3台連ねたトランスミレニオがある。専用の道路を走っている。

グアタビータ1 ・1日はどこの旅行代理店も休みだったので、トリップ・アドバイザーで1日ツアーを探した。ところが、1人での参加になると、とたんに値段が上がる。どうも他の観光客がおらず、参加者が私1人なので値段が上がるようである。この2日(木)のツアーは1人参加でも値段が上がらなかったので、申し込んだ。値段は85米ドルである。
 ここはグアタビータである。香港の2組のカップルが途中まで一緒である。この車には、英語を話すガイドが付いていた。私1人にスペイン語しか話さないガイドが別の車を運転していた。

グアタビータ2 ・ここはかっての闘牛場である。他の建物などは、あまり魅力的ではなかった。

ラグーン1 ・ここは帰りの道である。ラグーンまでは、山道を登っていく。

ラグーン2 ・ここがラグーンである。

昼食 ・先ほどの香港人とは、ラグーンで別れた。ここは昼食をとった場所の近くである。牛肉が名産物のようである。

塩の教会1 ・ここはシバキラの岩塩鉱山の採掘現場後に作られた塩の教会である。かなり広く、あちこちに十字架が立てられている。

塩の教会 ・こんな大きなホールもある。この日は、12時間近くの1日ツアーであった。

令和2年1月7日(火)

 明けましておめでとうございます。年末年始はコロンビアのカルタヘナボゴタに行っていた。きのうの朝6時半に成田空港に着き、空港バスで羽田空港まで行き、伊丹空港まで帰ってきた。京都駅八条口に着いたのは、正午過ぎであった。昼に早く着くと、楽である。きのうは医院に帰って、山ほど溜まっていた郵便物や年賀状の整理をしていた。コロンビアの首都であるボゴタと日本の時差は14時間である。ボゴタが遅れている。ちなみにタイは日本より2時間遅れである。メキシコ・シティまでの往復はANAのビジネスクラスで行った。行きと帰りで飛行時間が変わり、12時間と14時間ぐらいであった。
 飛行機の中は、ずっと薄暗い状態で、いつ寝たらいいのかよくわからなかった。食事は2回付いているので、1回目の食事が終わってからすぐに寝た方が良かったのかもしれない。(成田の出発は午後4時40分なので、最初の食事が終わるのは、まだ午後7時過ぎぐらいである) 座席はフルフラットになる。しかし、行きも帰りもあまりよく眠れなかった。まだ、身体のリズムが戻っていない。この日記も夕食をとった後は15分ほど寝て、また書き出している。いつもはビールを飲みながら書いている。しかし、ビールを飲んだらそのまま寝てしまいそうで、こわくて飲めない。
 12月26日(木)に成田を出発し、メキシコ・シティに着いたのは、現地時間の同じ日の午後2時ぐらいである。(メキシコは日本より15時間遅れで、何が何だかわからなくなる) アメリカと同じで、トランジットでも一旦入国手続きをし、荷物を受け取ってまた出国手続きをしなければならない。しかし、アメリカとは違って、ややこしい荷物検査はない。
 メキシコ・シティの空港は雑然としていた。特に第2ターミナルは、トイレが少なくて、大の方は長い列を待った。現地時間の午後6時半の飛行機でボゴタに行った。飛行時間は5時間ちょっとである。エコノミーで充分である。27日(金)の夜中にボゴタに着き、朝5時半出発の国内線でカルタヘナに行った。1時間半の飛行時間である。カルタヘナに着いたのは、朝7時過ぎであった。着いた時には、もうふらふらである。京都駅八条口から空港バスで出発し、カルタヘナの空港に着くまでにかかった時間は、計34時間ぐらいであった。「世界の村で発見!!」並みである。
 今回の旅行では、カルタヘナに4泊、ボゴタに4泊した。この後のことは、写真付きで解説する。

地図 ・コロンビアの首都はボゴタである。アンデス山脈の上にあり、標高は2640mになる。そのまま北のカリブ海に行くと、赤いマーカーで印したカルタヘナ(Cartagena)がある。カルタヘナはアメリカにも近いので、アメリカ人観光客も多い。コロンビアではスペイン語以外は、英語も含めほとんど通じない。それでも、まだ簡単な英語は通じる方である。

ホテル ・カルタへナでは4泊した。最初の2泊は旧市街の城塞内のホテルである。後の2泊は、高層ビルが建っているボカ・グランデ地区である。このホテルは城塞にも、時計門にも近く、ロケーションは最高であった。しかし、朝食付きで1泊1万3千円の割には、部屋は狭く、右下に冷蔵庫の一部が見えるぐらいである。机もない。WiFiはつながるので、スマホで地図を見ていたら、28日(土)の宿泊代は1万7千円台もした。
 観光客が多くて、物騒な所でもなさそうである。しかし、ホテルへの出入りは受付の人にいちいち鍵を開けてもらわないといけない。27日(金)は朝7時過ぎに空港に着き、8時頃にタクシーでホテルに着いた。チェックインは午後3時からである。受付の人は英語を話せなかった。新しいポケトークを持って行ったので、超過料金を払うからすぐにチェックインできるように頼んだ。(early checkinとlate checkoutは覚えておこう) 結局、超過料金は取られずに済んだ。そのままバタンキューで寝て、起きたのは午後3時であった。

セントロ ・ホテルの近くのバス通りである。

城塞1 ・旧市内は約4kmに渡って、城塞で囲まれている。向こう側が海である。

カフェ ・城塞の上に、こんな広いカフェがある。夕日は、見えている海に沈む。この日はあまり天気はよくなかった。

城塞2 ・年末で、大勢の観光客がいた。

城壁3 ・こんな感じで、城塞はずっと続いている。

旧市街1 ・旧市街地は道路が狭い。しかし、何とも言えない雰囲気があり、歩いていても楽しい。

寺院 ・ここは、サン・ペドロ・クラベール寺院の前の広場である。

時計門 ・この建物は、時計門である。クリスマスから新年のための照明なのか、よくわからない。すなおに、きれいであった。

ダンス1 ・城塞近くの公園みたいな広場で、ダンスを踊っていた。

ダンス2 ・しっかりと生演奏である。

ダンス3 ・私の1番感動したのは、このグループのダンスである。激しいビートに、躍動感あふれるダンスが何ともいえず、魅力的であった。激しい踊りなので、踊っている写真はみんなぶれてしまっていた。そのかわり、動画はたっぷりと撮ってきた。  

夕食 ・ホテルの近くの小さな広場で夕食をとった。オープンエアーである。下にごはんが味付けされ、海鮮料理が載っている。ビールを頼んで、全部で約5万ペソ(1700円)ぐらいであった。ごはんが水分を含んでいて、美味しかった。

カフェ・ハバナ ・カルタヘナで1番夜がにぎわっている場所である。カフェ・ハバナサルサなどのラテン・ミュージックをしている。列になって客が並んでいたので、はいることはあきらめた。

肖像画 ・近くの通りでは、こんな絵が壁に描かれていた。きょう気がついたことである。壁に、ガブリエル・ガルシア・マルケスと書いてあった。ノーベル文学賞を受賞したコロンビアの作家である。昔、「100年の孤独」を読んだことがある。内容は、今となってはぜんぜん覚えていない。

広場 ・ここも近くの広場である。角に、カフェ・ハバナがある。今回コロンビアに来て、サルサに目覚めた。昔、日本でもサルサが流行ったことがある。私はプログレに凝って、民族音楽にも興味を持っていた。当時は、それほど興味を引かなかった。
 しかし、あれから何十年と経ち、サルサが進化しているのである。タクシーの中でかかっていた曲があまりにも素晴らしく、タクシーの運転手に曲名をメモをしてもらったぐらいである。まだ、時間がなくて調べていない。そのうちYouTubeで検索してみようと思っている。

通り1 ・28日(土)は、旧市街地を観光を兼ねて歩いていた。近くの島に行くための旅行代理店も探していた。すぐ近くにも、島巡りのパンフレットを置いている所があった。しかし、英語が通じない。狭い通りでも、見所満載であった。

通り2 ・こんな風景があちこちで見れる。

宗教裁判所跡 ・ここは宗教裁判所跡である。いわゆる魔女狩りをしていた場所である。いろいろと書きたいことがあるが、時間がないので省略する。

風景1 ・歩いていて撮った街の風景である。

風景2 ・いい雰囲気である。

風景3 ・この色合いが何とも言えない。

風景4 ・こんな建物があちこちにある。

城塞4 ・きのうと同じ城塞の上である。この日は天気がよかった。

時計門2 ・29日(日)の朝の時計門である。この近くにリゾートアイランド・ツアーのボートの発着場がある。前日に英語の話す旅行代理店で、この日と次の日の予約をした。ホテルまでは迎えには来てくれなくて、このボートの発着場が集合場所であった。集合時間は朝8時過ぎであった。

ビーチ1 ・ジェットボートで45分ぐらいの場所である。途中、エンジンが故障して他の島で代わりのボートを待った。ここは避難していた島である。

ビーチ2 ・こちらが本来の目的地である。Luxury Beachである。申込書をクーポン代わりに係の人に渡してしまったので、値段をよく覚えていない。ボート代は別で、ランチ付きで7千円近くかかったと思う。

ビーチ3 ・天候がよかったので、カリブ海の青さを楽しめた。

ビーチ4 ・昼食は小さなテーブルを囲んでした。1人で参加していたのは、私を含め男3人であった。他の2人はカナダ人で、別々である。もう1人のカナダ人とは、食事の後でビールを飲みながらいろいろと話していた。

ビーチ5 ・あまり広くないビーチであった。次の日も、別の島に行く。ツアーの難点は、朝が早いことである。また、朝8時に船着場に集合である。ゆっくりと夜遅くまで過ごすことができない。


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