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もんもん日記

ここではもんもん博士の日々のエピソードや思いついたことなどを日記でご紹介します。
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令和1年12月31日(火)

 この日はコロンビアのカルタヘナからボゴタに移動します。この日の日記の更新は中止します。コロンビアの旅行については、1月7日(火)の日記で詳しいことを書きたいと思います。

令和1年12月24日(火)

 きのうは何とか夜遅くに、年賀状を書き終えた。きょう郵便局に出しに行った。以前に、京都駅の郵便局で年賀状を出したら、年末に早々と着いてしまった人がいた。今回は心配だったので、郵便局の人に直接手渡した。これで、今年書かなければならない書類などはすべて終わった。明日来る郵便物やFAXの類いは、急用でなければ来年である。
 さて、年末年始に行くコロンビアである。いつも直前にならないと、詳しいことは調べない。ネットの記事も最近本格的に読みだした。コロンビアはブラジルよりもっと英語が通じないようである。たまたま日曜日に、「地球の歩き方」を読んでいた。税関申告書の記入例が載っていた。いつも英語の書式なので、今回も特に気にもとめていなかった。しかし、よく読んで見たら、スペイン語の税関申告書であった。ふつうはどこの国でも英語の書式も用意している。ところが、スペイン語のみである。航空会社から来るメールもスペイン語だけである。
 空港や大きなホテルでは何とか英語は通じるだろう。しかし、簡単なスペイン語が話せないと、町に出てもどうしようもないようである。ブラジルも英語がほとんど通じなかった。しかし、コロンビアよりまだ観光地としては有名である。英語圏の人も大勢来る。中南米には、行きたい国がたくさんある。スペイン語は簡単な単語だけでも覚えようと思っていた。しかし、いつも締め切りのある書類で追われ、時間ができても、何もやる気がしなかった。26日から出かけるので、もう2日もない。これから、ハウマッチと数字ぐらいは覚えていこうと思う。幸い、YouTubeには20ぐらいまでの必須スペイン語フレーズがアップロードされている。(今から無駄な抵抗のような気もするが)
 カルタヘナはカリブ海に面し、25〜30℃である。ところが、ボゴタは2600メートル以上の高知にあり、10〜16℃ぐらいである。夏用と初冬用の服を用意していかなけれならない。これから準備しなければならないので、きょうの日記は手を抜く。長期休暇になると、郵便物がポストに溜まる。夏休みのときには、途中娘に郵便物を取りに来てもらった。年末年始はどこも休みになるので、年賀状以外あまり郵便物は来ない。しかし、今回は早めに休むので、アマゾンで郵便ポストを買った。ホームセンターで充電式電動ドライバーを買ってきて、きのう自分で壁に取り付けた。頼んでもいない分厚いカタログなどが送られてくると、すぐにいっぱいになってしまう。  最後に、今年に出かけた海外旅行について簡単にまとめる。

チャーン島・クード島 ・12月30日(日)〜1月5日(土)。タイのチャーン島とクード島。チャーン島は家族連れにも易しい施設が充実している。クード島はまだ手つかずの自然が残っている。飛行機を使ったらアクセスは良好。是非とも、お薦めの南の島である。

シキホール島2月7日(木)〜2月11日(月)。フィリピン・シキホール島。ここも穴場である。 ・

イグアス・マナウス・サンパウロ ・4月25日(木)〜5月8日(水)。ブラジルのイグアス・マナウス・サンパウロ。アマゾンのジャングル・ロッジは少し物足りなかった。もっと奥地まで行かなければと思った。

クイアバ・ポコネ・リオデジャネイロ ・8月11日(日)〜8月22日(木)。ブラジルのクイアバ・ポコネ・リオデジャネイロ北パンタナールの拠点となるクイアバから100km離れたポコネまで、ネットで予約していたレンタカーを借りた(まったく英語は通じない)。道に迷いながらたどり着いたのは、我ながらその無謀さと大胆さに感心した。

シラチャ ・11月2日(土)〜4日(火)。タイのシラチャ。パタヤの喧噪に飽きた人にはほっとできる場所である。シーチャン島もお薦め。

令和1年12月17日(火)

 年末になると、やはり忙しくなる。年末に患者さんが少なかったら、その医療機関はもう終わりである。どんな仕事でも、シーズンなどに応じたかき入れ時がある。きょうも午後から往診に行ってきた。南区に住んでいる何人かの患者さんである。別の患者さんで、外来に患者さんの付き添いしてくるヘルパーさんがいる。このヘルパーさんと話をしていたら、訪問介護などでも、南区は駐車場が見つからなくて困っているという。
 きょう往診した患者さんから、近くの大きなスーパーがホテルになると聞いた。何回も通っているのに、今までまったく気がつかなかった。いつも渋滞しているので、前の方ばかりに気を取られていた。すっかり広い平地になっていて、ホテルの建築が始まっていた。もう一件の患者さんの所は、マンションなどが建って、近くの駐車場はいつも満車である。比較的空いていた堀川通りの駐車場も、ここ最近は満車である。何とか細い通りの狭い駐車場に止めることができた。ここも患者さんの家からは遠く離れている。どうせ離れているなら、これからはテルサに停めようかと思った。ここは最初の30分は無料で、30分〜1時間で440円(?)だったと思う。駐車場を探すためにうろうろするのは、ストレスである。
 コインパーキングがどんどんと少なくなっていったら、仕事で車を使っている人はこれからどうするのだろうと思う。事業所を訪れるなら、そこの駐車場があるかもしれない。しかし、顧客の家などを訪れるときは困る。以前に、駐車場が見つからない患者さんの家の近くで駐車をしたら、駐車違反で1万5千円(?)の罰金を取られたことがある。医院の近くに借りている駐車場は月極である。これからは、都市部の便利な場所にある月極駐車場も少なくなっていくのではないかと心配している。駐車場のために、高い土地を買う時代が来るかもしれない。
 先週の土曜日は、年に2回ある大学の同門会の集まりがあった。正式には、京都府立医科大学精神医学教室同窓会叡修会である。この叡修会には、他大学の医者だけではなく、臨床心理士などの人もいる。この年末の叡修会が催される前に、毎年出している叡修会誌が送られてきた。会員名簿もはいっている。もう亡くなったお世話になっていた院長が、名簿が段々前になってくると話していたことを思い出した。全部で30ページあり、私の名前は6ページ目に載っていた。昭和54年(1979年)卒である。私がお世話になっていたもっと若い先輩の先生の勤務先が空白になっていた。この年末の集まりで他の先生に聞いたら、1度倒れて車イスの生活になったようである。団塊の世代で、少し前までダンディに院長として活躍していた。
 名簿を見ていて、ひとつ気がついたことがある。ほとんどが女性である。結婚などで名字が代わると、(旧姓○○)と書いてあるのである。大学卒業時の名字と変わるので、誰であるのか旧姓まで親切に併記してある。女医さんの場合、誰が結婚して、誰が独身なのか聞きづらい。しかし、この名簿を見たら、一目瞭然なのである。(婿を取ったら、別である) 男性については、名字が変わらないので、誰がまだ独身なのかはわかりにくい。せいぜい、自分の近くの世代がわかるぐらいである。30代前半ぐらいの女医さんは、まだ独身の人も多かった。
 いつものように、3人の先生の演題発表があった。その後で、基調講演があった。講師は名古屋大学大学院工学研究科の準教授である。演題名は「人らしい見かけを持つロボットの製作を通じた対話研究」である。この先生は、アンドロイド研究で有名な阪大の石黒教授のもとで講師をしていた。話の内容は、本当に面白かった。最初に、録音禁止と言っていなかったので、録音をしていたらよかった。だから、メモを簡単に取っただけなので、正確さに欠き、あまり詳しいことは紹介できない。
 最初は、非言語のみの自律(自立?)を持つロボットで、次第に進化して完全自律型のマネキンが作られている。ジェミノイド、ミナミ、エリカ(だったと思う)と発展してきている。うろ覚えの部分をネットで補強しようと思ったが、「インテリジェント・マネキン」で検索しても、最初の方ではまったくヒットしてこなかった。ロボットでの人間の音声認識は、簡単ではないようである。パソコンやスマホのソフトで、音声認識はできている。しかし、話しかける時には、聞きとれるように、大きな声でわかりやすい言葉を使っている。ふつうの会話の認識は、簡単にはいかないようである。
 デパートでアンドロイドが実際に使われている動画も見せてもらった。介護や幼稚園などで使われている動画もあった。マネキン型のロボットは、即座の反応が求められる。素人ながら、大型AIコンピュータと結んで、処理能力を高めることはできるような気もする。しかし、それでは自律型にはならず、どうしてマネキン型にしなければならないのか、本質的な問題に突き当たる。今の段階では、いろいろな可能性を秘めているが、それほど何でもできるわけではないようである。
 テレノイドという、わざとのっぺらぼうのような顔をした抱きしめ人形のようなロボットが出てきた。人間の想像力で、欠けた部分を補完してくれるという。さて、アンドロイド型ロボットの商品化である。今はまだ珍しい段階なので、人寄せパンダ的な利用はできる。しかし、もうちょっといろいろなことができるようにならないと、すぐに飽きられてしまう可能性もある。ホテルなどの受付の接客も簡単にできるかと思ったら、お客さんと会話して、完全に自律してやるのは難しいようである。「変なホテル」では簡単な指示(例えば、予約番号を入力して下さいなど)を出すぐらいなのか、よくわからない。
 人間は何でもすぐに慣れて、飽きる動物である。アンドロイドもどんどんと進化していかないと、飽きられてしまう可能性がある。犬や猫などのペットがかわいいのは、言葉をしゃべらないからである。「何回も呼んで、まったくうるせえな」とかしゃべったら、かわいげがなくなる。現在のアイボは、学習型でどんどんと飼い主の特徴を覚えていくようである。どこまでできるのか私は詳しくない。ペットがしゃべらないことを逆手にとって、高度なペット型ロボットの方が、まだ需要があるような気がする。わざわざスペースを取る人間の形にするなら、セクサロイド(人間とのセックス機能に特化したアンドロイド)の方が実用的かもしれない。家事ぐらいだったら、各家電をロボット化する方が便利である。
 懇親会では、ふだん話せない人と話すことができてよかった。たまたま同じ立ち席のテーブルに大津市民病院の部長と大津で開業している先生がいた。最初は、2人とも、誰であったのかよく思い出せなかった。ここでも何回も書いているように、私は2〜3年ごとにあちこちの病院に医局から派遣されていた。関連病院である高知市の精神科病院にも行かされたし、国立福知山病院にも行かされた。神戸の社会保険病院にも行っている。滋賀県は、滋賀医大や大津の精神科病院にも行った。
 退職金はぶつ切れになっている。しかし、あちこちの病院に行っているので、高知、神戸や明石、滋賀県、福地山や舞鶴の京都府北部での人脈ができた。大学の関連病院がある所は、ほぼ網羅している。だから、誰とでも共通の話題はある。知らない若い人にでも、現在の病院事情などは聞ける。今回の2人はベテランで、昔は話をしていた先生である。滋賀医大に行かされている時には、私より学年下で最近滋賀医大を引退した教授や、学年上の阪大系の先生がいた。この時には、長浜の精神科病院に週1回アルバイトで行かさせてもらっていた。ここの院長は気さくで面倒見のいい先生で、今でもお世話になったと感謝している。当時関西医大系の病院であった。関西医大から派遣されていた先生と話すこともあった。この先生とはその後の交流はない。現在は関西医大の教授となっている。2021年の日本精神神経学会学術総会の会長をする。
 現在の滋賀県の精神科医療の現状を聞かせてもらって、当時のことを懐かしく思い出していた。阪大系の先生は草津などで今は開業している。滋賀医大に行っている時には、正直に言って地獄であった。何も興味のない液晶クラマトグラフィを使った生化学の動物実験を手伝わされ、ラットの飼育もしていた。DSM−Vを日本で初めて導入した当時の教授は、東大卒の論文至上主義者であった。2年間しかいなかったので、その後のことは知らない。当時は臨床のことより、研究至上主義であった。この教授に対してはいろいろと批判はできる。しかし、前にも書いたように、この先生のおかげで、どこの病院に行ってもこつこつと論文を書く癖はついた。そのおかげで、最後には京都第一赤十字病院部長に返り咲くことができたと思っている。

令和1年12月10日(火)

 先週の土日は忙しかった。いつも書類書きなどの雑用は、締め切りのある物から処分していく。年末はいつもなら29日から休みにする。しかし、今年は早めに27日から休む。こう書くと誤解を生じるので、正確には木曜の休診日になる26日からである。ここでも何回も書いているように、南米のコロンビアに行く。もう年なので、元気なうちに本当は1ヶ月ぐらい行きたい。このことを話すと、患者さんはあまり文句は言わない。実際に、1ヶ月処方の患者さんも多く、年末年始なので、それほど迷惑をかけるわけでもない。
 今月もいつの間にか、会計事務所に送る資料が2ヶ月分たまってしまった。振り込み用紙や領収書などが多いわけではない。通帳をコピーして、2ヶ月分の整理をしていたら、1時間半ぐらいはかかる。12月中に書かなければならない継続の自立支援医療や精神保健福祉手帳の診断書も書いていた。新規の患者さんもいる。私の医院にはA3用のコピー機がないので、手帳用の診断書はA4に2枚書いて、コンビニでコピーしてくる。月曜日にすぐに送れるように、すべて私がやっている。他にも、精神科訪問看護指示書や介護保険の意見書、障害年金用の診断書などがどんどんと溜まっていく。私は締め切りが近づかないと、なかなかやる気にならない。年末は忙しくなるので、今回の土日は覚悟を決めてほとんど書類書きなどをしていた。
 コロンビアのボゴタとカルタヘナのホテルの予約はまだできていない。きょうはこの日記を書かなければならないので、明日にしようと思う。自炊して夕食を取り、書き終えるのが毎回夜の11時ぐらいである。まったく行ったことのない国のホテルをネットで予約するのは、けっこう大変である。治安の問題や観光地などとの距離を考えると、事前にいろいろと調べなければならない。もう2週間を切りそうなので、いつまでも面倒臭がってもいられない。年賀状の注文は、きのうの夜遅くにネットで頼んだ。
 現在、国の安全保障について書いた本を読んでいる。私は平和憲法を、米国に頼らず遵守することについては賛成である。しかし、日本の安全保障は米国におんぶにだっこで、この部分に目をつむって平和憲法を叫んでも、どこの国も相手にしてくれない。基本は、自分の国は自分で守るである。その上で、他の国と必要な協定を結ぶである。私は憲法改正派であることは、いつも言っている。
 しかし、歴史修正主義者である安倍首相のもとでの憲法改正は反対である。危険である。最初は、憲法改正で戦前の教育勅語を取り入れるようなことを提案していた。教育勅語にはいろいろ書いてある。要するに、天皇に忠義を尽くすこと(戦時中は天皇のために死ぬこと)が美徳であるとする皇国史観に基づいた教えである。森友学園が経営する塚本幼稚園では、園児たちにこの教育勅語を暗唱させ、安倍首相の昭恵夫人が絶賛していた。また、現在でも国会議員が100人以上、靖国神社参拝をしている。
 こんな安倍首相のもとで憲法改正をしたら、日本はかってアジアを侵略した歴史の反省もなく、再軍備して再び軍事大国になると各国から非難を浴びるだろう。歴史修正主義者が日本の憲法を変えようとしたら、アジアの国々が警戒することを忘れてはならない。安倍首相に憲法改正をする資格がないのである。安倍首相は、自ら右翼と結びつくことで、国の安全保障について真剣に考えている憲法改正派を反対派に変え、こんなチャンスの時を自ら潰しているのである。今読んでいる本は本当に面白い。なるべく早く読み終えて、今週のトピックスで詳しく紹介する。

げんざ ・前回と同じように、精神障害のための福祉制度について書く。興味のない人は興味がないだろう。前回も書いたように、精神科医自身も各種の診断書は書いても、制度そのものに詳しいわけではない。精神科医にとっても、役立つことを書こうと思う。  この本は、監修 厚生省大臣官房障害保健福祉部精神保健福祉課「精神障害者保健福祉手帳の手引き(診断書作成・障害等級判定マニュアル)」(財団法人 日本公衆衛生協会)である。出版されたのは,1997年(平成9年)3月である。本の中に、「平成13年度 京都市精神保健福祉協議会審査部会の開催予定」の印刷物がはいっていた。私が京都市の嘱託で、部会の委員をしていた時である。会場は、職員会館かもがわとなっていた。京都市が作成した神経症の取り扱いを書いた印刷物もあった。(平成12年12月12日) 通院医療費公費負担(まだ、自立支援医療とはなっていなかった)や手帳の判定の際の注記である。
 神経症の取り扱いとして、@社会適応の程度 A病状の重症度 B他の精神疾患合併症の有無 C32条または45条を適応せねばならない理由を考慮して該当するかどうか決めるとなっており、病名に「重症」の明記が必要で、摂食障害も「重症記載」が必要、行為障害は認めないとなっていた。平成14年の印刷物にも同じようなことが書かれていた。
 この本には、不安神経症例が載っている。不安発作が月に1回程度生じ、予期不安がある。対人交流を自ら減らし、緊張した状態での社会生活で、何と精神障害者保健福祉手帳で等級3級に該当するとなっていた。こんな程度の患者さんを3級にしていたら、精神科に通院している患者さんは全員障害等級3級になってしまう。京都市から厚生省に問い合わせをしてもらったが、明確な回答はなかったようである。だから、京都市では、神経症の患者さんは原則的には通院医療費公費負担は認めていなかった。実際に、私の医局の教授が書いた神経症の患者さんでも、公費負担の申請を認めなかった。
 さて、現在の自立支援医療(医療費の負担が3割から1割になる)は、法律の一部が平成18年(2006年)から施行されるようになった。これまでの通院医療費公費負担の診断書から自立支援医療用の診断書に切り替わった。この時に、京都市に送られてくる山のような診断書の審査が必要であった。審査部会では処理できないので、それぞれの委員が時間のあったときに出向き(当時はこころの増進センターという名前はついていなかったと思う)、部屋の中に籠もって山のような診断書の審査をしていた。自分の医院の診断書を全部切り替えて書き直さなければならなかった。これだけでも大変な時に、私は時間を見つけては出かけて審査した。他の委員の先生に聞いたら、それほど頻繁には出ていなかった。この切り替えの審査には私が1番貢献していたぐらいである。
 京都では、長いこと通院医療費公費負担で神経症の患者さんを認めていなかった。この影響で、自立支援医療になっても、神経症の患者さんにこの診断書を書くのに抵抗がある精神科医も少なくない。厚労省の出している指針では、自立支援医療の対象者を見ると、精神科に通院している患者さんはすべて全員となる。「重度かつ継続」でなくても、認められる。「重度かつ継続」は医療費の負担上限額などが下がる要件である。
 精神科に通院している生活保護を受けている患者さんは、自立支援医療にすると、京都市が医療費を払わず、国が払ってくれる。厚労省の指針を見ていると、軽微な不眠症の患者さんや内科で自律神経失調症と言われるような患者さんも自立支援医療の対象となる。リューマチの患者さんが、免疫抑制剤などの薬が高く、月に医療費が3万円近くかかると言っていた。リューマチだけではなく、ほとんどの病気は何の通院費の公費負担はない。福祉事務所は直接自立支援医療の診断書を書けとは言ってこない。問い合わせの書類には、よほどの理由がない限り、該当にしなければならない。
 なお、現在の精神障害者保健福祉手帳の診断書の等級は、1級と2級はほぼ障害年金の等級に一致する。3級については、障害年金の等級より、ややゆるく幅広くとって認められている。

生活・医療・福祉制度 ・精神障害の福祉制度に関する本は山ほど出ている。障害年金については、平成28年9月1日より、新たな等級判定のガイドラインの運用を開始しているので、最近出版された本の方がいい。前回書き忘れたことも書いておく。「精神障害をもつ人のためのわかりやすい障害年金入門〜申請から更新まで〜」に書いてあったことである。知的障害の初診日は生まれた時でいいので、1年6ヶ月待つ必要はない。しかし、発達障害の患者さんの初診日は精神科を初めて受診した日が、初診日となる。さて、杉本豊和・伊藤千尋・守谷康文編「精神障害のある人と家族のための生活・医療・福祉制度のすべてQ&A」(萌文社)である。
 生活保護制度についても解説している。生活保護の窓口での「水際作戦」のことも書いている。「保護を受けたいがどうしたらいいでしょうか」と相談に来た段階で、本人に申請をあきらめさせるというやり方である。この前の日記で書いたように、門前払いである。厚生労働省は生活保護指導監査方針で、申請意思が表明された相談者には申請書を交付し、申請手続きについて助言することと強調している。対応として、役所でいろいろと言われたとしても、申請することが大切である。一緒に行ってもらう人が必要と書いている。保健師、病院の職員、作業所の職員、家族会の人などが挙げられている。
 在日韓国人(朝鮮人)や同和関係の人は通りやすい。長い歴史の中で、就職差別などでもともと生活水準が低かったからである。(貧困の負の連鎖が続きやすい) 共産党や公明党などの市会議員の口添えも有利と言われている。前回書いたように、何の根拠もなく、「精神科にかかっているなら障害年金の診断書を書いてもらえ」は、精神科診療所にとっては迷惑である。該当しなかったら、もう一度相談に来て下さいとも言わない。
 実は、今回この本で引用したかったのは、傷病手当のことである。精神科は、休養の診断書を書くのも大変である。極端な例では、遅刻を何回もしていて、上司から厳しく注意されて、もうこわくて仕事にいけないという人もいる。前にも書いたが、ある症例集に載っていたケースである。新入社員の研修の時に、部長が話をしている時に、ガムをくちゃくちゃさせていた女子社員がいた。部長が怒って、「そこ、何をしている!」と怒鳴りつけたら、次の日から診断書を出して、ずっと休んでいた。まだ試用期間中だと思うが、一流企業ほど、簡単には解雇しない。ここまで極端ではないが、同じようなケースは何人も経験している。診断書を書いていて、あまりにも期間が長くなってくると、この人はいつまで休むのかと思ったりする。公務員の患者さんで、3年間休み続けて、そのまま定年退職になった人もいる。
 上司や同僚に対する拒絶反応が強いと、体調が回復しても、会社が近づくと吐き気がしたり、冷や汗が出たり、動悸がして出勤できない人がいる。家にいる時には、元気である。こういう患者さんの扱いも難しい。傷病手当は仕事を休み始めてから4日目から支給され、最長1年6か月までとなる。会社の健康保険に加入していた期間が1年以上必要である。
 1日につき、その人の標準報酬日額の約3分の2が支給される。途中仕事に復帰してまた休みだしても、当初から1年6か月で終了である。1度、傷病手当を支給されても、3年ぐらいの間があくと、同一傷病名でもまた支給される。途中で退職しても、支給される。会社をやめたら先ほどの拒絶反応もなくなる。しかし、その後ももらい続け、目一杯の1年半になる人も多い。本人が仕事に行けないと言ったら、精神科医はどうしようもない。身体疾患のように、検査結果に異常がないと言えないからである。仕事ができるはずと断言できない。ただ、障害年金の診断書と違って傷病手当には期限があるので、割り切って診断書を書くしかない。 

令和1年12月3日(火)

 今年の年末年始は1人でコロンビアに行く予定である。飛行機はすでに予約した。ホテルはまだである。3週間ほど前になったので、早くしなければならない。年末にフィリピンのエルニドに行った時には、バタバタしていて直前にホテルを予約した。この時には、ほとんど部屋が残っていなかった。ブラジルやコロンビアに1人で行くというと、みんな治安を心配する。ブラジルについては、この日記でも書いたように、少し気をつけていたら安全である。観光客も多い。コロンビアについては、英語ツアーで一緒になった人たちが、安全で町の雰囲気もよかったと言っていた。男性だけではなく、女性もである。
 ほとんどの人が知らないことだと思う。実は、11月21日にコロンビアで大規模なストライキが起こった。公共交通機関がほぼ停止した。南米ではエクアドル、チリ、ボリビアでも今年に入って大規模なデモが繰り返されている。ネットによると、コロンビアでは大規模ストに備え、国境が封鎖され、これらの国からの陸路や海路での入国が一時できなくなった。一部の過激なデモ隊が駅や商業施設の破壊や強奪などの暴力行為もした。政府は、地方自治体の首長が夜間外出禁止やアルコール飲料の販売禁止といった臨時措置を講じることを許可した。私も暴徒と一緒に宝石店を襲ったら、監視カメラに映っていて、永遠に帰国できなくなるだろう。
 1番心配していることは、暴徒化した大規模な抗議デモそのものより、予定通り帰国できないことである。夏休みにブラジルに行った時でも、午後に帰ってきて、次の日は外来であった。翌日に介護保険の審査会もあった。この書類は、医院に着いてすぐに読んでいた。今回も、帰国後の翌日に外来である。これまで、海外旅行で、帰りの飛行機が現地でキャンセルになったことは2回ある。1回はマカオであった。マカオの空港は海に近く、冬は霧が立ちこめる。朝から夜遅くまで空港で待ったが、結局飛び立てなかった。もう1回は、タイのサムイ島である。ここでも、出国手続きはしたのに、ハリケーンか何かで飛行機が急にキャンセルとなった。パンガン島に船で渡っていたら、サムイ島にさえ戻ることができなかった。
 もしかしたら、大規模ストのおかげで、ホテル代は安くなっているかもしれない。こういう場合は、高級ホテルがいいのか、中級ホテルのがいいのか迷う。テロではないので、ムンバイのように高級ホテルが狙われることはないだろう。しかし、暴動のようになってしまったら、かえって中級ホテルの方が安全かも知れない。私は高級ホテルに泊まったことはないので、今回も格安ホテルである。まだスペイン語の勉強はほとんどできていない。中南米にはあちこち行ってみたいので、簡単な単語だけでも覚えていこうと思う。
 さて、きょうはすでに読み終えていた、本郷和人「世襲の日本史 『階級社会』はいかにうまれたか」(NHK出版新書)を紹介するつもりであった。帯には、日本社会は「地位」より「家」と書いている。まえがきでは、お医者さん、芸能人、政治家の地位は、しばしば世襲で受け継がれていくと紹介されていた。著者は医者、芸能人、政治家を一緒に考えていて、少し期待外れであった。誰も批判しないので、前からしつこく書いている。政治家は選挙で選ばれるのである。ところが、大した能力のない人が世襲で選ばれている。こんなにも世襲議員が多い国はない。ウィキペディアを調べて見たら、他の国の例外的な政治家を挙げて、世襲制が当たり前のような印象操作をしていた。私は日本史は弱いので、この本を読んで勉強にはなった。また別の機会に紹介しようと思う。
 今回はどうしても書きたいことがあった。前から、思っていたことである。ここでも、精神科関係の診断書については問題点を書いていた。日曜日ときのうと、怒り心頭に発する出来事があったので、もう我慢できなくなった。今週のトピックスで取り上げる。

今週のトピックス 88 (191203)

井坂武史「精神障害をもつ人のためのわかりやすい障害年金入門〜申請から更新まで〜」 (コンポ)
井坂武史「精神障害をもつ人のためのわかりやすい障害年金入門〜申請から更新まで〜」 (コンポ)

 きょうは精神障害の障害年金について取り上げる。精神科医は、患者さんなどの要請で診断書を書いたり、精神科医自ら障害年金の申請を勧めることもある。実は、この前の日曜日は障害年金の更新の診断書を2通書いていた。1人は統合失調症の患者さんで、誰がどうみても障害等級2級に該当する。もう1人の患者さんは、双極性感情障害(いわゆる躁うつ病)で、最近他院から当院に転院してきた。前の主治医の年金の診断書を見たら、「日常生活能力の判定」が1つを除いてすべてすべて最重症の4に○がしてあり、総合的な判定も最重症の5に○がしてあった。
 患者さんに聞いたら、最初に書いてもらったのは、警察に逮捕され、今は廃院した精神科医の所であった。その後、あちこちの医院を受診している。生活保護の患者さんで、前の主治医も困って、診断書を見てそのまま書いたものと思われる。引きこもりの生活を送り、社会適応能力は著しく低い。しかし、どこが双極性感情障害なのかまったくわからない。幻聴もあったと言うが、9ヶ月ばかりの診察で、そのことが話題になったことは1度もない。患者さんに聞いたら、障害等級2級をもらっていた。統合失調症で何回か入退院を繰り返している人がだいたい2級である。私はこんなでっちあげみたいな診断書を継続でそのまま書くつもりはない。主治医が偽の診断書を書いて、国から障害基礎年金を年間約77万円をだまし取ることになる。それでも、京都市は生活保護費さえ減らすことができたら、メデタシメデタシとなるのかもしれない。
 きのうは夕方、ある患者さんの家族から電話があった。1人暮らしのうつ病の女性患者さんで、最近亡くなっているところを発見された。警察から電話があった時には、自殺かもしれないと思った。この患者さんはパートの仕事を長いこと転々としていた。女性ばかりの職場が多く、人間関係も難しいということであった。50歳ぐらいの女性で、パートで家賃を払いながら生活するのは大変である。家族との折り合いが悪く、実家には帰りたくないと言っていた。この患者さんが、パート先をやめて生活が苦しいと区役所に相談に行った。この時に、年金課にまわされ、精神科に通院しているなら障害年金を書いてもらえと言われ、診断書をもらってきた。
 最近は区役所に行っても、こういう形で門前払いされる人が多い。この患者さんが私の所に受診した時に、障害年金に該当しないといくら説明しても、納得してくれなかった。経済的に困窮しているのはわかる。しかし、障害年金に該当するかどうかはまったく別である。この時に、厚生労働省や日本年金機構が出しているガイドラインを出して説明しても、年金課の人が書いてもらえと言ったの一点張りであった。この患者さんには、診察の時に40分以上説明して、何とか納得して帰ってもらった。最近は年金課で書いてもらえと言われて来る患者さんが多い。該当しないのに、説明にいつも最低30分は取られる。
 年金課の職員は相談したらといいと言っただけで、患者さんが勝手にそう言っているだけと言うかも知れない。ところが、きのう亡くなった患者の家族から聞いた話では、まだ障害年金を受けていないのかと言われたそうである。死因は、自殺ではなかった。家族が亡くなる前の年金の未払いを確認しに行ったら、死亡してももらえるので、書いてもらうように言われたという。
 今回は、紹介する本と重複する部分もあるが、椎野登喜子編著「障害年金相談対応マニュアル」(新日本法規)の方が、身体障害を含め障害年金の仕組みがわかりやすく書いてあった。2冊の本は、社会保険労務士が書いている。2冊目の本は共著者もいて、1人弁護士が加わっている。障害年金の受給を受けるには、初診日要件、保険料納付要件、障害等級要件がある。初診日要件や保険料納付要件は、年金係の人でもわかる。
 しかし、どうして、障害等級要件(年金に該当するほど重症か)がわかるのであろうか? 主治医に相談ではなく、書いてもらえである。毎回生活保護の患者さんのでっちあげみたいな精神の障害者保健福祉手帳や障害年金の診断書を書かされている。統合失調症の患者さんではなく、どこまでうつ病かわからないうつ系統の患者さんである。きのうは患者さんの家族からこのことを聞いて、本当にぶち切れた。きょうもこの日記を書いていて、障害年金課に怒鳴り込みに行きたいぐらい腹が立ってきた。京都市は、きちんと年金係を教育しろ!
 前にも書いたように、私はガイドラインがまだなかった頃から、精神障害の労災認定の仕事をしている。近畿圏では、1番古いぐらいである。長いこと、京都労働局で労災認定会議の司会をしていた。現在は京都第二赤十字病院の部長に代わっている。この部長も来年の3月に定年退職するので、新しい人に交代する。今は、労働基準局の人と私の医院で簡単なケースを検討し、労災の意見書を校正している。過去には、他府県の労災裁判の意見書を何件も国側に立って書いている。労災として認められなかった被災者が、裁判に訴えたケースである。この意見書はガチ勝負で、山のように送られてきた裁判資料を読みながら、最初から最後まで自分1人で書かなければならない。労災認定の基準は厳しく、パワハラでも職場の上司や同僚など徹底的に調べている。
 精神科医といえでも、制度としての障害年金についてそれほど詳しいわけではない。今回は2冊の本を読んで、私の知らないこともあった。とりあえず、精神科医にとっても役に立つ概要を簡単に書いておく。まず、最初の初診日要件である。最初は内科に通院していても、この内科が初診日となる。昔は、世間体を気にして、子どもが精神病とわかるを嫌がっていた。今みたいに不景気でなかったので、普通の家庭でも障害年金の申請をする人は少なかった。しかし、今は親が高齢化し、子どもの障害年金を申請しようと思っても、初診日がわからない人も多い。
 次に、保険料納付要件である。初診日のある月の前々月までの公的年金の加入期間の2/3以上の期間について、保険料が納付又は免除されていることである。20歳前に発病している場合は、年金を納付する義務がないので、「20歳前傷病」として、障害基礎年金の対象となる。国民年金しか納付していない人は、同じく障害基礎年金となる。障害者基礎年金は1級で年額約96万円である。子どもがいたら加算額などで、もっと増える。厚生年金を納付している人は、別に障害厚生年金の対象となる。障害厚生年金だけは3級まで出る。わかりやすく書くと、3級では基礎年金はなく、厚生年金の加入期間によって障害厚生年金だけが給付される。
 2冊の本で、神経症と人格障害は障害年金の給付対象とはならないと書いてあった。パニック障害は神経症に属する。新しい年金の診断書では、覚醒剤依存の項目も載っている。精神障害者保健福祉手帳は、アルコール依存の人がアルコールを飲んでいたら、交付の対象とはされない。時々覚醒剤をやっていたら、もちろん対象とはならないだろう。
 さて、問題の障害等級要件である。私がよく指摘しているように、入院治療もしておらず、患者さんのいうままに評価し、障害年金の診断書を書くのは重大なルール違反である。「障害年金相談対応マニュアル」の中で、患者さんに対するアドバイスが載っている。「障害年金が欲しいがために嘘の報告をしたり、実際より重い症状を書くように医師にプレッシャーをかけることは慎みましょう。実際、筆者も現場で多くの医師から社会保険労務士に対するこのような苦情を聞かされています」とある。例えば、椎間板ヘルニアで、まったく身動きが取れず、日常生活に多大な支障をきたしていたとする。この時に、手術をしたらよくなる可能性があるのに、手術もせず、身体の障害年金を請求できるかである。十分な治療もせず、あたかも固定した障害のように安易に障害年金の診断書を書くことは、でっちあげの診断書を書くことと変わりがない。
 安易に書いてしまうと、症状が軽減した時が困る。家庭の主婦がうつ病で2級の障害年金(約77万円)を受け取っていた場合、更新時に前より症状がよくなっていた場合は、もう年金は給付されない。家庭の主婦が、パートで年間77万を稼ぐのは大変である。患者さんも必死で、いろいろ言い出す。中には、障害年金が1回認められたら、ずっと年金が出るものと思って、外来を受診していない患者さんもいる。更新の診断書が届いて、あわてて受診してくる。そして、「調子が悪くて来れなかった」等いろいろ言い出す。うつ病は治療したら、完全にはよくならなくても、ほとんどの人はせいぜい3級程度には改善する。(障害基礎年金は出ない) もっとよくなっている患者さんでも、当然のように更新の診断書は持ってくる。生活保護の患者さんでは、あんな元気そうにしている人が2級で、どうして私はもらえないのかと言ってくる人も多い。
 「精神障害をもつ人のためのわかりやすい障害年金入門」では、「日常生活能力」のことも簡単に書いている。「適切な食事」については、「単に食べれるかどうかを問うているわけではありません。これは、食事の内容が栄養のバランスが取れたものであるかどうかを確認しています。献立を考え、献立通りの食材を購入し、調理した食材を盛り付けて食事をし、皿洗いまで一貫した作業を一人で行えるかどうかを問うています。例えば、毎食コンビニ弁当を食べていれば、それは適切な食事とはいえません」となっている。こんなことは、健康人でもできないであろう。次の「身辺の清潔保持」についても、同じような調子で書いている。どうしてこんな解釈ができるのか、私には理解できない。
 前にも書いたように、「適切な食事」では自炊ができるかどうかは聞いていない。「身辺の清潔保持」でも、洗濯できるかどうかも求めていない。しかし、この本では、このように解釈されてしまうのである。障害があって日常生活に支障があると言われても、どの程度のことかわかりにくい。拡大解釈したら、どんどんときりがない。この「日常生活能力」の評価の仕方をみたら、どの程度の障害を言っているのか、よく理解できる。この障害年金の診断書(精神障害用)記載要綱は、ネットに出ている。記載要綱をクリックし、10ページから読んで見て下さい。この記載要綱があることは、精神科医でも知らない人が多い。
 行政が障害年金に関して混乱するのは。精神科医側にも責任の一端はある。少し前までは、障害等級の審査は各都道府県に任されていた。ところが、精神の障害年金の認定率が最大7倍も開きがあったのである。ある都道府県では、審査に厳しい他の都道府県より最大7倍も多く認められていた。このこともあったので、現在は中央で審査するようになった。しかし、書く内容が正確でないと、本質的には何も解決されない。京都はもともといい加減で、何でも審査が通っていた。京都には人権派といわれる医療機関も少なくない。中には、でっちあげみたいな診断書を組織的に書いているような所もある。許されることではないが、いいように解釈したら経済的に困っている患者さんの救済となる。悪いように解釈したら単なる患者さんの囲い込みで、弱者救済の名目で国から一時的な給付金ではなく、毎年これだけの額のお金を期限もなくだまし取っていることになる。倫理的問題だけではなく、診断書を書いた医者が罪に問われる。

 

令和1年11月26日(火)

 きょうは午後から往診はなかった。歯科でインプラントを入れていた。他にも用事があり、この日記を書くのが遅くなってしまった。今は午後6時で、夕食は自炊してこれから食べる。米を1.25合炊き、2回分としている。1回茶碗1杯ぐらいである。残りは冷蔵庫に入れておく。1週間で、2回分を消費するペースである。昼は、麺類などを自炊することが多い。学生時代は、学生食堂にも行っていた。しかし、自炊することも少なくなかった。長い独身時代も同じである。自炊もしていた。今は野菜なども鍋用や炒め用にセットになって売っている。冷凍技術も発達しているので、冷凍食品も使う。肉や野菜を入れて工夫したら、それなりに美味しい。
 外食は、たまに王将にも行く。昔と比べたら、味がよくなったと思う。京都駅の近くは、数年前はそれほど混んでいなかった。今は、外国人客でいつも満員である。京都駅のマンションを利用する時には、ヨドバシカメラのレストラン街を利用することもある。私は待つのが嫌いなので、今みたいな観光シーズンは、八条口近くのイオンモール京都のフードコートで済ましてしまうこともある。
 高齢の患者さんだけではなく、1人暮らしをしたことのない男性の中には自炊が苦手な人が少なからずいる。50歳代の男性でも、初めての単身赴任で、いつものように毎晩食事が用意されていないことで、弱音を吐いている。奥さんに不満があっても、食事の用意ができないからと我慢している患者さんも意外に多い。70歳後半から80代の男性は、奥さんに対して頭ごなしに言う人が多い。奥さんは、逆らうとうるさいので、ただひたすら我慢している。少し、世代が下がると、奥さんにもうあなたの食事(夕食)は作りませんと宣言される人もいる。
 外来でいろいろな患者さんを見ていると、年齢を重ねた夫婦の妻や夫としてのアイデンティティは何なのかと思う。奥さんは、家事や子育てなどをしてこれまで家族を支えてきたという自負があるだろう。しかし、私のように、掃除も洗濯も食事もそれほど苦にもならず自分でしてしまうと、子育ての終わった女性は、妻としての存在意義をどこで見いだすのだろう。働いている子どもの世話や孫の面倒を見ることに生きがいを見つけることはわかる。今の時代は、少しづつ、夫は永遠に妻を養うことに疑問を感じ、妻は夫の老後の面倒を最後までみることに疑問を感じ始めている。理想的には、夫婦がお互いに自立して、子どもが小さい時には協力しあうのがいいのだろう。しかし、子育て期間が終わり、互いに金銭的にも自立していると、一緒にいる意義が段々と薄れてくる。残りの人生が少なくなるので、夫婦としての縛りから逃れたいと思う人も出てくるだろう。50歳前後の女性でも、夫が退職したらどうしようという人も少なくない。お金があったら、別居して、時々合うのが理想的という女性も少なくない。
 実は、きょうは1冊読み終えた本について、詳しい紹介をしたかった。しかし、夕食を取ったら、もう8時である。今回はこの本についてはあきらめて、今週あったことについて写真付きで紹介する。

東福寺1 ・24日(日)は、何年かぶりに東福寺に行ってみた。桜も紅葉も、バタバタしていたら見るチャンスを失う。車を運転していても、山の方はまだ緑で、どこまで紅葉が来ているのかわかりにくかった。鴨川沿いももう一つであった。近所の患者さんは、人が多くて東福寺には行かないという人もいる。確かに、何回も見ていると飽きてくる。
 歩いて、橋を降りた所から行った。昔は、途中から歩けないほど混んでいた。その頃と比べると、まだましであった。きょう歯科の帰りは、車で伏見稲荷の前を通る。ここは短い区間であるが、いつも混んでいる。道路から見えた紅葉はあまりきれいでなかった。東福寺は、中国人観光客が多かった。欧米人は少なかった。伏見稲荷では、けっこう欧米人の観光客を見かける。
 東福寺の入場料は400円であった。中にはいったら、びっくりするほど紅葉はきれいであった。天気が曇り空であったのが、残念であった。紅葉の写真を撮るのは難しい。何枚も撮ってきたが、この写真はお気に入りである。

東福寺2 ・この写真も、私のお気に入りである。患者さんが、伊吹山の紅葉がきれいであったと言っていた。天気がよかったら行こうかと思っている。

MBSドキュメンタリー ・毎回徴用工問題を取り上げ、興味のない人もいるだろう。MBSドキュメンタリー 映像’19「ぶつかりあう日韓〜徴用工裁判の核心〜」である。25日(日)の0時50分から放映していた。日中は、安倍政権に都合のいいことばかりが放送され、こんな番組は深夜に放送されている。まだ、放送されているだけましか? いつものように録画して、きのうの夜遅く、メモを取りながら見た。
 2018年10月30日に、韓国最高裁は、「不法な植民地支配に直結する反人道的な強制動員に対する慰謝料請求権は残っている」として、日本製鉄に対して原告とその遺族に1人当たり、1億ウォン支払うように命じた。ちなみに、1965年6月22日の日韓国交正常化では、韓国と日本で、植民地支配は合法か違法かで意見は対立していた。それでも、経済協力の名目で、日本は韓国に対して当時5億ドルの援助をした。この中から、韓国政府が国民に慰謝料を払う責務があるというのが日本の立場である。日韓請求権協定では、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確定している。
 1997年12月に、元徴用工の2人が、未払い賃金と慰謝料1人1800万円を支払うように、大阪地裁に訴えた。当時、賃金は強制的に貯金させられ、ほとんど支払われなかった。実際に、駒沢大学図書館で、徴用工に対する未払い賃金に関する資料が見つかった。戦後、日本製鐵が法務局に供託した文書である。原告の1人は、未払い賃金の額が給与と預貯金を含め、約495円で、現在のお金に換算すると、およそ250万円になる。1945年3月の大阪大空襲で、大阪製鉄所から北朝鮮のチョンチンの製鉄所に行き、そこで終戦を迎えている。
 2001年に、大阪地裁が「国家賠償法の施行前の行為で、国に責任なし」、「日本製鐵の責務を引き継いでいない」と請求を棄却した。2002年に大阪高裁で「日本製鐵への債務は日韓請求協定とそれに伴う国内法の措置により消滅した」と棄却され、2003年に敗訴が確定した。「賠償の債権は持っている」という判断と同時に、「日本の国内法によって消滅させられている」という判断が出た。このような状態を「救済なき権利」という。
 TVや新聞では、韓国は恥しらずの国のような報道のされ方をしている。しかし、実際には徴用工として日本で働き、賃金が支払われず、預貯金の証拠の文書が残っているのに、日韓請求協定を盾にとって一銭も返してくれないのである。メディアの報道などで、すでに解決済みのことを、今さら金を払えと盗っ人猛々しいと誤解している人が多いだろう。最近は、日本が植民地でしてきたことを、知らない人が増えてきている。私は安倍政権の歴史修正主義の影響が大きいと思っている。
 私の手元にアマゾンで手に入れた1冊の古本がある。まだ読んでいないが、植民地であった朝鮮半島での天皇制について書いている。植民地時代の朝鮮でも、日本と同じように天皇は生き神様と教えられていた。日本人が「トランプ大統領万歳」と強制され、アメリカ人の学校長や警察署長に常に監視されていたら、どう思うであろうか? それでも一旦協定で決められたことを破るのは、安倍首相の言うように「国際法に照らしてありえないこと」であろうか? 前回の日記でも、国際人権規約のことを書いた。日本は1979年に批准している。「国際人権規約」を徴用工問題に当てはめると、徴用工は救済されなければならないことになる。
 この番組では、植民地責任に詳しい京大の女性教授が出てくる。現在は、被害を与えた人に償うということだけではなく、真実を知ろうとしなかった責任、忘れてしまう責任が問題になっているという。国際法は歴史的なものであって、その当時は常識であったかも知れないが、時間が変われば、やはりそれは違う風に解釈できるものはいくらでもあるという。私は以前に黒人差別のことを書いた。昔は、セクハラなんて言葉はなかった。今は何十年も前の過去のことでも、厳しく糾弾されている。
 国際的には、被害を訴えた者に何らかの補償を行うことが、普通になってきているという。ここではドイツの植民地であったナミビアやオランダの植民地であったインドネシアのことが取り上げられていた。2000年代に、ナミビアはドイツの住民弾圧の罪を問う裁判を起こした。ドイツは罪を認めて、謝罪した。それまで行っていた経済援助とは別に、2004年に「解決金」として資金を提供している。

 

令和1年11月19日(火)

 マンションを2つ持っていると、いろいろな点検などで指定された日の時間に立ち会いをしないといけない。たいてい、平日の午前中だったりする。京都駅のマンションも琵琶湖のマンションも最上階なので、最初に順番が廻ってくる。大体朝9時ぐらいから始まる。都合の悪い時には、日付を変更してもらうこともできる。今月は、立て続けにこの点検や工事などがあった。
 今は女性も働いているので、平日に立ち会いをするのは大変だと思う。この立ち会いで、いつも疑問に思うのは、火災報知器の点検で各部屋にはいることである。琵琶湖のマンションは最新式なので、いちいち天井の火災報知器に機械を当てなくてもいいようである。私が気になることは、住人のプライバシーがまる見えになることである。14日(木)は、京都駅のマンションのTV用アンテナの差し込みの交換があった。4K対応にするために、各部屋の交換が必要であった。部屋は全部で4つある。すべての部屋に赤の他人に入って来られるのは、いやな人はいやである。木曜日は休診にしているので、この工事は午前中にしてもらった。
 17日(日)は、午後1時から同じ京都駅のマンションで、各戸の配水管の洗浄があった。平日には立ち会いができないので、日曜日に変更してもらった。トイレ、台所、風呂場の配水管洗浄である。これは、琵琶湖のマンションでも、たまにある。琵琶湖のマンションでつい最近あったのは、緊急脱出口の点検であった。マンションは、持ち家のようにいろいろな手入れは少なくて済む。しかし、けっこういろいろな業者がドカドカと部屋にはいってくる。その時には、ある程度部屋をきれいにしておかないといけない。小さな子どもがいたり、仕事が忙しくて部屋の片付けができていない人には、うっとうしい。空き部屋で大麻の栽培や違法輸入ペットの飼育をしているわけではない。それでも、ある種の監視社会を感じてしまうのは私だけであろうか。
 実は14日(木)の午後2時半から、保険医療機関集団指導がキャンパスプラザであった。私の京都駅のマンションは、キャンパスプラザの前にある。道路からは最上階は見えない。1時間半ぐらいの講義であった。大勢の開業医が集まっていた。自費ではなく、保険医療を行うための取り決めの指導である。例えば、保険診療のカルテと自費とのカルテは別々に作らないといけないなどである。このことはみんな知っている。しかし、私の聞き違いでなければ、診断書は自費になるので、別のカルテを作らないといけないようなことを言っていた。家族が薬を取りにきた時に各種指導料や管理用などを算定することも不正請求になる。(精神科は別) 初診料の請求についても、「胃炎の通院中、新たに大腸癌の診療を開始する場合」は請求できず、再診料になる。
 今回集団指導の話を聞いていて、まだまだ開業医は厳しい監査もなく、野放しにされていると思った。他の業界も同じような事情なのかよくわからない。11月16日の「週刊ダイヤモンド」では、「整骨院の裏側」を特集していた。整骨院では慢性的な腰痛のマッサージのために保険適用を受けるのはアウトである。骨折や脱臼などのけがに限られる。保険対象外の施術を続けるために、施術部位を転々と変えて保険請求する「部位転がし」など、整骨院は不正の温床のような業界と書いていた。私は増大する医療費を抑えるために、現在の出来高払い(検査や治療をした分の支払いで、利益を上げるために過剰診療となりやすい)ではなく、包括払い(それぞれの病気の診療に一定の制限を設ける)の導入も必要だと思っている。
 日曜日の夕方ときのうは、11月の連休に行ったタイのシラチャのYouTube用の動画を作っていた。最初は、YouTubeにアップロードする気はなかった。本来は、タイのクッド島やブラジルの旅行の動画の方が先である。実際に、YouTubeをチェックしてみたら、たくさんの動画がアップロードされていた。しかし、どれもきちんとした案内になっていなかった。今回は、3分ちょっとでまとめてみた。あまり動画を撮ってきていないので、写真を多用した。
 動画編集には新しい「PowerDirector」を使った。画像や動画のフェイドインやフェイドアウトがセットになっていて、以前のようにフェイドインだけとか、フェイドアウトだけということができなくなっていた。音声は「かんたん! AlTalk3」を使っている。テキストを読み上げてくれる。これだけでは、音声がかすれることがあるので、「Digital Sound Cleaner」でノイズ除去をしている。今回はバックグラウンド・ミュージックも使った。著作権フリーで使える「満足音素材100」を使用した。以前に買っていたソフトで今回が初めてである。1曲大体1〜2分である。2本のソフトを持っているので、200曲自由に使えることになる。ゲインを押さえたり、音のフェイドインやフェイドアウト、カットなどの編集には先ほどの「Digital Sound Cleaner」が便利である。PowerDirectorについているサウンド加工は使い勝手が悪い。
 YouTubeにアップロードするのは本当に久しぶりである。もともとプログレの曲をアップロードしていた。現在1番視聴者数の多い動画は、「Bo Hansson - Born Of The Gentle South」である。視聴回数は、50521回である。2番目もロックである。「Alaap - Pyar De Pujari」は26471回でる。旅行動画は、「ベトナム・ニャチャンの1人旅」が第1位で、12923回である。2番目は「ベトナム・フーコック島の1人旅」で、6950回である。何年も経つのに、まだ200〜300回の動画もある。今回の「タイ・シラチャ(Sri Racha, Thailand)の1人旅」は、それなりに工夫をして作った。3分ちょっとなので、興味のある人は、タイ・シラチャ(Sri Racha, Thailand)の1人旅をクリックして下さい。

今週のトピックス 87 (191119)

NNNドキュメント'19 「不信の棘 ”徴用工”と日韓の行方」
NNNドキュメント'19 「不信の棘 ”徴用工”と日韓の行方」

 この番組は11月11日(月)の夜中1時過ぎから読売テレビで放送されていた。いつものように、私は録画したまま放置していた。きのうは少し見て、きょうすべて見終わった。まず、簡単な韓国との歴史である。1910年に韓国は日本に併合された。当時の公文書では、植民地と記載されている。1938年に国家総動員法が制定され、1944年に国民徴用令が朝鮮半島にも出された。この時に、日本の記録では、10万8千人近くの朝鮮人が徴用工として日本に来た。韓国は15万人と主張している。
 1965年に、当時の軍事政権であった朴政権と日韓請求権協定を結んだ。この時に、韓国は日本の植民地時代における損害賠償の請求権をすべて放棄した。この番組では、富山県の不二越訴訟のことが取り上げられていた。自ら徴用工として日本に来た者もいたが、国民学校にいた少女たちを、日本に行ったら「ごはんがいっぱい食べれる」、「週1回映画が見れる」、「女学校の勉強をさせてあげる」とだまして連れてきている。(実際にソウルで教えていた日本人教師の証言もある) 13歳で不二越に連れてこられた、現在88歳の女性も出てくる。給料を受け取っていないと、個人として日本企業を相手取り、訴訟を起こしている。
 第1次訴訟で担当した弁護士は、国と国との約束は、全部の国民を拘束する根拠がないと述べている。この番組で、興味深い指摘もあった。日本側は連合国側と戦争をしていたが、連合国側と植民地主義については共犯的な関係にあった。ダレス元国務長官も植民地主義を擁護していた。韓国の司法判決は、「不法な植民地支配と直結した日本企業の反人権的不法行為に対する慰謝料請求権は、日韓請求権協定の対象外」としている。植民地統治は「不法」か「適法」かである。元外務大臣の藪中三十二は、「世界中でそんなことを主張している国はない」という。ただ、私が前から主張しているように、戦勝国の植民地とアジアを侵略して敗戦した国の植民地は同じかである。中国などに対する侵略は戦後国際的に厳しく断罪されている。そんな国の植民地支配についてはまったく問題なかったとするのも違和感が残る。
 ここまでは、わたしの素人考えである。実は、この番組を見る前に、たまたまネットでこの徴用工問題についての記事を読んだ。MONEY VOICE「日韓対立、国際裁判になれば日本敗訴?まったく報道されない徴用工問題の真実=高島康司 」である。ネットの記事でも、怪しい記事も多い。何でも信用するわけではない。しかし、この記事は説得力があった。最後に、ネットで見れるようにホームページを紹介する。
 コピペであるが、簡単に要約する。「日韓基本条約」と「請求権協定」で放棄されたのは、「外交保護権」である。韓国政府が韓国人の被った損害賠償を日本政府に請求する権利を放棄したということである。個人の請求権には、本来政府はまったく介入しない。1990年代の終わりころまでの韓国政府の立場は、「個人請求権」も同時に放棄されたという解釈で一貫していた。ところが、1991年8月27日、参議院予算委員会で当時の柳井俊二外務省条約局長は、「個人請求権」までは消滅していないとする答弁をした。
 また、「国際人権規約」では、政府や企業または軍隊などによって人権を侵害されたものは、きちんと救済されればならないという規定がある。徴用工には救済処置が適用されなければ、日本が国際法違反になる可能性が高い。実際の詳しい記事は、MONEY VOICE「日韓対立、国際裁判になれば日本敗訴?まったく報道されない徴用工問題の真実=高島康司 」をクリックして下さい。

 

令和1年11月12日(火)

 文化の日の連休前は患者さんが多かった。きょうの外来は前半部分はがらがらであった。近場の患者さんが多いので、特に厳密な予約制にしていない。希望する人には大体の目安で予約はする。休養の診断書や傷病手当の診断書を書いている人だけは、きちんと予約で管理している。実は、私の医院では、待合室に週刊スパや女性自身の週刊誌を置いている。以前は、スポーツ新聞も置いていた。ところが、最近週刊スパだけが、紛失するようになった。
 女性自身は受付の人が買い、週刊スパは毎週火曜日に私がコンビニで買ってくる。きょうはこの日記を書くので、読む暇はない。読み終えるのは、大体水曜日の夜か木曜日である。今は木曜日は休診しているので、待合室に出すのは金曜日になる。新しい週刊誌を古い週刊誌と取り替え、2冊置いておく。ところが、交換の時に、新しい週刊スパがよくなくなるようになった。実は、先週に「持ち出し厳禁」と本立ての横に張り紙をした。受付の人にも、毎回本ががあるかどうかチェックするように頼んでおいた。
 さて、きょうは前半部分は患者さんが極端に少なかった。合間に、受付の人が院内の整理をしているときに、この週刊スパがなくなっていることに気がついた。前日の夜の外来が終わった時には、本がまだあることを確認している。朝から紛失した時までの患者さんは5人しかいなかった。この中の誰かが持って行ったことになる。次回、同じように本が紛失したら、持って行った人はほぼ特定できる。私は犯人捜しをしているわけではない。次に本が紛失しなければ特定されないので、患者さん用の待合室の本は持って行かないようにお願いするだけである。
 精神科医を40年もやっていると、いろいろな患者さんに出会う。私は平成13年(2001年)5月に開業した。京都第一赤十字病院の部長をしている時に、電話がかかってくると、外来担当の看護師さんが出て、私が少し離れた電話口に呼び出されていた。ところが、診察室の席に座ると、また電話がかかってきて、立ったり座ったり繰り返すこともあった。電話の音もうるさくて、いらいらすることもあった。医院にかかってくる電話の95%以上は私あてなので、開業してからは受付ではなく、すべて私が出ることにした。受付の人に用事がある時には、受付にまわしたらいいだけである。患者さんには、何かあったら手短に診察中でも電話したらいいと言っている。これはお互いさまで、反対に自分の診察中に電話がかかってくることもあると伝えている。
 ところが、統合失調症で慢性的な被害妄想のある患者さんから、しょっちゅう電話がかかってくる。いつも電話をかけてくる患者さんは今は3人いる。3人とも何年も続いている。この中の2人は緊急の用事以外は診察中はあまり電話をしないよう言うと、比較的かけて来ない。しかし、いくら注意しても、休みの時や夜でも何回も電話してくる。精神科はうんざりするほど書く書類が多いので、日曜日や祝日に書類を書いていることが多い。医院に泊まることもある。夜の10時でも、いくら注意しても何回もかけてくる。私は休日でも夜間でも、居留守を使うことはない。必ず出る。
 以前に診察していた境界性人格障害の患者さんのように、一晩中電話をかけてくることはない。もう1人の患者さんは、休日や夜間は私が医院にいないと思って電話してこない。しかし、診察中でもおかまいなしに、TVで自分のことを言っていると電話してくる。話の内容も長い。患者さんの深刻な話を聞いている時もあれば、新患の人の話を聞いている時もある。診察中だと言っても、一方的に被害妄想の内容をしゃべり続け、なかなか切ってくれない。切ろうとすると、私にも攻撃的なる。私は覚醒剤などの薬物依存の患者さんもたくさん診察してきたので、時々とんでもない事件に巻き込まれたりもしている。年齢とともに、最近は段々と疲れてくるようになった。

同窓会 ・この前の土曜日は、府立医大の昭和54年卒(1979年)の同窓会があった。東華菜館近くの京料理店である。鴨川を渡った所になるので、東山区ではなく下京区である。会費は2万6千円であった。東山医師会の会合ではそれほど高くない祇園の料亭などを使う。ふだんは区の医師会費を払っているので、会場で払うのはせいぜい1万円ぐらいである。ここは他の医師会などではよく使うようである。
 この写真は会が終わった後に撮った。女性陣などは帰った後なので、実際の参加者より人数が少ない。個人情報もあるので、わざと小さな画像にした。今年はちょうど、卒後40年である。私は1浪して入学したので、66歳である。まだ誕生日が来ていない現役の人は64歳である。他の大学などに行っていた人もいるので、最高年齢は70歳である。
 大学教授や公的な病院の部長の定年は、65歳である。府立医大の学長選に出ていた同級生は、やはり退職なっていた。今は誰もが知っている医療機関で、代表理事になっていた。現在は解剖や生化学など基礎医学に進む医者はほとんどいなくなっている。基礎研究ばかりで、臨床とは違ってお金にならないからである。最近は基礎の教授は理学部などの出身者が多い。名刺をもらったが、日本生理学会の理事長をまだしていた。大学をやめた時には、給与は1,000万円ちょっとぐらいであったようである。今は倍ぐらいになっているらしい。長いこと母校の大学に貢献してきたので、それぐらいの年収は当然だと思う。
 私はこの日記でも何回も書いているが、48歳の手前で開業している。やめた時の京都第一赤十字病院での部長の年収は、残業手当も請求していなかったので、税込みで1300万円には達していなかった。1日の最高診察患者数は103人で、全員診察している。その後で、病棟からの山ほどの照会患者さんを診察していた。43歳の時に、バブルの時に買った家を売って、一文無しではなく、借金500万円が残った。医局の人事であちこちの病院に行っていたので、退職金は連続して加算されず、1回1回ぶつ切れである。今は私の医院の外来患者数は減っている。しかし、開業して10年以上は、こんなにも収入があっていいのかと思うぐらい年収が多かった。あのまま日赤の部長を続けていたら、息子を私立医学部に通わせることも苦しかったと思う。医院を建て、京都駅に中古のマンションを買い、琵琶湖の新築マンションも買った。今は借金もなく、かなりの貯金もしている。
 たまたま座った席の横には、名古屋の日赤病院で小児の手の整形手術を専門にしていた女医さんが座っていた。今は、私の息子が通っている大阪の私立医学部に特任教授(?)か何かで行っている。自宅は名古屋にあるので、ホテルに泊まっているという。私の息子は来年3月に卒業である。この先生には、成績は◎にするように頼んでおいた。名古屋大の教授をしていた人が退職して、愛知医大に行っていた。さすがに、この年になると今から子どもが入学する人はいない。
 やはり子どもを医学部に入れている人は多かった。これもたまたまである。私の前と女医さんとは反対側の隣に座っていた同級生の子どもが私の息子を同じ大学に通っていた。1人は去年卒業し、1人は何と私の息子と同級生であった。こちらの方は娘さんである。私の隣の先生は、開業してものすごく繁盛しているようであった。私が寄付金のことを聞くと、一銭も払っていないという。私も寄付金は一銭も払っていない。これからは、私立医学部のOBが将来の自分の子どものために普段から多額の寄付をしていても、優先入学のメリットはほとんどなくなるだろう。先ほどの女医さんから聞いた話だが、息子の通っている医学部では2年留年すると、今は退学になるようである。純粋な母校愛で寄付するしかない。
 海外旅行については、夫婦で行ったり、いろいろである。段々と年を取ってきて、楽しみは旅行かゴルフぐらいのようであった。いつもは3年に1回であったが、次回の同窓会は2年後に決まった。

後妻業の女 ・連休にタイのシランチャに行った時に、宅配レンタルした映画をスマホに入れて行った。何本かはいっているが、見終わったのは「後妻業の女」である。リッピングみたいなややこしいことはせず、私のコピーの仕方は単純である。私も年を取ってきたので、1回見たら充分である。すぐに削除する。これでさえ厳密に言うと、法律違反になるのかもしれない。
 映画の筋としては面白かったが、中身はもうひとつ引き締まりがなかった。ちょっとだらだらした感じであった。今ネットで映画.comで見ている。そのまま内容を紹介すると、資産を持つ独身男性の後妻に収まり、多額の金品を貢がせる「後妻業」を生業とする女の姿を描いている。その背後には、結婚相談所所長がいる。紀州のドン・ファンの死も、一歩間違えたら後妻業になる。出てくる男性はみんな高齢者である。中には、妻を亡くしている人もいる。ぽっくり逝ったら、多額の遺産が後妻にはいる。反対に、自称大金持ちの会長のサオ師が出てきて、関係ができてから後妻業の女とは知らず多額の借金を申し込む。大竹しのぶが主人公であった。私はもうちょっと若い女人の方がいい。

 

令和1年11月5日(火)

 この日記は7日(木)に書いている。11月2日(土)〜4日(火)まで、タイのシランチャまで行っていた。土曜日は外来が終わってから出かけたので、火曜の午前中の外来だけ休診にした。午後からの往診は、11月1日(金)に済ませた。以下に、写真付きで解説する。3泊4日の旅行では、遠く離れたタイの島には行けない。アユタヤにはまだ行ったことがないので、月曜日が祝日の時には同じようなスケジュールで行ってみようかと思っている。

ホテル ・この前の11月2日(土)は午前中の外来を終え、関西空港から午後5時25分発のバンコク行きに乗った。もちろん、エコノミーである。近場はエコノミーでいい。コロンビアに行く時も、メキシコシティまではビジネスである。メキシコシティからボゴタまでは5時間もかからないので、エコノミーである。着いたのは、現地時間の午後10時であった。
 いつもはナナ近くのホテルに泊まる。今回は初めてプロムポンにある日本風ホテルに泊まった。大浴場があり、値段は5500円〜6000円ぐらいであった。(土曜日は高く、月曜日は安かった) 部屋には畳が敷いてあり、居心地もよかった。すべて日本語ですむ。近くには日本食レストランや日本人向けの風俗店がいくつもある。ネットで風俗関係の仕事をしていた患者さんが、この辺りにアパートを借りて住んでいたと話していた。私は連れだし可能のクラブやカラオケにはまったく興味はない。
 今回行ったのは、パタヤの手前のシランチャである。周辺に工業団地ができている。日本の企業が進出し、日本人が現在も4千人ほど住んで栄えた町である。飲み屋街なども、日本語の看板があふれている。現地の日本人駐在員が楽しむクラブやカラオケなどの風俗店も山ほどある。
 エカマイ駅から乗り合いバンで、2時間ほどかかった。料金は1バーツ3.6円と計算して、50バーツ(180円)であった。帰りは大型バスで帰った。2時間ちょっとかかり、料金は94バーツ(338円)であった。大型バスの方が席が広く、ゆったりと座れた。
 ここが私が予約したシランチャのホテルである。町の中心地であるロビンソンのショッピング・センターからは少し離れている。北側にある。朝食付きで1泊6752円であった。部屋から海やプールが見える。午後1時頃に着いたので、手前にある日本食レストランで昼食をとった。日曜日だったせいか、小さな子どもを連れた日本人駐在員家族であふれていた。料理は美味しかった。値段は日本と変わりないぐらいであった。

レストラン1 ・ホテルにチェックインした時に、無料の「OHAYO Srirancha」という現地で定期的に発行されている日本語の情報誌を手に入れた。この中に、シランチャの詳しい地図が載っていた。私は何も調べてこなかったので、すごく役に立った。地図を頼りに、海沿いに南に歩いて行った。途中、レストランや公園があった。ロビンソンまで歩いて行き、その西側にある飲み屋街も歩いてみた。一旦ホテルに戻って、夜にまた出てこようと思った。

レストラン2 ・ホテルでWiFiをつなげようと思ったら、途中で途切れたりした。夕方になったら小雨がぱらつきだした。パタヤの天気予報をスマホで調べて見たら、夜は雨で、次の日も朝から雨となっていた。シランチャからパタヤまで車で30分ぐらいの距離である。夜7時過ぎにホテルを出ようとしたら、かなりきつい雨が降っていた。部屋まで傘を取りに戻った。
 ここはホテルからもっと北に行った所にあったレストランである。生け簀にはいった大きな魚も、料理に使われるのか、単なる観賞用なのかよくわからない。このレストランの前に、トゥクトゥク(三輪タクシー)が待っていた。シランチャにはタクシーはないようである。トゥクトゥクも通りでは簡単にみつからない。上手に見つけないと、移動が大変である。何台かに乗ってみたが、最初はみんな60バーツ(216円)と言ってくる。
 雨が激しくなってきた。しかし、先ほどのロビンソンの近くの飲み屋街に行ってみることにした。ロビンソンに着いた時には、滝のような豪雨であった。ほとんど誰も歩いていなかった。私は焼肉屋にはいった。日本人の店長がいた。ビールを1本頼み、肉などを頼んだ。5千円ほどかかったが、値段の割にはもうひとつであった。クラブやカラオケ、マッサージ店の前で女の子が手招きをしていた。行くとしたらせいぜいマッサージ店ぐらいである。寒いぐらい雨が降っていたので、この日は早々と退散した。

地図 ・これが先ほどの「おはよう★シランチャ」の地図である。左に海に突き出た所から、シーチャン島まで定期便が出ている。問題は天気である。雨が降っていたら、島に行っても意味がない。前日の天気予報は当たる確立が高いので、ほぼあきらめていた。

港1 ・11月4日(月)の朝起きたら、雨はやんでいた。曇り空であったが、少し青空も見えていた。とりあえず、シーチャン島まで行くことにした。途中、天候が変わるかもしれないので、折りたたみ傘も持って行った。たまたまホテルの近くでトゥクトゥクを見つけることができた。港まで50バーツ(180円)である。  

港2 ・港に着いた時にはここまで青空が出ていた。きのうの激しい雨で、すべて降り尽くした感じである。1時間に1本船が出ていて、出発は9時であった。値段は50バーツ(180円)で、50分かかる。真ん中に切符売り場のボックスがあり、左の船で行く。

港3 ・乗客は、タイ人や中国人が多かった。日本人らしき人は見かけなかった。シーチャン島では釣りもできるらしく、釣り竿を持った人もいた。ここは途中寄った所で、釣り客を乗せていた。

港4 ・ここはシーチャン島の船着き場である。

レンタルバイク ・ここにはレンタルバイク屋があり、バイクを借りることができる。朝から晩まで1日借りて、250バーツ(900円)である。ガソリン代込みである。島の地図ももらえた。小さな島なので、パスポートなどのチェックもない。250バーツを払ったら、預かり証みたいなものもなく、そのまま乗れた。

港の風景 ・港の風景である。

海岸1 ・小さな島なので、道路はすいている。海側に行ったら、こんな景色が見えた。

海岸2 ・あまり期待していなかったが、これだけ風光明媚である。

海岸3 ・ここにいるのは、ロシア人観光客である。今、パンフレットの地図を見ているが、この場所は「Chong Khao Khad」だと思う。先ほどの地図では、写真がついていないのでどこかわかりにくい。  

海岸4 ・ここは先ほどの港の近くである。ここでは釣りをしている人がいた。

釣り人 ・バイクに乗りながら、メイン道路から海岸に向かう細い道を行ったら、ここにたどり着いた。恋人同士で釣りに来ていた。女の人は見ているだけであった。小さな魚(キス?)を釣り上げていた。これだけ海が澄んでいる。

ビーチ1 ・ここから海岸線沿いにビーチも見えた。タムパンビーチなのかよくわからない。

ビーチ2 ・私は出たばかりのソニーのRX100Zを持って行った。先ほどの場所から、全画素超解像ズームでここまで撮れる。

ビーチ3 ・バイクで実際に行ってみた先ほどのビーチである。人はそれほど多くなく、ロシア人と中国人観光客がいた。きれいなビーチの写真が撮れたので、大満足であった。

岩場 ・細い道を入り込んだりしたりしていたら、大きなゴミ捨て場みたいな所に出た。ここはその近くの削り取られた岩場である。ホテルは12時のチェックアウトであった。しかし、2時間延長してもらい、追加の料金は取られなかった。午後1時発の船に乗り、到着後に港で待っていたトゥクトゥクに乗った。ホテルに寄って部屋の荷物を取り、バス乗り場のあるロビンソンまで行ってもらった。料金は100バーツ(360円)である。翌日火曜日は、朝8時15分発の飛行機で帰ってきた。朝が早いので、5時前には起きないといけない。
 パタヤは、基本的には大勢の観光客が押し寄せるけばけばしい風俗の町である。近くのラン島だけは、同じようにレンタルバイクを借りて島巡りをする価値はある。シランチャはバンコクから近いので、パタヤの喧噪に飽き飽きしている人にはお薦めである。

 

令和1年10月29日(火)

 なかなか何もやる気になれない。夜はよく眠れているが、明け方に気分がうっとうしくなる。一旦目が覚めると大丈夫である。それまでの間は完全なうつ状態そのものである。先週の木曜日は、妹の近くに住んでいる母親の所に行った。大阪の池田市である。天気が悪かったせいか、中国製のカーナビの調子が悪かった。トンネルの中でも途切れるので、天候が悪いと電波が届きにくいのかもしれない。
 母親は現在87歳である。来年2月には88歳になる。1人で買い物に行って、自分で自炊している。ヘルパーやデイ・サービスは利用していない。耳が遠いが、頭はまだしっかりしている。後、10年ぐらいは生きそうである。母親は21歳の時に、長男の私を産んでいる。男女の寿命の違いなどを考えると、母親が亡くなってから、すぐに私の順番がやってきそうである。私は今年から東山区の介護認定の審査をしている。毎回審査の書類を読んでいると、年をとったらどうしようもなくなるとますます実感するようになった。
 妹は病気をして手術も受け、放射線療法も終わったようである。今は母親とも仲直りをしている。私は妹と母親のけんかに巻き込まれ、妹から「何もしていない」と言われてから連絡は取っていない。前にも書いたように、来年息子が卒業してから今後のことは考えていくつもりである。妹のダンナは、台風で窓の網などが剥がれた時などに、きちんと修理してくれるという。また、お礼をしなければと思う。帰りには、いつものように食べきれないほど料理を作って、私に持たせてくれた。

母親 ・この写真は、平成18年(2006年)1月8日に撮ったものである。長野県の実家の屋根に上って雪下ろしをしているのが、私の母親である。当時73歳である。この時には、まだ屋根にヒーターが入っていなかったと思う。

実家2 ・屋根の雪を下ろさないと、雪の重みで家が潰れてしまう。右側が私の家である。隣の家との隙間があまりないので、雪を下ろしても家にのしかかってくる。家は一階建てで、母親の乗っている屋根裏部屋が、私の部屋となっていた。
 今は大阪で経営学部の教授をしている私の妹は、当時進学校であった長野高校に1時間かけて汽車で通学していた。冬の間は雪で閉ざされるので、長野で下宿していた。私は成績が悪くて長野高校には行けなかったので、地元の高校に進学した。当時は数年に1人東大に行くぐらいであった。トップが現役で、千葉大の工学部にはいるぐらいであった。私の地元の高校には、冬にやっと通えるようなもっと田舎の生徒が大勢いた。
 私の学年だけ、この中にとんでもない優秀な生徒が何人もいた。中学3年の時に、長野県全体の生徒を対象に、進学テストがあった。この中で、長野県でベスト10にはいるような生徒が2人いた。この2人だけではなく、他にも優秀な生徒がそろっていた。後にも先にも、私の学年だけが突出した生徒が集まっていた。冬以外でも、遠すぎて、長野高校に通えない生徒である。私が1浪して府立医大に合格できたのは、この人たちのおかげである。今でも、本当に感謝している。

実家3 ・この写真は、平成23年(2012年)11月4日に撮った。私の家は隣の人に売却して、両親は妹の住んでいる大阪の池田に転居してきた。隣の人が改修したりしているので、少しわかりにくい。右側が私の家で、ベニヤ板で覆っている所が裏への通路になる。すぐ横のガラス戸が私の家の入口である。当時はどこも貧しかった。私の家は経済的には中の下ぐらいだったと思う。この前の台風の時に、行こうと思っていた。まだ、この家が建っているのかよくわからない。

ツーリズムEXPO ・10月27日(日)は、インテックス大阪で開かれていたツーリズムEXPOジャパン2019に行ってきた。ネットで前売り500円でチケットを手に入れた。しかし、印刷した用紙を机の上に置いたまま持って行くのを忘れてしまった。当日券は1,000円であった。段々年を取ってくると、よほど興味のあること以外、出かけることは少なくなった。出不精になっている。私の医院からバスに乗って京都駅まで行き、新快速で大阪駅に行き、環状線などを使って会場までたどり着いた時間は、1時間半ぐらいであった。
 会場は、北米、ヨーロッパなどと分かれており、各国の旅行代理店や観光局などがブースを構えていた。大きい所から小さな所まで、いろいろ出ていた。現地の人とふれあうこともできる。

ラスベガス ・ここはラスベガスのブースである。写真になるかと思って撮った。南米では、ブラジルやペルーなども出ていた。年末年始に行くコロンビアのブースもあった。ここはさすがに小さく、現地で旅行代理店をしている日本人の人がいた。個人旅行から企業の訪問まで、企画運営をしている。日本からコロンビアには、アメリカ経由で行くという。私のように、メキシコ経由で大丈夫なのか、少し心配になった。
 地球の歩き方でも、ボゴタとカルタヘナとメデジンが載っているぐらいである。今回行くのは、ボゴタとカルタヘナである。アマゾンで「Lonely Planet」のコロンビアを注文したら、在庫がないようで、直接海外から送られてくる。コロンビアに関する本そのものも、昔の本ばかりで最新のものはなかった。それぐらい、日本人は行かないようである。

ベトナム ・各会場では、踊りやカンフーなどの実演もしていた。ここは、ベトナムの航空会社のブースである。韓国コスメの実演もしていた。私は行かなかったが、日本国内のご当地どんぶりが食べれる会場もあった。広場のステージでは、ハイヒール・モモコが「モモコのオススメ韓国」トークショーをやっていた。モモコはしょっちゅう韓国に行っているようである。日帰りでも、行ってきたことがあるという。
 LCCで1万円ぐらいなら、新幹線で東京に行くより安い。私は元気なうちに、年を取ってから行けないような所に行こうと思っている。ある程度年齢が来たら、近場にするつもりである。中国もまだ行きたい所がある。しかし、監視カメラが多すぎる。清く正しい旅行をしないといけないような気がして、あまりリラックスできそうもない。韓国に行くには、簡単なハングルを覚えなければならない。近くて安いのが魅力である。私は射撃に通おうかと思っている。
 今回のツーリズムEXPOジャパン2019は、大阪では初めての開催であった。私はあちこちに行っているので、正直に言って、少し物足りなかった。しかし、家族や友人たちと、「今度はここに行ってみたいね」と各国のブースを回るは、楽しい。会場に足を運んだ人は、みんな満足していたと思う。

週刊スパ ・前回約束していた本がまったく読めていない。他にも、読みたい本が何冊もある。しかし、この本は重要な本なので、パスして他の本に浮気するわけにもいかない。その代わりに、いつもコンビニで買っている週刊スパの記事を取り上げる。きょう、新しいスパが出たが、先週の火曜日に出たものである。毎回連載の小林よしのり「ゴーマニズム宣言」である。テーマは「第62章 今の価値観を過去に適用する愚」であった。
 小林よりのりについては名前は知っていたが、過去に何を発言していたのかあまり詳しくない。週刊スパに出ていたこの連載については、概ね私と意見が一致していた。しかし、今回のテーマについては、きちんと反論しておきたいと思った。前半部分はこれでかまわない。後半は、韓国の慰安婦や韓国併合について書いている。テーマにあるように、70年以上前の慰安婦に、現代の「女性の人権」の価値観を適用させようとするのは、愚の骨頂のようなことが書かれている。左翼が「韓国併合」を絶対悪と捉えることを非難し、当時の国際法では合法だったと主張している。日本は日清戦争を経て、韓国の階級制度を廃止して、インフラ整備もしたという。
 私は前から書いているように、左翼ではない。昔からの左翼の人は、ほとんど護憲派である。私は憲法を改正して、自国の軍隊を持ち、国家として独立することを主張している。反米でもなく、独立国家として、米国でも中国でも利害が一致して協力できることは協力したらいいと思っている。今のように、わが国の防衛をアメリカに牛耳られていることは屈辱だと思っている。正真正銘の改憲派である。憲法改正については、戦前の教育勅語の復活を試みようとした安倍首相には反対である。
 さて、慰安婦については、橋下徹も昔はどこにでもあったことと発言している。日本は韓国にいいことをしたというのも、百田尚樹がいつも言っていることである。まず、どうして日本は朝鮮に対してここまで投資したかである。現在アフリカのスーダンでは、難民や避難民が約400万人ぐらいいるといわれている。当時、31%が奴隷で48%が特権階級の朝鮮を日本が近代国家にしたと主張するが、同じようにスーダンにも人道的に投資して近代国家にしたらいいと思う。日本の都合で植民地にして近代国家にしたのは、国防を含め、それだけ日本にとって利用価値があると思ったからである。
 さて、韓国併合は合法であったとか、慰安婦は当時どこにでもあったである。ウィキペディアによると、アメリカ合衆国のアフリカ人とその子孫は、1640年代から1865年までは合法的に奴隷化されていた。その後も、人種分離法(乗り物からトイレまで)である「ジム・クロウ法」が、1964年の公民権法制定までのあいだ「合法」とされていた。去年の春に大ヒットした映画「グリーンブック」は、1962年のことが描かれている。現在、黒人に対する当時の差別については、「仕方なかった」と正当化する人は誰もいない。黒人差別を訴える人に、未開のアフリカから連れてきて、文明人にしてやったと反論する人もいない。朝鮮が日本に併合されてからは、創氏改名を強いられ、差別もされてきた。朝鮮を併合した日本は、他のアジアの国を侵略し、最終的には敗戦国となっているのである。無条件降伏をしたかっての支配者に、こんなことを発言する資格はない。
 元徴用工問題では、ウィキペディアに詳しいことが載っていた。日本の主張は、本件は1965年(昭和40年)の日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決しているである。小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」でも、国際条約を否定する韓国を非難している。個人の請求権の問題などもあるが、ここまではそれでいいと思う。韓国を非難する時に、国際条約を守らないことが盛んに強調されている。
 前回の日記で、内田雅敏「靖国参拝の何が問題か」 (平凡社新書)を再掲した。この中で、安倍首相が東京裁判は勝者の裁判であると答弁していることを紹介した。A級戦犯が合祀されている靖国神社にも参拝している。靖国神社はWar Shrineとして海外では知られ、外国の首脳は絶対に参拝しない。今年の秋季例大祭には、国会議員が98人も参拝している。これらの行為が、日本が結んだ国際条約であるサンフランシスコ講和条約にどれほど違反しているのか、誰も気がついていないのであろうか。元徴用工問題どころの話ではない。この講和条約によって、戦後の世界の秩序が保たれているのである。私の意見に反対なら、感情的ではなく、いくらでも理路整然と反論したらいい。

 

令和1年10月22日(火)

 年末年始はコロンビアに行こうと思っている。アメリカ経由だと、たとえトランジットでも入国扱いとなる。一旦荷物を引き取り、また厳しい荷物検査を受けなければならない。メキシコ経由だと、メキシコシティからボゴタまで飛行機が出ている。中南米に行くには、メキシコ経由が便利そうである。ただ、飛行機のフライト時間が正確なのか、心配である。しょっちゅう遅れていたら、かなわない。
 実は、成田からメキシコシティまでは全日空の飛行機が出ている。13時間弱である。まだこれから、メキシココスタリカなどにも行ってみたいので、ANAカードを作ることにした。ところが、カードの審査に時間がかかり、きのうやっと届いた。私がキャッシングの枠を多く書きすぎたので、審査に手間暇がかかったようである。国内では、キャッシングなんて使わない。ブラジルでは、ドルからの両替でも両替率が悪かった。多少手数料を取られても、現地のATMで現地の通貨をキャッシングするのがお得である。
 ネットでカードの申し込みをしてから、何と1ヶ月もかかってしまった。その間に、スカイスキャナーでビジネスの料金がどんどんと変わって行くのを見ることができた。1ヶ月前でも、12月28日発の航空券はあれよあれよと上がってしまっていた。もっと安い出発日がないか調べていたら、12月26日発が安かった。この時の料金が一旦少し下がって、4〜5日前にまた2万円ほど上がっていた。航空券をいつ買うのか、タイミングは難しい。カードがすぐに届いていたら、もっと高い値段で買っていたかもしれない。いずれにしても、正月やゴールデンウィーク、盆は値段が高いので、この時期をどこまでずらせるかである。
 きょうは祝日だったので、きのうの夜は京都駅のマンションに泊まった。次の日が休みという時は、リラックスできる。しかし、きょうはこの日記を書かなければならないので、あまりゆっくりとした気分にはなれなかった。ふだんTVはほとんど録画してみるぐらいである。きのうの夜10時過ぎに、マンションでTVを見ていた。ニュースもすぐに見飽き、他のチャンネルを回していた。この日は、きょうの日記で紹介するつもりであった読みかけの本を読まなければならなかった。しかし、まったく読む気になれなかった。
 NHK総合TVで、「逆転人生」をしていた。途中からであったが、本当に面白かった。売れないお笑い芸人だった人物が、日本語教師となり、中国で大成功して北京大学などで日本語を教えるようになった。自分の教え子たちが日本語スピーチ大会で優勝したりして、現在は大活躍している。今はカリスマ日本語教師として、中国だけではなく、世界でも活動を広げているという内容であった。番組に出てきた中国語教師も教え子も、びっくりするほど美人で、改めて中国の奥深さを知った。
 ゲストの草g剛がハングルに堪能だとは聞いていた。ハングルを覚えるために、映画なども見て、そればかり集中して勉強していたという。私は英語の勉強を長いことしてきた。熱心に勉強したり、忙しくて何年もほとんどしていなかったこともある。留学もしたことがないので堪能とは言えない。CNNを見ていても、ディスカッションになると何を言っているのかよくわからなくなる。中国語はいつも発音で挫折している。元気なうちに中南米に行こうと思っているので、次はスペイン語である。CD付きの本より、YouTubeのスペイン語講座の方が最初の取りかかりがいい。いつも何か新しいことをしようと思っても、ふだんの生活パターンが決まっていると、なかなかそこに新しいことを滑り込ませるのは難しい。とりあえず、メキシコまでの往復券はきょう取れたので、ハウマッチぐらいの簡単な単語は覚えていこうと思う。
さて、今週のトピックス85で梶谷懐 高口康太「幸福な監視国家・中国」 (NHK出版新書)を紹介した後で、オートモードの「道徳感情」とマニュアルモードの「功利主義」についてずっと考えていた。例えば、中国のウィグル族に対する弾圧を批判する道徳感情と中国企業と提携して利益を増やしたい功利主義である。アメリカのプロバスケットリーグNBAのチームマネージャーが「自由のために戦い、香港を支持しよう」とツイートしたことを端に、NBA最高責任者であるコミッショナーもこのマネージャーも擁護した。結局、中国の怒りを買い、中国での試合の放送は取り消しされ、協力関係も見直すとされた。AIなら、経済的損失を計算して、チームマネージャーの発言を取り消していたであろうか?
 きょうは別の本を、結局読み終えることができなかった。ここでは、高市早苗が閣僚2人目として、靖国神社の秋季例大祭に参拝したことを取り上げる。参拝後、記者団に「1人の国民として参拝した。どの国でも国策に殉じた方に敬意を表し、感謝の気持ちをささげるのは普通になされている」と述べた。超党派の国会議員でつくる「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の98人もそろって参拝したことが伝えられた。高市早苗も参拝した議員もここで紹介した「今週のトピックス68」を是非とも目を通して欲しい。国内ではこの程度のコメントで通用するかもしれない。しかし、国際的にはバカな恥知らずの国会議員と見なされても仕方ない。最後に、内田雅敏「靖国参拝の何が問題か」 (平凡社新書)を再掲する。

ブランチ大津京1  ここは大津びわこ競輪場跡である。私の持っている琵琶湖のマンションの目の前にある。2018年6月に撮った写真である。

ブランチ大津京2  この写真は、最近撮った写真である。今年の11月に大型商業施設であるブランチ大津京が開業する。公園が主で、商業施設は小さいものかと思っていたら、建物が敷地を大きく占める。
 近くのホテル紅葉の跡は、2つの大きなマンションが建っている。プレサンスでない方のマンションを、東山医師会の先生が2年ほど前に買ったという。最上階ではないが、広さが100u以上あり、値段は6200万円以上したという。もちろん現金である。琵琶湖の花火もよく見えるという。それにしても、高いと思った。私のマンションは80u(?)ぐらいで、最上階の角部屋で、4200万円(300万?)ぐらいだったと思う。この先生の子ども3人は、全員国公立の医学部に行っている。1人は京大を卒業し、1人は府立医大を卒業している。お金を含め、上には上がいると思った。

 

今週のトピックス 68 (181218)

内田雅敏「靖国参拝の何が問題か」 (平凡社新書)
内田雅敏「靖国参拝の何が問題か」 (平凡社新書)

 この前の日曜日は琵琶湖のマンションに泊まった。次の日の朝に仕事がある時には、朝5時に起きてマンションを5時半に出てくる。早朝は道路がすいているので、医院までは車で20分ほどである。この日は夜10時頃に床についたら、目覚めたのが朝2時半であった。私は睡眠で悩んだことはない。ただ、ごくまれに早く目覚めることがある。この日は眠ることはあきらめて、朝3時から5時頃までこの本を読んでいた。医院には5時半頃着いた。内容が面白く、その後でも、外来が始まるまでずっと読み続けていた。
 著者は1945年生まれの弁護士で、日本弁護士連合会憲法問題対策本部幹事をしている。少し前に紹介した、京都新聞に載っていた記事の著者である。この本は、2014年に書かれている。これまで断片的に持っていた靖国神社のことについて、わかりやすく整理して解説してくれている。論理的で、説得力がある。誰にとっても推薦の本である。
 まず、安倍首相の平成25年(2013年)12月26日の靖国神社参拝である。このことについては、この日記でも私は何回も非難した。安倍首相は同年4月の参議院予算委員会で、植民地支配や侵略をめぐり、「侵略という定義は学会的にも国際的にも定まっていない」と述べている。この靖国神社参拝は、「米国政府は失望している」と声明が出され、中国、韓国だけではなく、フィリピン、シンガポール、インドネシア当局も批判している。台湾の馬英九総統も「隣国の歴史の傷みを顧みない行動は理解に苦しみ、失望だけにとどまらない」と不快感を表明した。欧州、ロシアからも批判された。
 ここでは小泉首相の参拝と安倍首相の参拝の違いを書いている。小泉は自民党総裁選に勝つために、元日本遺族会会長の橋本に流れる遺族会票を取り込むために、「必ず参拝します」と起死回生策をとった。もともと靖国神社には何の関心もなかった。ところが、安倍首相は東京裁判否定発言で、戦後世界平和秩序に挑戦した。私は別の本で、小泉首相の靖国神社参拝は、日中関係を悪化させ、田中派が握っていた中国利権(日本のODAで、企業が中国に進出する場合は、その予算の数%が旧田中派に流れていた)を潰すためと読んだことがある。
 韓国、中国などはどこの国でもしている戦没者への追悼、慰霊を批判しているわけではない。政府主催の「全国戦没者追悼式」を批判したことはない。靖国神社参拝を批判しているのである。2013年8月15日の戦没者追悼式で、安倍首相はアジア諸国に対する加害責任に言及せず、不戦の誓いも盛り込まなかった。きれいな文句で語られた犠牲者たちの実情は、大本営の「自活自戦永久継続戦」命令(武器・弾薬・兵員はもちろんのこと、糧食も補給できないが、それでも自活して永遠に戦え)で、日本の軍人、軍属の戦死者約230万人のうち約6割が餓死、戦病死であった。
 靖国神社は当初、戊辰戦争における「官軍」側の戦死者を追悼し顕彰する施設として作られた。しかし、日本が対外的に膨張政策をとり、アジアに対する植民地支配と侵略戦争を遂行する過程で、この神社の役割は追悼から顕彰へ大きく舵を切られた。戦争で死ぬと靖国神社に神として祀り、その功績を顕彰し、臣下に対して決して頭を下げることのない天皇が「英霊」に頭を下げて下さる(天皇親拝)というシステムを作り出すことにより、兵士たちの拡大再生産が可能となったのである。国のために戦死することを最大の栄誉してまつる精神システムとして機能してきたのである。現在までに246万6千余柱が祀られている。
 子どもがお国のために戦死したら、天皇自らが英霊を讃えてくれるというシステムを、高橋哲哉東大教授は悲しみを喜びに変える「感情錬金術」と呼んでいる。神として祀る以上、彼らが参加した戦争はすべて正しい戦争ー聖戦でなければならない。敗戦後も、日本の近・現代における戦争をすべて自衛のための戦争だとし、植民地支配も肯定し、先のアジア・太平洋戦争もアジア解放のための戦争だという歴史観を明確にしている。靖国神社はA級戦犯らを「護国の英霊」として顕彰し、「聖戦史観」を掲げ、安倍首相のように戦争の罪を否定している。
 この本では、歴代日本政府の歴史認識に対する政府の公式見解が紹介されている。1972年の日中共同声明では、「過去において日本国が戦争と通じて中国国民に重大な損害を与えたことの責任を痛感し、深く反省する」と表明している。従軍慰安婦の国家の関与を認めた1993年の河野談話についても一部紹介されている。私はその内容を読んだことがなかった。ここに書かれていることは、一部で批判されているような内容ではなく、まともな談話だと思った。強制や軍の直接関与、資料が残されていないなどの外務省の巧みな言い回しで、慰安婦問題がなかったかのように信じている人も多い。この本の最後の方で書いているように、8月15日の敗戦に際して、連合国の進駐を受けるまでの間、軍・官(内務省、外務省など)一体となって証拠書類の焼却作業をしていたのである。よくも、資料が残っていないなどと言えたものである。
 無断合祀による戦死者の魂独占の虚構についても書いている。外国人である韓国人、台湾人の合計は約4万9千人である。家族に無断で合祀されている人も多い。靖国神社では、A級戦犯などの分祀ができないとよく言われている。しかし、神道では分座と呼ばれていて、できないと言っているのは靖国神社だけである。実際に2人の皇族が、246万余の戦没者が一括で括られる「座」とは別な「座」に合祀されている。靖国神社自身が分座を認めているのである。本質的問題は、A級戦犯が合祀されていることではなく、戦後になってもこれまでの戦争をすべて聖戦としていることである。
 靖国神社の神々の実態についても紹介している。特攻隊の生みの親と言われている大西瀧治郎海軍中将命(のみこと)は、ポツダム宣言の受諾に最後まで反対し、「国民の四分の一が特攻作戦で死に、血染めになったこの国の様子を見て、アメリカがもうやめようと言い出すだろう。その時が講和の時だ」と述べている。宇垣纒海軍中将命は、8月15日の夕刻、特攻機11機、部下22名を引き連れ、沖縄方面に出撃した。すでに戦争は終結しているのに、「我、奇襲ニ成功セリ」という電文を最後に消息をたった。自殺行に部下を道連れにしたのである。しかし、「護国の英霊」として靖国神社に祀られている。
 東条英機命は、内閣総理大臣になって日米戦争への途を進めた無謀な開戦責任がある。陸軍大臣の時に作った「戦陣訓」の中の「生キテ虜囚ノ辱ヲ受ケズ」で、どれほど多くの軍人・民間人が集団自決をしたのか忘れてはならない。日本軍による国際法無視の捕虜虐待などが多数発生した背景には、人命軽視の「戦陣訓」や「上官の命令は天皇の命令」であって、絶対服従すべしとする「軍人勅諭」などもあった。他にも、たくさんの軍人のことが書かれている。陸軍少佐藤井一命は、少年飛行兵生徒隊教官として精神訓練を担当していた。「お前達だけを死なせない。中隊長も必ず行く」と自ら特攻を志願していた。しかし、妻子があり、操縦士でない中尉が特攻隊に任命されるはずがなかった。夫の固い決意を知った妻は、2人の幼子と共に飛行学校近くの荒川に入水した。特攻出撃を果たした藤井少佐を同じように「護国の英霊」として祀っている。
 鹿児島県知覧の「特攻平和館」のことも書いている。大戦末期特攻出撃した若者たちの写真や遺書等が展示され、見学した人々が涙するという。しかし、軍指導者の責任を問う展示は一切ない。特攻死した少尉以上の士官769名中、658名が飛行予備学生・生徒であった。「初陣が最後」である。戦争末期の特攻基地では、整備員たちが「こんな子どもをこんなボロ飛行機で!」と泣いたという。
 遺族の思いに巧みに入り込むのが靖国神社の「あなたの夫は、父は、息子は、兄弟の死は決して犬死に、無駄な死ではありませんよ」という囁きである。ある遺児は、本殿に上がった時、宮司から「皆さん、よくおいでくださった。お父さんがお待ちかねですよ」と言われ、涙をこらえたと述懐している。宮司から、「皆さん、将来家庭を持たれたら、今度は子どもさんを含めて家族全員で、お父さんに会いに来て下さい」と言われ、感激し、また行くぞとなる。日本社会全体が、靖国神社の「聖戦史観」を克服できていない。
 保阪正康の靖国神社参拝を続ける友人のことも紹介している。「われわれの死んだ仲間が靖国にいるから会いにゆく。それ以外の誰が祀られていようと関係がない。天皇が参拝に行こうが行くまいが、それも関係ない。仲間にかわって生をもらったわれわれは靖国にいって、われわれは今も君とともにいると話しかける」と述べている。他にも、私が知らなかったことである。明仁天皇(平成天皇)は、自分たちの祖先は朝鮮半島から渡ってきた、「日の丸・君が代」を強制するのはよくないと発言したり、硫黄島訪問の際には、予定になかった朝鮮人戦没者慰霊碑を参拝したりしている。
 第4章で、「東京裁判は、勝者の裁きか」では興味深いことが書いてある。ドイツの場合は、敗戦により戦前と戦後の連続性が切断された。連合国側の干渉を受けることなく、1949年5月8日に新憲法を制定している。日本政府作成の憲法草案が旧態依然たるものであったことに業を煮やしたマッカーサー元帥の命令により、急遽作成された憲法草案は、明治の自由民権運動と大正デモクラシーの流れを取り入れたものであった。それをまとめたのが、ラウエル中佐報告書である。
 2013年3月の衆議院予算委員会で第二次世界大戦の戦犯を裁いたいわゆる東京裁判について安倍首相は、「大戦の総括は日本人自身の手ではなく、いわば合衆国側の勝利者の判断によって断罪がなされた」と答弁した。それ以外の方法、つまり日本人自身の手で戦犯を裁くことが可能であったのか。陸軍がポツダム宣言の受諾に最後まで反対した1番大きな理由は、「国体」の護持がなしうるかどうかという点にあったわけでない。本音は連合国による戦犯裁判への恐怖であった。「昭和天皇独白録」にも、「軍人達は自己に最も関係ある戦争犯罪人処罰と武装解除について、反対したことは拙い事であった」と語っている。
 サンフランシスコ講和条約第11条では、日本国政府は戦犯裁判の結果を受け入れると表明している。つまり、これは条約で認められたもの、国際社会で信頼を得るためにきちんと守るべき事柄である。今日、ドイツでは「ナチスは正しかった」と発言することは、犯罪とされている。連合国が日本に対する戦傷賠償請求を放棄した14条とも密接に絡んでくる。ところが、歴史に無知で(作者が書いている)教養のない(私が追加した)安倍首相が日本を代表する立場で、「東京裁判は勝者の断罪」と発言することは国際的に許されない。現在、韓国の徴用工問題で韓国を批判する声が多い。この安倍首相の発言はそれどころではない。日本政府は連合国側と東京裁判の結果を受け入れるとして講和条約を結んだのである。この条約に基づいて、現在の世界の戦後体制が維持されているのである。それを日本の代表として、真っ向から否定しているのである。
 前から書いておきたかったこともこの機会に書いておく。1997年(平成9年)、北野武監督の映画『HANA-BI』が、第54回ヴェネツィア国際映画祭で日本作品として40年ぶりとなる金獅子賞を受賞した。この時の授賞式では「今度またイタリアと組んでどこか攻めよう」「Let's try again with Italia and go to some country to war」と日英両語でスピーチした。この発言で会場は凍りつき、厳しい批判にさらされた。北野監督としては、ジョークのつもりで言ったのだろう。日本は、ドイツ、イタリアと三国同盟を結んだので、欧米ではヒトラー、ムッソリーニ、天皇は独裁者として同列に扱われている。それこそ、冗談でナチスを讃えるのと変わりない。私も当時そうであったが、敗戦国として何の自覚も反省もしていない。
 1945年9月に内閣は臨時閣議を開いて、日本人自ら国際法規ならびに戦争法規に違反した者を裁くという決定をした。そして、軍法会議により8人を処罰した。そのうちのひとり本間雅晴陸軍中将は「パターン半島死の行進」について問われている。処分は、中将としての礼遇停止という単なる行政処分に留まっていた。先ほどにも書いたように、証拠書類の焼却作業をしていたので、まともな裁判ができるはずもなかった。無宗教の国立追悼施設の設置についても書いてある。興味のある人は是非ともこの本を読んで下さい。
 最後に、文藝春秋12月号に載った、前宮司の独占手記「靖国神社の危機」である。今年3月、伊勢神宮の宮司から靖国神社のトップに就任した小堀宮司である。「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ」と発言し、遺骨はあっても、御霊はないという趣旨のことを言い、「今上陛下は靖国神社を潰そうとしているだよ」と発言し、辞任している。天皇が御親拝をとりやめた昭和50年は、政教分離が厳しく言われた時期で、それが影響しているという。A級戦犯が合祀されたのは、昭和53年である。今回紹介した本には書かれていないこともあり、興味のある人は是非とも読んで下さい。

 

 

令和1年10月15日(火)

 この連休は、今は誰も住んでいない長野県に行くつもりであった。私の生まれは愛知県である。しかし、1歳から高校を卒業するまで、奥信濃と言われる飯山に住んでいた。今はマウスコンピューターの工場がある所である。周囲には、野沢温泉や志賀高原などがある。車をきれいに直したばかりなので、車で行くつもりであった。ところが、比較的直前にホテルなどを予約しようとしたので、あまりいいホテルは空いていなかった。結局行くのをやめて、正解であった。台風を甘く見ていた。
 それでも、診断書や書類の類いが山ほど残っていた。まだ1日休みがあると思うと、なかなか書く気になれない。私は介護認定審査会だけではなく、労災認定の仕事もまだしている。新規の障害年金用診断書を書くのも大変である。最近はカルテを山ほど持って、琵琶湖のマンションで書いている。今月の更新用の自立支援医療や障害者手帳の診断書は何とか全部書き終えた。税理士に送る9月分の資料の整理も油断していると、すぐ2ヶ月分溜まってしまう。10月22日が休みになるので、まだ余裕がある。人件費がかかっていない分、医療事務以外のことはすべて私がやらなければならない。  

今週のトピックス 86 (191015)

ETV特集 「昭和天皇は何を語ったのか〜初公開”拝謁記”に迫る〜」
ETV特集 「昭和天皇は何を語ったのか〜初公開”拝謁記”に迫る〜」

 この番組は9月7日午後11時からNHKEテレで放送されていた。私は録画したまま放置していた。連休で時間があったので、きのうの夜に見た。メモを取りながら見ているので、書ききれない時には、また戻して見ている。1時間半の番組でも、2時間以上かかる。早書きすると、自分の書いたメモでも、後から見ると読み取れない時がある。その時には、また録画で確認である。この番組では、天皇の発言や文書など正確を期すために、旧字体を使ったりしていた。ここではわかりやすいように、およその発言の趣旨などを紹介する。きょうネットで調べて見たら、「NHK NEWS WEB」に詳しい紹介が載っていた。拝謁記で検索すると、すぐ出てくる。
 ここでは、きのう私が取ったメモを見ながら、この番組について紹介したい。この拝謁記は、戦後の初代宮内庁長官であった田島道治が1953年12月に退官するまでの約5年間の間に昭和天皇との対話を記した記録である。手帳6冊、ノート12冊がある。祖父(田島道治)が入院の時に焼却しようとして、叔父が説得して預かり、その叔父も亡くなったので、遺族の孫が最近公開したという。この番組で出てくるのは、昭和天皇の戦争責任である。大日本帝国憲法では、天皇が軍を統帥し、統治権のすべてを握っていた。日本政府は、天皇は「無答責」で国内法上は責任はなかったとした。しかし、東京帝国大学総長南原繁は、陛下には政治上法律上の責任はないが、道義的責任はあると述べた。退位を求める声もあった。
 ポツダム宣言では、戦争犯罪人に厳重な処罰が加えられるとされていた。知識人に広がる退位論には、天皇も田島もその動向を気にかけていた。1946年5月にいわゆる東京裁判が開廷した。マッカーサーの意向で、昭和天皇は戦犯として訴追されなかった。判決から逃れても、天皇退位を求める論調が広がっていった。GHQの国際検察局長であったウィリアム・シーボルトは、天皇の退位や万が一の自殺は政治的破綻になるとマッカーサーと協議していた。占領政策を施行する上で、天皇の在位が極めて有用だった。吉田首相を呼び出して、天皇を退位させないように指示した。1948年11月に、東京裁判の判決が下った。A級戦犯25人に刑が言い渡された。東条英機ら7人に死刑が下された。
 1949年になっても、天皇は退位のことを言っていた。天皇の側近の1人であった木戸幸一は、天皇の退位は講和条約ができた時と述べていた。木戸は、1941年に東条英機が唯一陸軍を抑えることができる人間と思って、内閣を作らせた。1951年9月にサンフランシスコ講和条約が結ばれ、日本は独立を回復した。この時に、田島による「天皇のお言葉」案が8つあった。天皇はどうしても反省という言葉を入れねばと思うと述べていた。天皇は支那事変で、南京でのひどいことが行われているとううすうす聞いていても注意もしなかったと述べ、張作霖爆殺事件(1928年)で関東軍が列車ごと爆殺したことについて、田中義一首相が真相を曖昧にして責任者を職務停止しただけで、後年の陸軍の綱紀のゆるむ始めになったと述べている。また、1931年に関東軍が独断で満州事変を起こし、それを政府が追認したのは、軍の下克上を早く根絶しなかったからだと田島に吐露している。
 吉田首相は、天皇の反省というお言葉で、退位説が再び再燃することを恐れた。田島が天皇の意見を聞きながら作り上げた「お言葉」の中で、戦争への悔恨を表した部分が最終的に削除された。過去のことではなく、新しい日本の復興を強調した内容が求められた。もちろん、天皇に反省させて、天皇の権威や威信に傷つくことを恐れたこともあると思う。木戸幸一は、「もし退位せざれば、皇室だけが遂に責任をおとりにならぬことになり、何か割れきれぬ空気を許し、永久の禍根となるにあらざるやおそれる」と述べている。この番組で、一橋大学特任教授が、「天皇の責任の所在が天皇自身が明らかにする『お言葉』があれば、戦争に協力した国民の責任を含めて議論が始まる。すべての責任を昭和天皇だけに押しつけるわけにはいかない。曖昧な形で処理されてしまった」と述べている。
 昭和天皇の木戸幸一や近衞文麿、東条英機に対する人物評も興味深い。天皇の退位は、講和条約が結ばれた時に、皇太子はまだ未成年だったので、後5歳上だったらどうなっていたかわからないという意見も出ていた。他にも、天皇がアメリカに沖縄諸島を軍事占領し続けることを希望していたという後に発見された「天皇メッセージ」資料についても触れていた。このことについてはいろいろな議論が出ている。天皇は、マッカーサーが日本の沖縄所有を認めようとしなかったので、主権は日本にして租借地として提供したと弁解している。
 さて、国内では天皇の戦争責任は曖昧にして、せいぜい道義的責任があるとして、知識人の間で退位論も出ていたぐらいである。海外に目を向けると、アメリカを始めとする連合国軍で戦った人々や犠牲者、家族、侵略されたアジアの人々はそう考えていない。ここでも何回も書いているが、百田尚樹は日本会議などの手先となって、日本はアジアでいいことをしてきたと主張している。「今こそ韓国に謝ろう」では、朝鮮民族がいかに劣っている民族かこれでもかと書いている。誰が読んでもヘイト本である。この百田尚樹の書いた間違いだらけの「日本国記」を安倍首相は絶賛している。
 先週出た最新の週刊スパで、毎週掲載されている「倉山満の言論ストロングスタイル」を読んでいた。増税をした安倍首相を非難していた。いろいろな考え方があるので、これはこれでいい。日本の景気が回復したら増税なんて言っていたら、どんどんと少子高齢化が進み、私が生きている間には増税する機会なんて永遠に訪れないような気もする。ここでは、他に靖国神社参拝問題が取り上げられていた。安倍首相が靖国神社に参拝していないことを強く非難していた。
 私は、どうして昭和天皇や平成天皇、現天皇がご親拝されていないのに、安倍首相だけを非難するのかよくわからない。天皇を直接非難したらいいと思う。天皇は歴史をよく知っているので、永遠にA級戦犯が合祀された靖国神社にはご親拝されない。名古屋の河村市長は、南京事件で日本兵がありとあらゆる蛮行をしたので、その後各地に兵士のための慰安所が設けられたことを知っているのであろうか。9月23日の夜中にMBS毎日放送でやっていた「映像’19 ガチウヨ 主権は誰の手にあるのか」のウヨクの方が、オツムの弱そうな河村市長よりよほどしっかりしていると思った。

 

令和1年10月8日(火)

 この前の日曜日は、毎年恒例の東山医師会「秋の集い」が午後6時からあった。今年は京都第一赤十字病院からは誰も参加していなかった。会員の先生も少なかった。最初に講演会があり、その後でテーブルを囲んで食事会である。今回の講演会は、森林再生支援センター常任理事の「人々の歴史の中の京都の森」であった。あまり期待していなかったが、話の内容は本当に面白かった。現在68歳になる京大農学部出身の先生で、日本全国植樹をして森の再生をしている。
 最初に、去年の9月4日の台風21号の爪痕など、京都の森のニュース画像を解説してくれた。東山区の清水北門付近や将軍塚南側の倒木被害が大きかった。国は画一的な植林を求めるが、京都は国とは異なる森林再生の考え方を持っている。スライドの内容を印刷したレジメを持っているので、一部を紹介したい。森全体の健康は、「持続可能性」を守りつつ、@揃わないこと、特に揺らぎ A後継樹が育つこと B場所に見合ったものがあることである。利用されなくなった森の行く末は、山腹斜面の不安定化・崩壊、景観的被害、生物多様性の単純化をもたらす。京都の森づくりは、生物多様性が基本となっている。立地多用性に対応した種多様性、遺伝的多様性、階層多様性、齢多様性が挙げられている。68歳にしては若々しく見えた。若い人の指導も、自分たちで考えさせる方法をとっているので、3Kとは無縁でみんな生き生きとしているという。
 講演会の後は、食事会である。いろいろな先生と話ができてよかった。私はゴールデンウィークと盆休みに2週間近く休みを取った。他の先生方は、ヨーロッパに行く時でも、1週間ちょっとである。なかなか長い休みは取れないようである。東山医師会会長も、盆休みは3泊5日でニューヨークに行ってきたという。私の患者さんは1ヶ月処方の患者さんも多いので、迷惑がかからないように工夫はしている。実際にこんなに長く休みを取りだしたのは、今年にはいってからである。
 私のテーブルには、私より少し若い先生が何人かいた。同じ10年でも、40歳から50歳になるのとは違う。66歳から10年後は76歳である。ここでも何回も書いているように、仕事ばかりではなく、元気なうちにやりたいことはやっておこうと思う。TVのCMで坂本龍一が出ていた。随分年を取ったと思ったら、私より1歳上であった。髪の毛を染めているが、私の方がずっと若く見えると思った。

今週のトピックス 85 (191008)

梶谷懐 高口康太「幸福な監視国家・中国」 後半(NHK出版新書)
梶谷懐 高口康太「幸福な監視国家・中国」 (NHK出版新書)後半

 この本の後半部分は、きょうの午後4時過ぎに読み終えた。(木曜日も日曜日もある程度読んでいた) 後半部分はけっこう専門的な内容になっていて、前半部分のようにさっと読み終えることができなかった。理解しにくい部分は何回も読み返したり、使われている用語についても、ネットで詳しく調べたりした。例えば、リバタリアン・パターナリズムでも、パターナリスムはこの本に書いてある温情主義だけではわかりにくい。強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援することをいう。親子関係だけではなく、中国政府と国民の関係について思い浮かべるとわかりやすい。
 ナッジとは、背中を押したり、肘で軽くつつくといった意味であり、選択肢をうまく設計・配置することによって、人の背中を押すように、人々に適切な選択をさせることやその手法を指す。ノーベル賞を受賞した行動経済学から出ている。アマゾンが、AIを使って、過去の購買履歴や閲覧情報から「お薦め」をしてくれるような助言に近い。最初から、選択の自由を奪うからと言って、ランダムに本を並べられても使い勝手が悪い。
 リバタリアン(大きな政府を批判する自由至上主義)・パターナリズムとは、政府がより練られた制度設計によって、ふつうの人がより望ましい選択のインセンティブを与えようとするものである。しかし、「民意の反映であればたとえ愚かな選択であったも受け入れる」のが民主主義の精神であるとするなら、明らかにそれとは相容れない側面を持っている。すでに紹介した前半の続きの第3章では、幸福と自由のトレードオフについても詳しく解説している。筆者がこの本で書きたかったことは、第7章の最後で簡単にまとめている。中国の現状については、レッシングが警鐘を鳴らしたような「大手民間IT起用が提供するアーキテクチャが人々の行動を左右する」という状況とサスティーンらが推し進めようとしている「温情主義的な政府が制度設計によって市民を善導する」という状況がある。
 第4章は、民主化の熱はなぜ消えたのかである。中国共産党がメディアの検閲を行ってきた対象は、「中国共産党による一党支配に疑義を呈すること」「トップ政治家に対する批判」「民主化運動など反政府運動を教唆すること」「少数民族の独立を促すこと」が中心である。現在は電話番号が身分証として紐付けられているので、抗議デモの呼びかけなどを流そうものならすぐに発信者が突き止められてしまう。
 天安門事件後にケ小平が残した「穏定圧倒一切」(安定はすべてに優先する)は中国共産党にとって絶対の価値を持つ。微博(ウェイボー)がリリースされたのは2009年である。2010年に江西省で起きた事件では、政府の暴力的な土地収用に抗議して住民3人が焼身自殺を図り、1人が死亡した。親族が実情を訴えようと北京市に向かったところ、地元政府関係者が空港で妨害しようとした。ところが、微博でネット中心に同情の声が高まり、中国政府は地元のトップを罷免した。2011年の広東省の事件では、村の共有地使用権が企業に譲渡され、企業が支払った補償金が村民に還元されず、抗議活動が起こった。10日間の籠城で、一部始終が微博で中継された。最終的に、地方政府が譲歩する形で幕引きが図られた。どうして、微博におけるネット世論の圧力に政府が譲歩したかである。
 独裁国家は民主主義国家ではないが、それでも民意を無視できるわけではない。選挙で正当性を担保されていない分、民主主義国以上に世論に敏感という側面がある。下っ端の役人は悪者であるが、上位の役人は基本的には民のことを思っている。水戸黄門のような図式を演出することで、中央政府のメンツが保たれ、抗議者は利益を得るという幕引きが可能になっていた。ところが、習近平が放った3本の矢で、状況は一変する。第1の矢は「反腐敗キャンペーン」である。「汚職官僚退治で最も実力があるのは中国共産党だ」ということをアピールする狙いもあった。全国で約134万人の党員が処分の対象になったと言われている。このキャンペーンの最大の特徴は、基本的に司法手続きを踏むことなく行われ、ほとんど共産党内の党規律違反で摘発されている。第2の矢は強圧的な封じ込めである。2015年には人権派弁護士、活動家ら200人が一斉に逮捕、取り調べを受ける「709事件」が起きている。第3の矢は、監視員、世論誘導員の増員である。
 現在は旧来型の言論統制ではなく、より新しい形での言論統制も導入されている。書き込んだ本人でさえ検閲の存在に気づかせない「不可視の削除」である。「検索で表示されない」等、バリエーションはいろいろある。ほかに発達している仕組みとして、「ネット世論監視システム」がある。ある特定のトピックスに関する書き込みが増えると、警報を出すというシステムである。検索サイトの百度(パイドゥ)などがシステムを開発し、地方政府や国有企業相手に販売している。サービスを購入した政府や地方は、自らがネットの炎上の対象になった時に、速やかに対応し、初期状態で沈静化に努める。ネットのユーザー数が増えると、政府への怒りは国民の間で共有されず、日常生活や自らの趣味が興味の中心となってしまう。現在の中国のネット空間は、エンターテインメントを中心とした世界に一転している。
 第5章は、現代中国における「公」と「私」である。ここでは、市民社会のことが書かれている。西欧とは違った中国の市民社会のことがいろいろと解説されている。議論が複雑すぎるので、ここでは詳しい紹介は省略する。私が個人的に興味を持ったのは、日本共産党の主流を形成した「講座派マルクス主義」や講座派の「二段階革命論」を批判した「労農派」の簡単な解説であった。講座派も労農派も名前だけ聞いたことがあるぐらいだったので、勉強になった。
 西洋起源の「ルールとしての法」ではなく、中国では「公論としての法」が規定される。機械的にルール=法を適用するのは、むしろ否定の対象になる。あくまでも個別的案件において「公平な裁き」を実現していくことが重視される。公平な裁きを実現できるのは、教養を積んで人格的にも優れている一部の人だけだとなる。また、欧米近代思想に起源を持つ、政治的権力の平等と権力の分散化を意味する民主化要求と、中国の伝統思想に起源を持つ、経済的平等化とパターナリスティックな独裁権力によるその実現を意味する民主化要求がある。経済面における「平等化」の要求は、国家権力を制限するのではなく、むしろパターナリズムを容認し、強化させる方に働きがちとなる。限度を超えた「私利私欲」の追求が横行する現代において、何らかの「公共性」を実現するために、党の権力に頼らざるを得ないという面がある。
 第6章は、幸福な監視国家のゆくえである。まず、功利主義と監視社会である。監視を通じた社会秩序の実現を考えた場合、監視テクノロジーの進歩により、犯罪や暴力的行為の予備的措置が可能になる。功利主義とは、@帰結主義、A幸福(厚生)主義。B集計主義をいう3つの要素に帰着する。@は、ある行為の(道徳的)「正しさ」は、その行為選択の結果生じる事態の良し悪しのみによって決まるという考え方で、Aは、道徳的な善悪は社会を構成する個人が感じる主観的幸福(厚生)のみによって決まるという考え方で、最後のBは、社会状態の良し悪しや行為選択の(道徳的)「正しさ」は、ひとりひとりの個人が感じる幸福の総和によって決まるという考え方である。
 ここでは、オートモードの「道徳感情」とマニュアルモードの「功利主義」が対立する根拠として、「トロッコ問題」が挙げられている。ブレーキのついてないトロッコが勢いよく線路を走っていて、その先には5人の作業員がいる。そのままだと、確実にひき殺されてしまう。歩道橋の上でもう1人の人がいて、その人を突き落としてトロッコを停めたら、5人は助かる。現在は、功利主義に基づいて道徳的判断の根拠が人間によるものから、AIによるものにしだいに置き換わろうとしている。この章では、EUにおけるGDPR(一般データ保護規制)のことも書いてある。その根本には、「私的財産としての個人情報」という考え方がある。「データは誰のものか」という議論も興味深い。
 第7章では、新疆ウイグル自治区の再教育キャンプのことが書かれている。監視テクノロジーを駆使した統治の実験場と化していると著者は強く非難している。中国で発禁となっている王力男の小説「セレモニー」の内容についても触れている。テクノロジーによる独裁には、「重要なアキレス腱」があるという。独裁権力は、日進月歩するテクノロジーに依拠しなければならないとしても、独裁者は自分では理解も管理も運用もできない。独裁者は新しいテクノロジーに無知なので、専門家は独裁メカニズムに対して、小を持って多を制する能力を有する。著者はテクノロジーの進化で、日本でも起きうることの可能性も指摘している。本の内容が濃すぎて、なかなかうまいことまとめることができなかった。是非とも、この本を手に取って読んで見ることをお薦めします。

 

令和1年10月1日(火)

 4週間に1回であるが、金曜日の午後から往診に行っている患者さんが2人いる。ところが、8月は第5週まで金曜日があった。先週の金曜日は、第2週と第4週にある介護認定審査会とこの往診が重なってしまった。1人は近くの患者さんだったので、審査会の前に行けた。もう1人の患者さんは深草に住んでいるので、審査会の前に行くことはできなかった。結局午後の外来が終わってから、夜8時頃に行った。往診はなるべく要領よくまとめてやりたい。ところが、2人ともデイ・サービスなどを利用していて、金曜日以外に日にちを合わせることができない。結局、深草の患者さんは水曜日の午後に往診に行くことにした。
 今年も後3ヶ月である。今年は例年になく、お金を使ってしまった。カルテを2階に運ぶダムウェーターに240万円使い、ブラジルにフランクフルト経由のビジネスクラスでゴールデンウィークと盆休みの2回行った。今年は、定期積み立て貯金を何回も崩した。現地でのホテル代やツアー代は知れている。飛行機代だけで、1回80万円以上かかっている。時間があったら、ゆっくりとエコノミーで行き、現地で裕福に1〜2ヶ月間暮らせるぐらいの値段である。行ける時に行かないと、一生後悔するので、これはこれでよかった。ビジネスクラスはエコノミーが横10席の所を6席が多く、フルフラットになるので、エコノミーの縦3席分ぐらいを占める。料金がエコノミーの3倍ぐらいになるのは仕方ない。2回の往復はすべて満席であった。
 娘には、生前贈与の毎年110万円は約束していたので、年末までには払わないといけない。春に50万円払ったので、後60万円である。年末年始に予定しているコロンビアの飛行機代もあるので、また貯金を崩さなければいけないかと思っていた。ところが、思わぬ副収入がはいることになった。実は、きのう私の生命保険の手続きの変更で、係の人に医院まで来てもらった。すでに満額払っているので、今は年間5万円だけ特約で払っている。いつもバタバタと書類に追われているので、自分の生命保険や年金さえどうなっているのかよくわからなかった。(年金は今でもよくわからない) 
 死亡・高度障がいで1千万円が出ることがわかった。他に積立配当金があり、引出可能額が247万円もあった。これは私が生きている間には税金がかからない。私が死んでしまってからでは遅いので、これを引き出すことにした。車は今年の9月から19年目にはいっている。さすがに、塗装も薄れてきた所があるので、最近15万円をかけてボンネット周りを塗り替えた。さすがに、車を運転していても、滅多にこの車を見ることはなくなってきた。市内はハイオクでリッター6kmぐらいである。しかし、私は気に入っているので、20年以上は乗るつもりである。来年の3月には、やっと息子が私立医学部を卒業する。最後の後期の授業料223万円を払い終えた所である。この臨時収入247万円で精神的には随分と楽になった。

今週のトピックス 84 (191001)

梶谷懐 高口康太「幸福な監視国家・中国」 前半(NHK出版新書)
梶谷懐 高口康太「幸福な監視国家・中国」 (NHK出版新書)前半

 この本は全部で第7章からなっている。まだ4章までしか読んでいない。一気に最後まで読んで、この日記で書いていたら、書き終えるのが夜中12時近くなる。これまでこのトピックスで取り上げた本は、そんな風にして書かれたものも少なくない。今回は、本の内容も濃いので、前半と後半に分けて紹介する。著者の梶谷懐は、中国人民大学に留学したこともある神戸大学教授で、高口庚太は、ニュースサイトを運営しているジャーナリストである。
 まず、はじめにである。中国の監視カメラの数は、全国で約2億台、2020年には約6億台に迫るとも言われている。現実世界でもインターネット上でもすべてが政府に筒抜けなのに、中国人のほとんどが不満を抱いておらず、現状を肯定的に見ている。単なる無頓着とか洗脳とかと言う問題ではない。この本では、この中国の「幸福な監視社会」の謎を解き明かしていくという。
 第1章では、中国はユートピアディストピアかである。ここでは、ドイツのメディアが伝えた中国社会信用情報センターについて紹介している。その内容は、中国には国民を監視する強大なシステムがあり、交通違反からソーシャルメディアでの体制批判まで監視している。違反者には航空券や鉄道の利用禁止など社会的制裁が与えられ、すでに2000万人が対象となっている等である。あれだけ言論が弾圧されている中国なのだから、監視テクノロジーの発達とともに、想像もつかないディストピア(ジョージ・オーウェルの「1984年」)が構築されているに違いないと、ほとんどの人は思っている。しかし、著者は、共産党の一党独裁体制や強権的言論弾圧などの先入観からくるバイアスに捕らわれてしまっているという。デジタル監視社会に詳しい専門家すら、中国の監視社会について正確には理解できていないという。
 まず、現時点では「違法行為や社会貢献の有無で上下する信用スコア」といった中国全土をカバーするシステムは存在しない。「社会信用システム建設計画綱要」では、「中国の社会信用は極めて遅れた段階にある」と述べている。「サピエンス全史」で有名なハラリは、近作で、独裁制は情報やセキュリティの管理を「集中処理」の方法を使い、民主主義は「分散処理」を好むと述べている。これまでは、個々の企業レベルで情報処理をして、互いに競争しあうような分散処理型のシステムがうまく機能したため、自由主義陣営がテクノロジー戦争に勝利していた。ところが、再びテクノロジーの性質が変化し、データの量と処理速度の重要さが増すと、今後は独裁体制が優位になる可能性があるという。経済学者の井上智洋は、AI・ビッグデータ・IoTといった次世代の汎用技術をいち早く発展させた国が、第四次産業革命期の覇権国家になると述べ、その本命が中国であると予測している。
 中国人は、国際的な調査でも、自国が正しい方向に進んでいると回答している人が94%もおり、テクノロジーに対して、「信頼する」と答えている人は91%で、調査対象国で1位であった。いわゆる監視テクノロジーについても、それが社会の利便性を高める、治安をよくするといったポジティブな側面への評価につながっている。
 例えば。アリババクラウド社は、杭州市のスマートシティ計画を、ビッグデータをそのものを都市インフラと位置づけ、AI時代によるデータ活用が交通渋滞の解消、エネルギー損失の縮小、物流の高速化、市政サービスの簡便性の向上、防犯体制の強化につながるという考えを示している。アリババクラウド社は、ビッグデータの内部情報には一切触れずにアルゴリズム解析をし、要求された情報を自動的にアウトプットするだけだと説明している。市民を監視する主体はAI、あるいはそれを動かしているアルゴリズムそのものである。著者によると、共産党による恣意的な人々の監視よりも、デジタルな監視技術の方が信頼できるのだと解釈することもできるという。
 著者は「デジタルレーニン主義」という用語に象徴されるようなスターリニズムの進化版のように、中国で起きている監視社会をとらえるのは、ミスリーディングだという。監視社会やそれに伴う「自由の喪失」を論じるのであれば、同時に「利便性や安全性の向上」にも目を向けなければならない。現在の中国の状況は、「1984年」より、オルダス・ハクスリーの「素晴らしい新世界」が描く世界の方に近いという。ここでは、この作品のことは詳しく述べない。著者らは、人々のより幸福な状態を求める欲望が、結果として監視と管理を強める方向に働いているという点では、現代中国や先進国で生じている現象や未来像の間に、本質的な違いはないと考えている。
 第2章は、中国IT企業はいかにデータを支配したかである。羅針盤、火薬、紙、印刷技術は古代中国の四大発明である。最近になって登場した「新・四大発明」は、高速鉄道、EC(電子商取引)、モーバイル決済、シェアサイクルである。中国の高速鉄道の運用が始まったのは2008年である。10年ぐらいで、日本の新幹線の10倍以上の営業距離となっている。最初の技術は借り物であったも、これだけの距離を作ることで中国企業の実力も伸びてくる。中国ECの規模は全世界の市場規模の40%を占めている。アリババはイーベイとアマゾンとの戦いに、「誰から買うか」を重視して勝ち抜いた。アマゾンなどの「何を買うか」のモノ軸ECはリテラシーの低い人は使いこなせない。ふつうの店に近いヒト軸ECにすることで、より多くのユーザーを取り込めたのである。
 他にもいろいろなサービスが利用できる。ライブコマースというのは、動画配信とネットショッピングを一体化させたサービスで、視聴者は動画を見てボタンを押すだけで商品を購入できる。単なるTV通販と違って、視聴者のコメントに配信者が回答するというインタラクティブ性が特徴である。「裏地を見せて」とかコメントを送ると、配信者がそれに答えてくれる。他にも、共同購入、社区ECについても、紹介している。このECの爆発的な拡大を支えてきたのが、モーバイル決済である。
 モバイル決済は、アリババグループのアリペイと大手IT企業テンセントのウィーチャットペイで、両者で92%に達する。現金には匿名性がある。しかし、モーバイル決済では、どこで何に使ったのかお金に関する重要な情報がこの2社だけで独占していることになる。また、両者のアプリは「スーパーアプリ」と呼ばれ、さまざまなサービスのハブとなっている。アプリは大変便利であるが、膨大な個人情報を提供していることになる。
 ここでは、ギグエコノミーのことも書かれている。決まった仕事に就くのではなく、極めて短期間で、報酬も1件こなすごとにいくらという形で支払われる仕事を指す。まず、アメリカと同じ配車アプリがある。ライドシェアでは、利用後に顧客が運転手を評価する仕組みがあり、評価が下がれば仕事が減っていく。ドライバーはサービスを重視なければならない。次にブームとなったのは、都市内配送である。出前代行である。モーバイルインターネットの時代になって、ネット上のプラットフォームへと仕事探しの方法が変わった。都市内トラック配送のプラットフォーム企業は、零細の個人の運送業者のために、スマートフォンからの発注や受注をしている。
 企業にデータを引き渡すことで、それ自体がユーザーにとってメリットになるサービスも増えている。アリババグループが展開する信用スコアの芝麻信用は、ユーザーの金融能力を点数で評価する。シェアサイクルなどのサービスでも、自転車を借りてきちんと返したなどと言う記録が残されれば、利用者の信用を評価する履歴となる。従来の働き方では、本当に働いていたのか、どれだけ報酬を得ていたのかを証明するのは困難であった。ギグエコノミーで、履歴を残すことで、労働者自らの能力と信用を示すことができる。貨物ドライバーも、仕事をきちんとこなしているという信用を元手に、ドライバーと荷主のマッチングを手がける企業から融資を受けることができる。中国人の人々は利便性の代償として、または自ら望む形で、情報を企業や政府に提供している。データエコノミーが発達した情報社会は、ある意味では、監視社会そのものといえると著者は述べている。
 第3章は、中国に出現した「お行儀のいい社会」である。2018年のファーウェイでは、電子政府システムが展示されていた。住宅積立金申請では、警察で戸籍証明、銀行での個人信用報告、職場での収入証明など非効率な手続きが山のように多かった。官僚主義的な縦割り行政を、制度改革ではなく、電子化で乗り越えようとしている。最初に書いたように、中国では2000万台以上のAIカメラが作動している。2017年に深センで起きた誘拐事件では、警察はすぐに子どもと誘拐犯の居場所を特定している。中国では誘拐は極めて身近な脅威である。なぜ中国人が監視カメラを容認しているかを示す象徴的な事件であった。いたる所に監視カメラが仕掛けられているので、特に都市部では殺人や暴力的な犯罪が劇的に減っている。交通違反も減っている。落とし物をしても、ネコババされることがなくなったという在中日本人の声を聞く機会も増えたという。
 社会信用システムは、日本ではディストピア中国の象徴として取り上げられるようになった。しかし、社会信用システムがカバーする領域は多岐に渡り、1つのプログラムではなく、関連するいくつもプログラムの総体である。権力対市民という構図ではなく、ビジネスの円滑化に主眼が置かれている。まず、金融である。先進国では、個人信用情報データベースは、複数の民間企業が運営しているケースが大半である。中国もそれにならい、2015年に民間企業8社に設立準備の許可を出した。道徳に関しても詳しく解説している。結局、世界が注目し騒いでいる地方政府による点数付け、道徳的信用スコアは、現時点では、紙の上でのディストピアでしかない。実質的に、何の不利益も生じていない。しかし、将来はどうなるかまだわからない。
 この第3章の最後では、サイバー法などを専門とするレッシングの議論ナッジリバタリアン・パターナリズムのことが書かれている。幸福と自由のトレードオフのことも議論している。もう少し、書きたかったが、段々と疲れてきた。この続きは、次のトピックスで紹介しようと思う。

 

令和1年9月24日(火)

 風邪もほぼ治りかけてきた。長い1ヶ月であった。今年の冬はいつもより、風邪にかからないように気をつけようと思う。4〜5日で風邪が治るという人が信じられない。きょうは、今週のトピックスにも関係してくるTV番組のことを書いておこうと思う。この1ヶ月は、ブラジルの旅行のことを書くだけで精一杯であった。
 まず、9月6日(金)の夜中0時過ぎに始まったテレビ大阪の「じっくり聞いタロウ〜スター近況マル秘報告〜」である。私はTV番組は録画して、時間のある時に見る。AV女優の君島みおが出演していた。最近は宅配レンタルで、AVも借りるようになったので、女優の名前も少しは知るようになった。福岡・中州のナンバー1風俗嬢からスカウトされ、去年までは月20日〜25日まで仕事をしていたという。女性の司会者が、月20人から25人の男性とセックスをしていることに驚いていた。(必ずしも1人ではなく、1本の作品の中で、何人もの男優とセックスしていることもある)
 ゲストに今週のトピックス55(平成30年7月17日の日記)で、紹介したアケミンも出ていた。本の題名は、アケミン「うちの娘はAV女優です」(幻冬舎)である。興味のある人は、また読んで下さい。現在年2000〜3000人のAV女優がデビューしているという。TVでは、女性の200人の1人がAVに出演していることになると話していた。7〜8割が親バレでやめていくという。アケミンが紹介していた親公認のAV女優は、現在引退しているが、計700本に出ていたという。中には、セックス中毒でこの業界に入る女性もいるという。この番組では、中国人の「爆抜きツアー」も紹介していた。東京に着いた日から女体盛りがあるという。値段は7泊8日で、70〜80万円から100万円ぐらいらしい。
 もうひとつの番組は、これもテレビ大阪で9月11日(水)に放送していた「未来世紀ジパング」である。タイトルは「今知るべき世界の大問題」である。私はこの番組はほとんど見ていない。取り上げられていたのは、人身売買されてきたミャンマー人の「海の奴隷」である。人身売買の拠点は、タイのバンコクである。それこそ奴隷のように、船の上で働かされる。けがをしたり、病気になったりしたら、そのまま海に放り込まれてしまう。他にも、新疆ウイグル自治区のことやタイ南部のハジャイで売春婦として売買される少女たちのことが取り上げられたいた。司会のシェリーが述べていたように、すべて根底に貧困の問題がある。

今週のトピックス 83 (190924)

丸山ゴンザレス「世界の危険思想」 (光文社新社)
丸山ゴンザレス「世界の危険思想」 (光文社新社)

 この本は今週読み終えた。買ったのは、盆のブラジル旅行の時である。空港の本屋で見つけた。旅行中はなかなか読めなかった。伊丹空港からリオデジャネイロまで、乗り換え時間も入れて約30時間もかかった。ところが、この本はあまり読む気がしなかった。この人は、世界中の危険地帯の取材をしていることは知っていた。人気番組「クレイジージャーニー」にも出演している。本の著者の紹介を読んでいたら、私より二回り(同じへび年で24歳)年が若い。改めて、自分に残されている時間が少ないことを知った。
 内容としては、私の知らなかった面白い部分もあるが、ちょっと中途半端な所もある。「世界の危険思想」というタイトルがついている。なにも過激派などの思想を述べているわけではない。副題に悪いやつらの頭の中となっている。目次も、裏社会の掟とか、スラムの現実などと並んでいる。私は若い時には、藤原新也開高健などの旅行記を読みあさっていた。後から小田実の本も読むようになった。私の旅行スタイルは、小田実の「何でも見てやろう」である。売春街でもスラム街でも、とにかく自分の目で見て確かめたい。日本社会の裏と表の世界だけではなく、世界の現実も知りたい。私は精神医学の中では薬物依存も専門とするので、丸山ゴンザレスの世界と重なる部分も多い。
 第1章は、人殺しの頭の中である。TBS系で放送している「クレイジージャーニー」の取材で、ジャマイカのスラム街で現役の殺し屋にインタビューしている。「クレイジージャーニー」の番組はこれまで見たことはなかった。少し前に放送していたのを録画して見た。ここまで危険そうではなかった。それでも、充分に面白かった。こんな所までTVカメラを入れて取材しているとは思わなかった。この殺し屋は、ターゲットを尾行して、酒屋で仲良くなり、酒をおごり、酩酊したときを狙って、頭部を殴打する。第2章では、フィリピンのことが書かれている。殺人事件に限れば、フィリピンが邦人殺人事件が1番多いという。2008年〜17年の間に、39人が殺害されている。ここでは、現地の妻と結婚した日本人の社長が殺されたことについて書いている。犯人は妻が雇った殺し屋と思われる。警察はすぐに捜査を打ち切っている。社長の下で働いていた日本人の友人は、次は自分の番だとすぐ会社をやめて、日本に逃げ帰っている。
 少し前に、ネットで読んだ記事である。日本人と結婚したフィリピン女性に子どもができて、しばらくしてフィリピンに子どもと一緒に帰った。夫は日本で働きながら、妻と子どもに仕送りして、時々フィリピンに帰っていた。定年退職した後は、妻と子どもの住んでいるフィリピンで過ごすつもりであった。退職してしばらくしてから、夫はフィリピンで何者かに殺された。妻が雇った殺し屋に殺されたようである。しかし、犯人はみつからない。日本人の夫が死亡した場合には、フィリピンに住んでいても、日本からその子どもに対して、いろいろな手当が出るようである。そのお金が目当てだったのである。
 この記事を読んだ時に、とんでもない出来事だと思った。ところが、この本にはもっと強烈なことが書いてあった。フィリピンでは、交通事故で死亡しても、10万ペソ(月22万円)ぐらいの賠償金で済んでしまうという。相手の車が高級車の場合は、法外な修理代を請求されるので、その場から逃げることもあるという。1番こわいのは、相手に大怪我をさせた時である。相手が半身不随とか重症になった場合は、いくら治療費を請求されるかわからない。加害者の中には、死んでくれた方が10万ペソの賠償金で安く済むと考える人もいる。その結果、重体の人をひき殺してしまうということも起きるという。
 このことは何もフィリピンに限ったことではない。ブラジルでも安い値段で殺し屋を頼むことができる。旅行者は大丈夫である。現地で何年も住んでいる人は、現地の人と利害を伴った複雑な人間関係ができる。現地の人を雇った場合も同じである。女性ができても、それだけでは終わらず、その兄弟や家族などが出てくる。一旦話がこじれると、危険性が増してくる。今回はフィリピンのことを多く取り上げたが、大半の人はもちろん凶悪犯罪とは無縁のふつうの生活を送っている。
 第3章では、スラムの現実が取り上げられている。スラムのルール「富の再分配」はよく理解できる。みんな貧しいので、普段から助け合いの精神が当たり前になっている。北朝鮮からの日本人妻脱北者も、飢饉などで食べる物がないときには、隣近所の北朝鮮の人々から食べ物を分け与えてもらったと述べている。だから、臨時収入があった人は、自分で1人占めするのではなく、みんなに分け与えなければならない。日本人が現地の妻の家族の面倒を見るのも当たり前と考えるは、この「富の再分配」がベースにあるかもしれない。もともと日本人妻になる人は、フィリピンパブなどで働いていたような貧しい家の出の人が多い。この平等主義は、社会的に成功した人にはわずらわしくなる。
 第4章の裏社会の掟では面白いことが書いてあった。ここではアメリカ・ロサンゼルスのサウス・セントラルのことが書かれている。ギャングがそれぞれの地域の縄張りを持っていることは、映画などでもおなじみである。ギャングは原則として自分の縄張りから出ないのである。他の縄張りも車で通過する時には、顔を隠すという。著者が指摘しているように、縄張りが「支配エリア」ではなく、一種の監獄となっているのである。
 著者は売春も取材している。プレイのほうは、年齢を重ねていることや、出演しているテレビ番組への影響を考慮して遠慮することもあると書いている。TV局は、取材のついでに女性を買ってセックスをしてきましたということが公になるのは嫌がる。年を重ねているというが、始めに書いたように私よりまだ24歳も若い。
 この本では、世界の貧しい地域が出てくる。彼らが選択する職業は、スリ、物乞い、そして売春である。いくつかの国の売春のことが書かかれている。バングラデシュの男性が好むのは、豊満な女性である。売春婦たちは、客をとるために、牛用ステロイド剤を摂取し、太った豊満な体にする。インドで訪れた村では、案内された売春街の女性は、売春を生業とするカーストに所属していると説明された。
 第6章では、麻薬のことが書かれている。私は、国内の覚醒剤中毒や薬物依存に詳しいだけではなく、黄金の三角地帯のクンサーからコロンビアのメデジン・カルテルのパブロ・エスコバル、最近ではメキシコの麻薬王エル・チャポなどについてもたくさんの本を読んでいる。ここでは大麻のことも書かれている。内容としては、この本でも紹介したようなことぐらいである。著者はメキシコに麻薬カルテルの取材に出かけている。結局元カルテルの人間には接触できず、潜在的な危険にも会っている。この本では、人を殺すのは思想であると書いてある。くどくど説明していて、内容にもうひとつ切れ味がなかった。
 実は、今週は準新作であるレンタルビデオを借りて見ていた。実際に制作されたのは、1986年である。最近になって、DVDで発売されたようである。題名は「ヘンリー」である。映画.comの解説では、「1970〜80年代に全米で300人以上を殺害したといわれる伝説の殺人鬼で、『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターのモデルにもなったといわれるヘンリー・リー・ルーカスの日常を、冷徹な筆致で描いた犯罪スリラー」となっていた。映画の中では、売春婦の母親のもとで育てられ、客とセックスする姿を見せつけられ、女装もさせられたという。14歳でこの母親を殺している。
 刑務所仲間の所に身を寄せて生活している時に、この妹が夫が刑務所にはいり、子どもを母親の所に預けて兄の所にやってくる。昔はストリッパーをしていた。小さな頃から父親に性的虐待を受け、映画の後半にも出てくるが、兄にもセックスを強要されている。ヘンリーの境遇を知って、この妹は互いに不幸な環境に育ったことに共感を抱く。この兄とも、ヘンリーは快楽的な殺人を繰り返す。しかし、最後はこの兄を殺し、ヘンリーに思いを寄せていた妹まで殺してしまう。古い映画なので、画面は昔のTVサイズ(4:3)である。しかし、何気ない映像の撮り方がうまい。この映画を見て、丸山ゴンザレスが書いている内容を遙かに凌駕する貧困、売春、犯罪、殺人などがつまっていると思った。

 

令和1年9月17日(火)

 まだしつこく風邪をひいている。暑さのだるさとは違う、不快なだるさが続き、身体が疲れやすい。1ヶ月経っても治らないようであったら、病院に行って調べてもらおうと思っている。きのうは連休であった。1日休みがあると、ほっとする。だるさでやる気が起こらないので、書類がどんどんと溜まっていく。きのうでも、医院の掃除や荷物の整理をしていたら、あっという間に1日が過ぎた。夜8時頃から自立支援医療などの診断書を書き出して、11時過ぎぐらいまでかかった。23日も祝日なので、助かる。前から書いているように、このホームページの医院の紹介部分を書き直し、スマホでも見れるようにしたい。なかなかやる気が起こらず、今度の23日にはやろうと思っている。精神的には余裕がなく、いつも書類の締め切りに追われている。
 きょうも夜10時過ぎになってしまったので、リオデジャネイロの後半を以下に写真付きで紹介する。

パンフレット ・この紙は、ホテルに置いてあったツアーの案内である。一部だけコピーしている。ホテルで申し込むと、バンやバスなどで、迎えに来て、帰りは送り届けてくれる。前回のリオデジャネイロの案内は1番上に書いてある。ポルトガルと英語で内容は簡単である。案内では、「ONE DAY IN RIO」となっていて、料金は250レアル(約7,500円)であった。
 実は、8月18日(日)はビーチで有名なコパカバーナなど、1人でゆっくりと市内を巡るつもりであった。ところが、ホテルのWifiでスマホを見ていたら、19日も20日も天候が悪かった。18日は快晴であった。仕方ないので、前日に引き続き、またツアーを申し込んだ。この写真では、1番下である。ARRAIAL DO CABOと書いてあり、英語ではBOAT TRIP VISITING BEACHESと書いてあった。昼食込みで200レアル(約6,000円)であった。ホテルの人に、リオデジャネイロの地図を見せてどこか聞いたら、遠くて地図に載っていないと言われた。

ARRAIAL ・18日(日)は、ツアーバスが朝8時半頃にホテルに迎えに来た。30人ぐらいの観光客が乗っていた。観光客はブラジル人とイタリア人の団体客がほとんどであった。イタリア人などの欧州人もポルトガル語がわかるわけがない。ガイドはブラジル語(ポルトガル語)と英語で説明してくれた。途中、休憩所に1回寄り、このARRAIALの港に着いたのは、出発して4時間以上経ってからである。今回地図で調べてみたら、リオから東にたどり着いた所で、ここから海岸線は北に上がっていく。 

船着き乗り場 ・日曜日だったので、大勢の人々でにぎわっていた。ここから船に乗って、ビーチを訪れる。

船上 ・船の上では、サンバが大音響で流れ、みんな水着で陽気に踊っていた。ラテン系(イタリア人やブラジル人)の乗りで、おばさんも大胆な水着を着ていた。

岩場 ・途中、こんな岩場も見えてくる。

ビーチ1 ・最初のビーチである。遠浅なので、小さなボートに乗り換えて行く。

ビーチ2 ・ブラジルのビーチも白い砂浜と澄んだ水がきれいであった。

ビーチ3 ・ここはもうひとつ訪れた別のビーチである。リオのコパカバーナなどでは、タンガという小さなビキニを付けた美女が大勢歩いていると、地球の歩き方には書いてあった。中には紐みたいな水着を着けている人もいたので、これはタンガになるのかよくわからない。

ビーチ4 ・ビーチの雰囲気である。地元の人も多く、こんなに混んでいたのは、日曜日だったからだと思う。

ビーチ5 ・これだけ快晴だと、気持ちがいい。ここは地球の歩き方にも出ていなくて、ツアーに参加できて本当によかった。

船上2 ・帰りの船上である。船の上では、別料金でビールを飲むこともできる。

カモメ ・カモメがたくさん飛んでいた。船のマストの上にとまっていたりして、何枚も写真を撮った。

市内 ・ここはツアーバスが停まっている所まで歩いて行った町の中の景色である。観光地なので、あちこちにレストランがあった。この日は夕方5時にランチを取り、帰りも4時間以上かかった。ホテルに着いたのは夜9時半であった。往復8時間以上かけて行ったことになる。それでも、日本人がほとんど訪れることのない所に行けて、大満足であった。これだけのツアーで6,000円はお得だと思った。

コパカバーナ ・19日(月)は天気予報の通りで、朝から曇り空で本のわずかであるが、小雨がぱらついたりしていた。私はファベーラ(スラム街)ツアーに参加したいと思ったので、ホテルの近くの旅行代理店に行くつもりであった。グーグルの地図では、歩いて4〜5分の所にあった。ところが、いくら探してもこの旅行代理店は見つからなかった。仕方ないので、ホテルのWifiでスマホを使って、ネット予約した。コパカバーナの有名ホテル前が集合で、20日(火)の午後2時からであった。4時間ぐらいのツアーで寄付金も入れて、130レアル(3,900円)だったと思う。
 ここは大胆な水着の美女で有名なコパカバーナのビーチである。たくさんもホテルが並んでいる。厚い雲に覆われ、小雨が降っていた。一体どこで人が泳いでいるのかと思うぐらい悪天候であった。私は10年近く使っていたPhotoshopを最近最新版に買い換えた。霞取りが簡単にできて、一応きれいに写っている。実際は景色が霞んでいて最悪であった。もっと行ったら、イパネマの海岸にたどり着く。天候が悪かったので、ここに行くのはあきらめた。
 私は何でも見てやろうなので、夜は比較的早い時間(午後7時過ぎ)に、リオデジャネイロ最大の売春街であるVILA MIMOSAにタクシーで1人で行った。ネットの記事では、薄暗い裸電球が照らしていると書いてあったが、私がタクシーで案内された所は、そこまで貧しい印象ではなかった。市内から20分ぐらいの場所であった。もしかしたら別の地元の売春街に連れて行かれたのかもしれない。クイアバでは、タクシーの運転手がガイドの人に聞いた所とは別のレストランに連れて行こうとした。ネットの記事では1kmとなっていたが、300〜400mもないぐらいの通りであった。
 こういう売春街は裏の世界で管理する人がいて、中でぼられることはあっても、強盗などに襲われることはないだろう。売春街で襲われたら、誰も来なくなる。ただ、売春街を出たこの周辺は危ないかもしれない。私は小さなバッグにカメラを入れて行った。まだ早い時間で、何件もあるオープンバーみたいな所に娼婦が出ていた。もっと遅い時間になったら、娼婦や客でにぎわうのだろう。身体の大きな太った女性が多かった。こういう場所に慣れない人は、たむろしている客もこわそうに見える。東洋人なんか誰もいない。地味な格好をしていても、私は目立ったと思う。
 それでも、1件1件覗いて廻った。たまたまはいった所で、若い女性が上半身裸でいた。18歳以上だと思うが、それほど若かった。ここでビール(1缶8レアル約240円)を飲みながら、胸のお触りをさせてもらった。ポケトークWも持って行った。リオの通信状況は良くて、簡単に翻訳してくれる。ところが、字が読めないようであった。翌日のファベーラツアーで解説していたが、スラムなどでは識字率は2割ぐらいだと話していた。
 2階に部屋があり、セックスは140レアル(4,200円)と言われた。いつもしつこく書いているように、こんなところでセックスをしたり、口の奉仕を受けたら、間違いなく性病をうつされる。私はどんな部屋か見たかったので、お金を払って上に上がった。大勢の客が出入りしていた。部屋にはシーツの交換もしていないような汚い狭いベッドが置いてあり、やっと人1人が通れるぐらいのスペースであった。部屋の写真を撮りたかったが、タイミングを失ってしまった。すぐに、太った黒人の女性がはいってきた。どうも、50レアル(1,500円)で、この女性も買えということらしかった。どんな所か確認できたので、早々と退散した。この時に、隣の店にもすごくきれいな胸をした若い女性が上半身裸でいた。どうせセックスはしない。客もはいっていなかったので、上には上がらず、女性にチップを渡し、ビールを飲みながらお触りするのがいいのかもしれない。
 偶然タクシーが待っていたので、そのままコパカバーナの日本食レストランに行った。ここは地球の歩き方にも出ていた。牡蠣鍋を頼み、ビールも飲んで150レアル(4500円)であった。サンパウロのリベルタージより高い気がした。ここから、歩いてボアッチに行った。サンパウロのボアッチは高級店だったので、チェックが厳しかった。(どんな所か見たかっただけで、女性は買っていない) ここは、狭い入口で、英語でシステムを説明してくれた。明朗会計で、女性を40分買うか1時間買うか、部屋をスタンダートにするか、豪華にするかでチャート図で示してくれた。マッサージは別のプロの人がしてくれ、別料金で1時間100レアルであった。サウナもついており、汗が流せるのが気持ちよかった。私は女性は1時間でスタンダードの部屋を選び、全部で620レアル(18,600円)だったと思う。チャート図の下に値段が書いてある。
 サウナに入って、ガウンのままラウンジに行く。飲み物は1つ無料である。ここでもビールを頼んだ。店で雇われていると思われる女性が次から次へとやってくる。私はもう逃げられないと思った。病気がこわいので、セックスや口の奉仕はしてもらうつもりはない。女性を選んで部屋にはいるしかない。サンパウロでもそうであったが、最初に声をかけてくる女性は自信があるのか、きれいな人であった。ただ、こちらとしては、女性を見ながら、ゆっくりとラウンジで雰囲気を楽しみたい。結局、1人選んで部屋に行った。鏡張りの部屋で、マジックミラーで覗き見られているのではないかと思った。女性は27歳で、簡単な英語もしゃべれた。ドバイ(?)やシンガポールにもいたことがあると話していた。こういう女性を世界に派遣している裏の組織があるのかもしれない。

ファベーラ1 ・翌日の20日は午後2時からファベーラツアーに参加した。待合場所であるコパカバーナの有名ホテルには、地下鉄で行った。うろ覚えであるが、8レアル(240円)ぐらいだったと思う。ここからバンに乗って、スラムの1つであるRocinha(ロシニャ)に行った。10人ちょっとぐらいのグループである。このファベーラツアーは、動物園に見に行くように、貧民街の人を見に行き、批判されたこともある。少し前のツアーでは、ギャング団の車と間違われ、警察と銃撃戦になって、観光客が死亡している。
 私の参加したツアーは、NGO法人みたいなグループが主催していた。ガイドがこのスラム出身で、大学にも行き、貧困を扱った国際会議にも参加しているようであった。この日も天気が悪く、遠くが霞んで見えた。

ファベーラ2 ・ガイドの人は、かなり政治的な発言をしていた。特にドイツの企業がアマゾンに入って自然を破壊していることについて強く批判していた。
 上に行けば行くほど、貧民街が広がっている。

ファベーラ3 ・こんな細い路地をはいって行く。

ファベーラ4 ・通りの風景もこんな感じである。

ファベーラ5 ・ツアーに参加していた人たちである。ハワイに4年ほど住んでいるという日本人女性も参加していた。現地のパートナーと一緒であった。ガイドの英語は聞きとりにくいと話していた。コロンビアのボゴタからブラジルにやってきたという。ボゴタはよかったという。前日に、私と同じように巨大キリスト像が建つコルコバートの丘などに見学に行っていた。天候が悪かったので、雄大な景色は楽しめなかったと思う。旅行は天候がすべてである。

ファベーラ6 ・地元の教会にも寄った。ここは入り組んだ地下の細い通路を行った所にあるバーである。1番左側の人物がガイドである。ファベーラ出身の大学卒はいないようである。サッカー選手ならいるかもしれない。実は、雨が降っていて、すこし冷えていた。4時間ぐらいの案内であったが、トイレには1度も寄らなかった。トイレに行きたくて仕方なかったので、ここではビールは飲まなかった。

ファベーラ7 ・バンの乗り場まで、歩いて行く。正直言って、地元の下町を歩いているような感じで、それほどすごい光景には出会ったわけではない。安全であまり汚くない場所を選んでいると思う。前日行ったVILA MIMOSAの方が、生活感があってリアリティがあった。この日は、午後10時10分発のルフトハンザ行きの飛行機に乗り、乗り継いで、22日(木)の午後3時過ぎに伊丹空港に帰ってきた。ホテルは延長料金を払って、夜7時にチェックアウトできるようにしていた。シャワーを浴びたり、着替えができてよかった。
 ネットの記事などを読むと、風俗を楽しむならサンパウロのようである。しかし、ポルトガル語もしゃべれず、英語がほとんど通じないので、最初から楽しもうと思っても無理がある。病気もこわい。日本でさえ、今は梅毒が大流行しているぐらいである。私は風俗目的ではないので、観光も含め、リオデジャネイロの方がよかった。

 

令和1年9月10日(火)

 相変わらず、風邪をひいたままである。まだ、咳や痰が出る。やはり、治るのに1ヶ月かかりそうである。盆休み後は山ほど患者さんが来ていた。今はその反動で、患者さんの数は減っている。きょう受診した私より年上の患者さんが、韓国について腹が立つと話していた。今は引退しているが、私より年上でそれなり社会的地位の高い仕事に就いていた人である。こういう患者さんは、韓国のことだけではなく、首相が靖国神社参拝を参拝することに中国などが反対することについても腹を立てている。
 元徴用工問題については、日本の立場として抗議したらいいと思う。他の患者さんでも、韓国について怒りを露わにする人も少なくない。私は、こういう場合、どうして靖国神社を参拝してはいけないのか聞いても、すべての人が答えられない。この日記で、私はしつこく書いているので、ここでは繰り返して書かない。すべての人が歴史について何も知らないことに本当に驚く。きょうの患者さんでも、私がきちんと説明すると納得して帰っていった。東山医師会の集まりで、こういう政治的な話が出ることは滅多にない。ここでも、私がきちんと説明すると、みんな納得する。歴史には、誰も反論のしようがない事実があるのである。
 北朝鮮については、どうして日本はミサイル発射についてこれだけ大騒ぎするのかよくわからない。北朝鮮は、日本との国交が改善したら、放っておいても莫大な戦後の賠償金が確実に入ってくるのである。そんな国に、核爆弾やミサイルを撃ち込んだら、取れるものも取れなくなる。韓国は、北朝鮮とは常に戦時体制にある。徴兵制もある。北朝鮮からミサイルがとんできた時のシェルターが、韓国全土に1万8千ヵ所ある。文在寅大統領については、日本の報道を見ていると、ぼろくそである。しかし、安倍首相のように、自国の安全保障を本気で考えたこともなく、米国に丸投げしているのとはまったく違う。韓国の人には、日本人は平和ボケした甘ちゃんのように見えるかもしれない。北方領土問題でも、安倍首相はプーチン大統領と27回も首脳会談をして、何の成果も得られていない。プーチンにいくらおもてなしをしても、ロシアの国益がかかった北方領土が戻って来るはずがない。これが、世界も歴史も知らない、大した能力もない世襲議員の限界である。
 さて、盆休みに行ったブラジルの続きである。こういう1人旅は、その人の危機管理能力(risk management)が試される。予期せぬことが起こっても、冷静に判断し、パニックに陥らず、どこまで適切に対処していくかである。私はあちこち1人旅をしているので、訓練はされている。強盗に襲われても冷静に対処できると思う。もちろん、こちらでコントロールできないリスクもある。どんな所か何の予備知識もなく、ポルトガル語もしゃべれず、レンタカーを借りてポコネに行ったことは、その後ツアーなどで会った人に話すと、みんな驚いていた。今から考えると、中国語もしゃべれず、1人で瀋陽の空港から川を隔てて北朝鮮に接する丹東まで、よくバスを使って行けたものだと感心している。(空港からどの市内行きのバスに乗ったらいいのかもわからず、市内のどこのバス停から丹東行きのバスが出ているのかもわからなかった)  さて、前回の続きである。今回も写真付きで解説する。

階段1 ・17日(土)は、ホテルにあったツアー案内で、リオデジャネイロの市内観光に出かけた。朝8時から午後5時半までで、昼食付きで250レアル(約7,500円)であった。この日は快晴で、本当によかった。自分で市内を廻るより、ツアーではバスで要領よく案内してくれるので、お得である。
 ここは、地球の歩き方にも出ていたセラロンの階段である。カラフルなタイルがびっしりと覆っている。周辺は治安がよくないので、タクシーで行くようにと書かれていた。

階段2 ・大勢の観光客が写真を撮っていた。

ボン・ジ・アスーカル1 ・ここはボン・ジ・アスーカルである。ガイドが英語で、リオのカーニバルもなかった大昔は、リオデジャネイロの唯一の観光地がここであったと話していた。 

ボン・ジ・アスーカル2 ・ロープウェイを上っていくと、こんな景色が見えてくる。

ボン・ジ・アスーカル3 ・リオデジャネイロはサンパウロと違って、海に面しているので景色が素晴らしい。

ボン・ジ・アスーカル4 ・このツアーには、日本人らしき人が現地の恋人と一緒に参加していた。声をかけると、日系三世で、サンパウロに住んでいるという。女の人はあちこちにタトゥーを入れていた。結婚してまだ2年目で、ツアーの最中でもベタベタしていた。
 日本には、祖父母の実家のある岐阜(?)と横浜に去年あたりに行ってきたという。日本語は話せず、英語はよく話せた。

ボン・ジ・アスーカル5 ・私は海が好きなので、この景色だけでも感動ものである。

マラカナン・スタジアム ・私はサッカーに詳しくない。ここはマラカナン・スタジアムのようである。向こうの横の柱には、このスタジアムの建設に力を注いだジャーナリストのマリオ・フィーリョスの名前が書かれている。

サンバ1 ・ここはリオのカーニバルでサンバチームが出る会場のようである。

サンバ2 ・この衣装を見たら、是非ともリオのカーニバルを見たいと思った。YouTubeの動画を見てみると、きらびやかで迫力がある。

レストラン1 ・ここはランチに寄ったレストランである。

レストラン2 ・中はこんなに混んでいた。ビュッフェスタイルで、自分で好きな物が選べる。私は1人だったので、座る所に困っていたら、同じツアーのウルグアイ人家族が隣の席に座らせてくれた。味は美味しかった。

教会1 ・この建物を見たときに、近代美術館か何かと思った。

教会2 ・中に入ってみたら、教会であった。地球の歩き方にも案内が出ていた。正式な名前は、カテドラル・メトロポリターナである。

コルコバードの丘1 ・1番最後に行ったのは、リオデジャネイロでよく出てくるあの巨大なキリスト像が立つコルコバードの丘である。ここも、リオデジャネイロが一望できて、本当によかった。

コルコバードの丘2 ・この景色には何も言えない。同じツアーのチリ人女性とも話をした。この人は完璧な英語を話し、20年ほどカナダで英語の教師をしていたという。チリにも素晴らしい景色の所がいくつもあると話していた。

コルコバードの丘3 ・ここは頂上近くである。これだけの観光客がいる。

コルコバードの丘4 ・これが頂にそびえ立つ巨大なキリスト像である。夕方だったので、逆光となっている。空にはヘリコプターが飛んでいて、このキリスト像を背に、リオデジャネイロを一望できる。

セントロ ・ここはセントロにある広場である。パトカーで出ていて、警戒していた。私はこの日の夕食は、ホテルから比較的近い日本食レストランに行った。朝から晩までインディカ米とパンでは、白いごはんが恋しくなる。

 

令和1年9月3日(火)

 相変わらず風邪は治らない。前にも書いたように、私は一旦風邪をひくと、1ヶ月ぐらいは治らない。今は、やっと咳や鼻水が収まってきたぐらいである。夜中に鼻水や咳で何回も起きることはなくなってきた。ここ数年風邪を引かないように気をつけていた。今回は帰国後の22日ぐらいからのどの調子が悪かった。飛行機の中でうつされたのではないかと思っている。
 年末年始にコロンビアに行こうと思っている。今から航空券を探している。アメリカ経由ではなく、メキシコ経由でコロンビアのボゴタまで行く。乗り継ぎでも、メキシコシティでは米国と同じように一旦入国手続きをしないといけないようである。大阪から乗り継ぎで早ければ15時間ぐらいである。メキシコシティからボゴタまで5時間弱である。メキシコシティまではビジネスで行こうと思う。航空券の値段は買う時期によって変動する。一般的には、2〜3ヶ月前がお得と言われている。今から買っておいた方がいいのか、もうちょっと待ったらいいのか迷う。
 さて、ブラジルの続きである。以下に、写真付きで解説していく。

ホテル ・14日は北パンタナールの玄関であるクイアバの空港まで、レンタカーを借りた所で送ってもらった。ここから、ネットで予約したホテルまでタクシーで行った。50レアル(約1500円)であった。このホテルは、日本のビジネスホテルに近く、それほど広くはなかった。朝食付きの2泊で、計10,872円であった。

市内 ・ホテルから見たクイアバ市内である。大都市である。ホテルでは、英語がかなりしゃべれる受付の人は1人だけであった。ギマランエス高原に行くツアーがあるか聞いた。ホテルと旅行代理店が契約していて簡単に見つかる思った。ところが、あちこち電話してくれたが、ツアーが見つからなかった。
 1日ガイドを個人で雇ったら、現地のガイドで750リアル(約22,500円)で、英語ガイドなら1,000レアル(約3万円)と言われた。ところが、話しているうちに、これは旅行代理店の取り分で、他にガイドに250レアル必要と言われた。ぼられていると思ったので、自分で探そうと思った。
 マナウスで泊まった同じホテルのチェーン店に行って聞いたら、近くの旅行代理店を教えてくれた。ここに行ったら、欧米人らしき係の人がいた。ツアーのある日は決まっていて、翌日は催行していなかった。結局交渉して、朝8時半から午後5時までの英語ガイドの案内で、850リアル(25,500円)にした。

ギマランエス高原1 ・15日の英語ガイドは、大学で英語を教えていると言い、英語はペラペラであった。車の中では二人きりなので、英語で日本のことなどを話していた。ブラジル人はみんな日本は豊かで金持ちの国だと思っている。現実は、少子高齢化で、給料も上がらず、ぎりぎりで生活している人が多い。この説明を英語でしていたら、現在は決して豊かでない日本の現実を理解してくれた。海外を旅行していると、一昔前の日本製品の優秀さを挙げ、今でも日本国民の誰もが豊かな生活を送っていると誤解している人がほとんどである。
 パンタナールには、意外にも日本人観光客が多く訪れているという。数日前にも、大勢の団体客を案内したという。みんなツアーで来ているようである。この人は英語ガイドの収入も頼りにしていて、日本人がもっと訪れてくれたらと話していた。日本では、ブラジルではオリンピック後に特に治安が悪くなったと伝えられている。このことを話すと、治安の悪さは否定していた。私も5月の連休で、最初にサンパウロの空港に着いた時は、おっかなびっくりであった。今回旅行していて、私もガイドブックなどはブラジルの治安の悪さをあまりにも強調しすぎだと思った。普通に旅行していたら、何もこわいことはない。
 この写真はギマランエンス高原の滝に行く入口である。 

ギマランエス高原2 ・この日は30℃を超えるぐらいの暑さであった。しばらく歩くと、目の前にこんな断崖が続く。

滝1 ・先ほどの断崖の左に、この滝が目の前にある。この滝が「地球の歩き方」に載っていた「花嫁のベール」なのかよくわからない。

滝2 ・ここは先ほどとは別の場所である。少し長い距離を歩くと、小さな滝が見えてくる。ここで水遊びをしている人もいた。

滝3 ・先ほどの滝からもっと奥地にはいると、もっと大きな滝に出る。ここでは、色とりどりの蝶が乱舞していて、きれいであった。今回の旅行では、ソニーの高級コンデジだけではなく、倍率を確保するために、ビデオカメラも持って行った。この滝と蝶の舞う姿は動画で撮っている。そのうちYouTubeにアップロードしようと思う。

滝4 ・夜は肌寒くなるが、日中は本当に暑かった。滝の水を浴びるのも気持ちがいい。

断崖 ・ここも車で行った所である。この日の天候はよかったが、少し霞がかかっていた。こんな断崖がある。この場所も観光名所として名前が付いていた。今回調べてみたが、よくわからなかった。

展望台 ・この展望台からあたり1面を見渡すことだできる。

風景 ・こんな風景が遙か彼方まで広がっている。

断崖2 ・こんな切り立った岩壁が、道路沿いにずっと続いている。(道路は舗装されている)

ホテル2 ・16日は朝6時10分発の飛行機で、リオデジャネイロまで行った。途中、ブラジリア経由である。リオデジャネイロには午後11時20分に着いた。空港タクシーでホテルまで120レアル(3,600円)もかかった。リオデジャネイロは北側にセントロ(旧市街地)があり、真ん中にフラメンゴ地区があり、南がビーチで有名なコパカバーナである。私は、フラメンゴビーチに近いホテルに予約していた。地下鉄も近い。
 このホテルもビジネスホテルの広さである。クイアバのホテルと同じで、机があると調べ物をしたり、メモを書いたりできて便利である。朝食付きで、4泊23,113円であった。

フラメンゴビーチ1 ・ホテルから歩いてすぐ近くに、フラメンゴビーチがある。天気がいいと、気持ちがいい。国内線の飛行場が近くにあり、飛行機が飛んでいく様子がよく見えた。

フラメンゴビーチ2 ・向こうに見えているとがった岩山は、ロープウェイの線が見えているので、たぶんボン・ジ・アスカールだと思う。

ラッパ地区1 ・夜は、セントロの老舗クラブに行きたかった。ところが、地下鉄で行ったが、目的の店を見つけることができなかった。仕方ないので、近くのクェート料理店で、夕食をとった。緑のインディカ米が出てきて、味はよくわからなかった。その後、ラッパ地区に行った。オープンエアのライブハウスがあちこちにあった。店の外から演奏が見え、音も聞こえる。大勢の人が集まっており、ちょっと混みすぎである。私としては、もうちょっと落ち着いた場所の方がいい。

ラッパ地区2 ・広場では打楽器の演奏をしていた。ライブハウスの演奏より、こちらの方が迫力があってよかった。

 

令和1年8月27日(火)

 この盆休みは、8月11日(日)〜8月22日(木)まで5月のゴールデンウィークに続き、またブラジルに行ってきた。今回は北パンタナールリオデジャネイロである。北パンタナールのポコネに2泊し、空港のあるクイアバに2泊し、リオデジャネイロで4泊した。大阪の伊丹空港から羽田に行き、フランクフルト経由でリオデジャネイロに行った。伊丹空港からリオデジャネイロまでは、合計29時間かかった。帰りも30時間ぐらいである。今回の旅行も天候に恵まれ、最後の2日間は曇り空と小雨が少し降ったぐらいである。ファベーラツアーも含め、当初の目的はほとんど果たすことができた。大満足である。
 前から書いているように、今は66歳である。身体が元気なうちに、中南米を旅行したい。次の目的地はコロンビアである。結局、ポルトガル語はほとんど覚えることができなかった。スペイン語はアルゼンチンからペルーまであちこちで使えそうである。いつもかけ声ばかりで終わっている。今度こそ簡単な旅行会話だけは勉強しようと思う。22日の午後5時頃に京都に着き、23日からいつも通りの仕事である。23日には午後から介護保険の審査会があり、この資料も見なければならなかった。書かなければならない書類も死ぬほど溜まっていた。帰国したあたりから、風邪を引いてしまった。私の風邪はなかなか治ってくれない。ふらふらになりながら、山のような患者さんを診察していた。以下に、写真付きで今回の旅行を解説する。

地図 ・ブラジル通貨の1レアルは27円ちょっとぐらいだったので、ATMで現金を下ろしても、手数料を含めたら約30円ぐらいになるのだろう。アメリカドルの両替率は、空港では悪かった。リオデジャネイロに着いたのは、12日の朝5時前である。第2ターミナルの到着ゲートを出ると、空港内のすぐそばに荷物預かり所があった。ここで大きな荷物は預けた。1泊2日(24時間)で30レアルである。
 地図では、真ん中より少し下の北パンタナールのクイアバまで行った。

飛行機 ・クイアバまでは直通ではなく、サンパウロで乗り換えて行った。同じ国内でも時差があり、1時間遅れる。現地に午前11時過ぎについた。

ポコネ ・さて、ここからポコネのロッジまでである。100kmほど南下した所にある。バスも何も出ていない。レンタカーをネットで予約していたので、バンでレンタカー置き場まで案内された。受付では全くに近いほど、ほとんど英語が通じない。ポケトークWも電波が弱いのか、これもあまり変換ができなかった。予約しているのに、いろいろ言ってくる。私ははっきりとノーと言える。油断していたら、ぼったくられそうな雰囲気であった。
 何とか車の所に案内された。トヨタのプリウス(だったと思う)で、カーナビは付いていない。地図はないみたいで、どうやって行くのかよくわからない。指であっちへ行けみたいなことを言われた。クイアバは小さな町かと思ったら、中都市並みに大きかった。何とかなるだろうと、車にエンジンをかけたら、故障していて動かなかった。
 急遽、隣に置いてあったルノーに変わった。この車にはカーナビが付いていた。係の人に頼んで、カーナビにロッジの住所を入れてもらった。これで、なんとかたどり着けるだろうと思った。市内は一方通行の所が多く、反対車線との間に、隔壁が設けられ、なかなかUターンができない。この写真は郊外の道路である。1車線で、時速80km制限のところを、みんな120kmぐらいのスピードを出して走っている。
 かなり走った所で、カーナビを見ていたら、数字がどんどんと減っていく。すべてポルトガル語なので、最初は何の数字がよくわからなかった。目的地までの距離だと、やっとわかった。ところが、まだ270kmもある。ポコネまでは100kmぐらいである。明らかに、目的地が間違って入力されていた。仕方ないので、また反対方向に引き返した。
 途中、ガソリンスタンドで聞いたら、親切にもカーナビでまた入れ直してくれようとした。ところが、大勢の人が出て来ていろいろ試すが、カーナビに目的地を設定することはできなかった。もちろん、誰も英語は通じない。仕方ないので、ポコネの行き方を聞いた。郊外に出たら、道路は入り込まず、単純である。まっすぐ戻って、右に曲がったらいいだけであった。
 何とかポコネの町にたどり着いた。ここから目的のロッジまでどう行くかである。たまたま車を走らせていたら、警察署みたいな建物があった。そこに車を停めて、係の人に聞いた。もちろん英語は通じない。警察署長みたいな人の所に案内してくれた。署長クラスになると、みんな大卒のエリートみたいで、英語は話すようである。他の所の署長はもっと上手に英語を話すと、謙遜していた。私が泊まる予定のロッジはパソコンで調べてくれた。そして、わざわざ部下に車を運転させ、署長自らロッジまで案内してくれた。お礼をしなければならないと思ったら、ガイドではないと言ってお金は受け取らなかった。まったくの親切心であった。

ロッジ1 ・ここはやっとたどり着いたポコネのロッジである。日中は暑かったが、夜は肌寒くなる。厚手の下着があった方がいい。

ロッジ2 ・ポコネでツアーを見つけられるかと思ったら、旅行代理店みたいなものはないようであった。ロッジの受付の人も英語はしゃべれなかった。結局、10kmほど離れた所に、大きな農場があり、そこでボートやサファリツアーが楽しめるようであった。自分で運転してたどり着けないと思ったので、ロッジの人に送り迎えをしてもらうことにした。朝7時半頃に出発して、夜6時頃に迎えに着てもらう。料金は50レアルであった。
 この農場の入場料は90レアルで、昼食が付く。道路沿いのゲートに案内が出ておらず、ここから3km入って行く。ここがの場内にあるロッジである。1泊500レアルぐらいだと受付の人が言っていた。欧州人が多く、この人は英語がしゃべれる。

インコ ・施設内にはプールがあり、そばの木にインコがいる。子ども連れの人も多かった。たまたまレストランでビールを飲んでいたら、小さな子ども連れた日本人夫婦が遅い昼食を取っていた。離れていたので、特に声はかけなかった。

乗馬 ・広い敷地内で、乗馬を楽しむこともできる。

ワニ ・すぐそばの小川には、ワニ(カイマン)がいる。まだ小さくて、体調は30cmぐらいである。

トカゲ ・ちょっと歩いたら、大トカゲも見つけた。

木 ・絵になる木があちこちにあった。

鳥1 ・何人かでのボートツアーはきょうはないので、個人なら受け付けると言われた。1時間半ぐらいで、300レアルと言われた。もう二度と来る機会はないと思ったので、申し込んだ。ボートで広い河みたいな所を行き、この鳥の巣のある所に上陸した。

ワニ2 ・ボートの上から湿原のカイマンを見ている。こちらはかなり大きい。

鳥2 ・別の所に上陸して、いろいろな鳥を見た。

サファリツアー ・サファリツアーは団体で1人60レアルと言われた。

サファリツアー2 ・なぜか私1人で案内された。もしかしたら、ボートツアーで高くお金を請求し過ぎたのかもしれない。

サファリツアー3 ・敷地内には、家畜も放牧されている。

高台1 ・途中、こんな高台を上っていく。

高台2 ・遙か彼方まで見渡すことができる。

牛 ・たくさんの牛が群れをなしていた。

鳥3 ・こんな鳥も生息している。

サファリカー ・私が乗ってきたサファリカーである。ポコネからまた100km以上奥地にはいると、野生のジャガーも見れるようである。

カピバラ ・カピバラも群れをなしていた。

夕日 ・泊まっているロッジからの迎えが午後6時であった。夕日がとてもきれいであった。

日本人 ・14日には、クイアバまで戻るつもりであった。一旦レンタカーを返して、ホテルまではタクシーで行くつもりであった。この日に朝食を取ろうと、食堂に入ったら日本人らしき女性が2人いた。1人の女性はサンパウロで語学の勉強をしていて、もう1人は日本からこの友達を訪ねてきていた。
 私のそばの女性はポルトガル語がペラペラで、受付の人にレンタカーの会社までの住所をナビに入れてもらった。これで一安心かと思ったら、市内にはいってからナビの調子が悪く、どんどんと細い治安の悪そうな所に入っていく。これ以上行ったら、Uターンできなくなると思い、また引き返した。そして、前回のようにガソリンスタンドで聞いた。空港の近くであったが、行き方が複雑そうであった。結局、今度はガソリンスタンドのおじさんが自分の車で、レンタカーの置き場まで案内してくれた。この人には20レアルほどのチップを渡した。それにしても、我ながらよくこんな無謀な旅をしてきたものだと思った。

 

令和1年8月20日(火)

 この日はリオデジャネイロを午後10時10分に出発して、フランクフルト経由で22日(木)の午後3時5分に伊丹空港に帰ってくる予定である。この日の日記は休止します。

 

令和1年8月13日(水)

 この日はブラジルのパンタナールに滞在する予定である。北部のクイアバまでリオデジャネイロから飛行機で行く。クイアバの空港でレンタカーを借り、100km離れたホテルまで1人で車を運転していくつもりである。「地球の歩き方」には、日本人観光客があまり行かないせいか、このあたりの詳しい情報は載っていなかった。ネットのホームページを見ても、1人旅は想定しておらず、みんなツアー参加である。ゴールデンウィークに、イグアスの滝とアマゾンとサンパウロに行った時に、英語版の「Lonely Planet」を買った。ところが、本の字が小さくてほとんど読んでいなかった。
 今回は拡大鏡を使って読んでみたら、「地球の歩き方」より詳しい情報が載っていた。もしかしたら、予約したホテルは失敗したかもしれない。田舎だからと言って、安全であるわけでもない。強盗に襲われる危険もある。実際に行ってみないとわからない。

ブランチ大津京 ・8月8日(木)は琵琶湖花火大会があった。この日は休診日だったので、琵琶湖のマンションに行って、見てみるつもりであった。盆前に書かなければならない診断書や書類が山ほどたまっていて、医院を出たのが午後3時半過ぎであった。ところが、いつもと違って道路が渋滞していた。いつもなら、混んでいても30分ぐらいで行けるところが、1時間以上もかかってしまった。
 ここは11月にオープン予定の大津びわこ競輪場跡地にできる「ブランチ大津京」である。それほど高い建物はない。公園もできるので、老後の散歩にはいいかもしれない。

柳が崎 ・私のマンションのベランダからみた風景である。いつもは釣り客がいる。この写真は午後5時半ぐらいに撮った。琵琶湖花火大会は午後7時半ぐらいから、小1時間である。この日はとんでもなく暑かったが、もう場所取りをしていた。
 私のマンションの横には、大きなマンションが湖側にせり出すように建っている。花火を見るのは無理だとあきらめていた。それでも、隣の部屋側に近づいたら、ベランダからは見えるかもしれないと期待した。実際に花火が始まって見たら、本のわずかに見えたぐらいである。

花火1 ・仕方ないので、柳が崎湖畔公園に出て、びわこ大津館に行こうとした。ところが、途中湖岸沿いの道路に大きな壁が立てられ、それ以上行けなかった。たぶん壁の奥には有料席が設けられていたのだろう。
 結局、マンションの前の上の写真の所に行った。琵琶湖側に突き出ているので、花火はよく見えた。たぶん、隣のマンションでも、端の角部屋ではなかったら、よく見えなかったと思う。大勢の人が出ていた。しかし、びっしりというほどでもなく、けっこう余裕を持って座れた。みんな座っているので、無理に水辺のそばに席を確保する必要もない。

花火2 ・琵琶湖花火大会はたぶん今回が初めてだと思う。夜は穏やかな風も吹いていて、暑くもなかった。大勢の人が、スマホやカメラで花火を撮っていた。隣に座っていたカップルは一眼カメラで撮っていた。今は撮った写真をすぐデイスプレイで確認できる。うまく撮れていないと嘆いている声が聞こえてきた。
 私はいつもの旅カメラであるソニーのRX100M6を持って行った。もうすぐRX100Zが出るので、下取りに出して買い換えようと思っている。唯一お金を使うのは、旅行を除いて、これぐらいである。最初からシーンセレクトの花火モードで撮った。それでも、きれいに撮れている写真は少なかった。8倍の光学ズームが付いており、うまくいくとここまで撮れる。切り取りはしていない。

 

令和1年8月6日(火)

 先週の木曜日には、久しぶりに大阪の池田にいる母親の所に行った。今年の2月に87歳になった。電話をしても、「オレオレ詐欺」を警戒して、なかなか出てくれない。留守電話に何回も入れ、やっと連絡がついた。耳が悪いので、少し複雑な話になると聞き取れない。木曜日に行くと約束したのに、今度は翌日に母親から電話がかかってきた。留守電話をしたのはお前かと、前日のことも忘れていた。いよいよ呆けて、デイ・サービスも必要かと思った。母親はだいぶ前に、長野県の山奥から父親と一緒に出てきて、妹の近くに住んでいる。父親が亡くなり、今は母親1人で生活している。
 私は妹と母親のけんかに巻き込まれ、妹からは母親の面倒を見ていないとけっこう言われた。妹とはその後連絡は取っていない。私は妹に対しては、何のわだかまりもなく、感謝している。妹は昔から長男の私よりしっかりしていて、父親の葬式でも何でも全部自分で仕切ってやってくれる。私立大学の経営学部教授をしており、妹の夫は弁護士事務所を開いている。お互いに忙しい。今のところそれほど急を要する用事もないので、そのままである。来年3月に息子が医学部を卒業したら、私もだいぶ解放される。それからは、母親のことを含め本格的に連絡を取ろうと思っている。
 母親は思ったより元気であった。母親によると、妹は食べ物などを作って、夫を通じて運んでくれたりしている。しかし、妹と直接会ってはいないようであった。ところが、最近妹が突然訪ねてきたという。大きな病気をして手術したので、その傷口を見せてくれたという。今は仕事に復帰しているようである。妹の娘が産婦人科医をしているので、科は違うが、手術先は紹介してもらったようである。私には、池田の妹の上に、もう1人1歳年下の妹がいる。インド人と再婚して、今はサクラメント(カルフォルニア州の州都)で州職員をしている。アメリカでは定年がなく、いつまでも働けるようである。私は長いこと連絡はしていない。母親の所には時々アメリカから電話がかかってくるという。
 いつものように、昼食は母親が作ってくれた。一見元気そうで、それほど呆けているようにも見えなかった。デイ・サービスもヘルパーも利用しておらず、近くのスーパーに買い物に行っている。母親が利用していた近くの銀行の支店が閉鎖し、遠く離れた駅前になると嘆いていた。私は亡くなった父親の若い頃のことはあまり知らなかった。私が長野県の山奥に住んでいた時に、父親の元上司が釣りのためによく泊まりに来ていた。ふと、最近そのことを思い出し、母親の頭がしっかりしているうちに聞いておこうと思った。
 父親は私立の大した大学は卒業していなかったが、旧内務省に勤めていた。下っ端の事務員ぐらいだったと思う。東京空襲で焼け出され、木造の2階建ての事務所で自炊をしていたら、当時の課長が自宅に呼び寄せてくれたという。この人は、佐藤栄作と同期だったらしい。父親は、戦後は内務省をやめ、この上司は公安関係のお偉さんになっている。その上司が渓流釣りが好きで、かっての部下であった長野県の父の家によく遊びに来ていた。私はよく覚えていないが、母親によると、私に英和辞書を買ってくれたという。私が覚えているのは、当時NHKのラジオ放送でやっていた初級英会話講座である。この時に、スコットランド民謡の「マイ・ボニー」を、いい加減な英語で読み上げていた。かっての父親の上司の人が、この歌詞の内容について私に解説してくれた。
 私はここでも何回も書いているように、小学6年までは、父親に徹底的にスパルタ教育で育てられた。学校の成績が悪いとぶん殴られ、いつも逃げ回っていた。私の経験から、勉強をいくら強制しても、絶対に成績が上がらないとわかっていた。だから、自分の子どもを育てるときには、どうやったら勉強するようになるのか、私なりに工夫した。「勉強しろ」と言うのは単なる親の気休めで、何の役にも立たない。
 私は父親がこわくて、父親がいるときには勉強をするふりをしていた。父親と父親の上司はその後も連絡だけは取っていたようである。私が1浪して府立医大に合格した時には、なかなか信じてもらえなかったようである。私の長い人生で、唯一自慢できることは、ここでも何回も書いていることである。当時の医学部の中では、1番安い授業料で卒業できたことである。どういうことかというと、長いこと国公立大学の授業料は年間1万2千円が続いていた。府立医大の授業料はこの1万2千円に実習料が年間8千円取られた。計2万円である。ところが、国立大学の授業料が3倍の3万6千円になった。しかし、当時の京都府知事は共産党系の蜷川知事だったので、長いこと授業料は計2万円で据え置いていた。国立大学が3万6千円で、他の公立大学も国立に準じて値上げしている時に、唯一京都府だけは値上げしなかったのである。だから、私は日本全国で1番安い授業料で医学部を卒業できたのである。
 私はふだんあまりTVを見ない。MBS(TBS)テレビの毎週土曜日のまとめニュース「新・情報7days」を録画して見るぐらいである。このニュースを除いたら、あまり見ていないが、まだCNNニュースの方が多いぐらいである。たまたま、母親の家でテレビを見ていたら、NHKの受診料のことが取り上げられていた。この時に、受診料と税金のことがあまり区別できていなかったことに気づかされた。どういうことかというと、NHKは国の税金で運営されているわけではない。受診料で運営されているのである。戦前の放送局が政府の大本営発表のみを垂れ流していた反省から、政府側の宣伝放送から独立するために、受診料で運営されるようになったのである。籾井元NHK会長が、「政府が『右』と言っているのに我々が『左』と言うわけにはいかない」という発言は、とんでもない発言であったことがよくわかる。NHKは政府から独立した報道機関なのである。しかし、安倍政権に批判的な報道や日本会議の意にそぐわない番組は作成できにくくなっている。実際に、気骨のある人物はどんどんと左遷されたりしている。
 たまたまきのうの朝はTVをつけていた。この時に、今さかんに話題になっている「ホワイト国」から韓国を除外したことについて取り上げていた。読売テレビで、解説者がこんなことを言って大丈夫かなと心配するぐらいの発言をしていた。それぐらい、新聞もテレビも安倍政権に対する直接的な批判はできにくい。どのメディアも、必要以上に萎縮している。元徴用工問題については、いくらでも韓国に日本から抗議したらいい。官邸がこの元徴用工問題に対抗するために、各省庁に対抗手段の提案を出させたという。この時に、経産省の「ホワイト国」からの除外が採用されたという。ところが、外務省にも相談もせず、官邸主導で導入したので、ここまで話がこじれてしまった。政府が、韓国のホワイト国からの除外は元徴用工問題の報復ではないという主張が、根底から崩れるのである。提案した経産省は、パブリックコメントで国民の98%が賛成していると発表している。あまり報道されていないが、世界では、韓国に対する日本の対応は必ずしも支持されていない。
 次に、愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」での「平和の少女像」などの展示中止である。私は、大村知事の「国民の心を踏みにじる」として少女像の展示中止を求めた名古屋市の河村たかし市長については「表現の自由を保障した憲法21条に違反する疑いが極めて濃厚ではないか」と批判したことについては大賛成である。危険が大きかったからではなく、少女像が「国民の心を踏みにじる」から中止したのである。管官房長官の文化庁補助金を使っていることに対する批判の発言もあった。この人は大した教養もなく、権謀術数でここまで這い上ってきたのだろう。耳学問は、教養ではない。あくまでも、教養を補強するものである。歴史の教養がないので、表現の自由の重要さがまったく内在化されていない。ただ権力者のためにひたすら尽くしてきている。こういう人が1番危険である。教養がない分、報道の自由も念仏ぐらいにしか思っていない。たぶん、私たちが持っているここまでという線引きはなく、果てしなく超えて、権力者のために何でも平気でするだろう。
 情報が一手に集まる官邸と国民の間には、果てしない情報の非対称性がある。私は、国民の知る権利については、その通りだと思っている。しかし、国家間の秘密協定などが、すべて国民に公開されるべきであるとは思っていない。中には公開できないこともあるだろう。そのことと、森友・加計問題は、まったく関係ない。安倍首相の個人的な不正問題の隠蔽と国家間の機密を守ることはまったく別である。国民にとって情報が非対称性になっているときには、メディアが時の権力者の不正を監視するのが当然である。昔はこんなつまらないことで野党は騒ぐなと思っていた。権力者側は自分たちに不利益な情報は圧倒的な力で握りつぶすことができるし、圧倒的な情報量で世論操作もできる。だから、不祥事はなかなか表に出てこない。国民はどんな小さな不正でも、そこを突破口にして政権を批判していくしかない。
 これまで読んできた本を総括すると、安倍首相にはこういう国にしようという確たる信念はないようである。日本会議を味方につけ、歴史問題もどうでもいいようである。じゃあ、何が目的かである。総理大臣という権力である。日本の国が将来どうなるかということより、自分の持っている利権をいつまでも守り続けることである。政治家の持っている利権については、なかなか表にでてこない。世襲議員が異常に多いのも、この利権が絡んでくる。その頂点である首相には、私たちが想像できない黄金の打ち出の小槌があるのかもしれない。

 

令和1年7月30日(火)

 きょうは往診がなかった。今週の金曜日にある。患者さんもデイ・サービスに行ったりしているので、曜日を合わせるのが大変である。いつものように、先に今週のトピックスを書いていた。書き終わったのが夜の9時過ぎで、ふだんより早い。実は、ビールを飲みながら書いていたので、この日記の部分はあまり書く気にならない。それでも、気を取り直して書こうと思う。
 きのうの京都新聞の暖流に、もみじヶ丘病院の院長が文章を書いていた。もみじヶ丘病院は福知山にある精神科病院である。昔は、私も土日の当直の手伝いによく行っていた。短い文章であるが、その内容が素晴らしかった。精神科医が感じていることを、要領よくまとめている。例えば、毎月家計に後3万円の余裕があれば心を病まずに済んだのではないかと思われるケースも増えているからである。最後に、ドラマ「家なき子」の名台詞「同情するなら金をくれ」の「同情」を「治療」に読み替えたかのような生活の叫びに向き合うには、多元的な理解が不可欠だと結んでいる。私も実際に患者さんを診察していて、私の精神療法や心のケアより、お金の方が有効なのではないかと思うことも多い。

今週のトピックス 82 (190730)

田原総一朗×佐高信「黒幕の戦後史」 (河出書房新社)
田原総一朗×佐高信「黒幕の戦後史」 (河出書房新社)

 さて、今回も日曜日に読み終えた本である。前回紹介した「暴力が支配する一触即発の世界経済」もこの本も、書評や雑誌ではなく、本屋で見つけた。まず、第1章では、「今の政治の黒幕は誰か?」である。私が安倍政権を批判すると、どこの世界でもあるとさもわかったような顔をする人がいる。私は「清濁併せ飲む」も「水清ければ魚棲まず」という言葉もよく理解しているつもりである。田原も安倍政権のことを「メチャメチャ」と批判している。まず、厚労省の勤労統計の勤労統計の改鼠である。改鼠するにあたって、政府、官邸からの圧力があったのではないかと見られている。その人物として、中江総理秘書官の名前もあがっている。国会では中江も安倍首相も「まったく記憶にない」、「まったく関係ない」と言い切っていた。これは、加計学園問題と構造が似ている。当時の柳瀬総理秘書官が勝手に加計と今治と話をして、安倍首相がまったく知らなかったと逃げ切っている。
 田原は、加計も森友も、最大の黒幕は安倍だと断言している。昔は黒幕と権力者は別であった。今は権力者すなわち黒幕である。しかし、野党もメディアも黒幕を責めることができない。政権だけではなく、東芝の粉飾決算を7年間もやっていたのに、新聞やテレビは「不適切会計」と書いている。東芝の社長が3人逮捕されても当然なのに、検察は何もしないという。田原が空気を平気で破るということでわりと信用しているのは、対談者の佐高信と青木理ぐらいだと述べている。田原は電通とけんかをして、テレビ東京をクビになったという。東京オリンピックの竹田会長の問題でも、黒幕に元電通専務がいるので、どこもメディアは追求できないという。電通がスポンサーを紹介しているからである。
 田原と佐高が反体制派の黒幕として、「噂の真相」の岡留安則を挙げている。私も当時たまに読んだりしていたが、ゴッシップだらけの本で、どこまで信用していいのかよくわからなかった。この本を読んで、こんなに高く評価されているとは思わなかった。田原自身この本に原稿を買いたり、批判もされたりしている。岡留安則はいつも隠れずに表に出ていた。自分を売ることはまったくなく、部下に対しても威圧的でなかったという。25年間も編集長をやっていた。佐倉によると、公明党と創価学会が名誉毀損の賠償額を高くして、言論を萎縮させたという。管官房長官については、田原は総理大臣になろうという野心がまったくないと述べている。管の立場として権力を守るための仕事ぶりは、評価しているという。
 戦後の黒幕がなぜ頑張ったのかというと、日本が共産化するということへの恐怖が大きかったからである。ところが、佐藤(栄作)首相が登場する67年頃には、共産化の危機感がなくなる。田中角栄は金は自分で集めたので、右翼活動家の児玉誉士夫の直接的な影響力は弱くなり、政商の小佐野賢治を頼るようになる。そして、田中、中曽根(康弘)の時代からは、検察の時代になる。ロッキード、リクルート、佐川急便、堀江貴文、鈴木宗男、小沢一郎まで、検察が仕切る。冷戦が終わった時に、日本では対米従属論日本自立論が出てくる。日本自立論をはっきり言い出したのは、鳩山由紀夫である。それに対して、アメリカとの関係を強固に密接にしようとしたのが、読売新聞の渡邊恒雄(ナベツネ)であり、岡崎久彦であり、北岡伸一など(ここまでしか知らない)である。行きつく先は、集団的自衛権である。それをやろうと言う政治家は安倍しかいなかったという。
 田原によると、ナベツネとは最初から、昭和の戦争は侵略戦争である。だから天皇や総理大臣は靖国に行ってはいけないという点では互いに一致したという。田原が2016年9月に安倍に会った時に、参議院も集団的自衛権に賛同したばかりで、「次はいよいよ憲法改正だね」と言った。そのときに、「憲法を改正する必要がなくなった」と田原に答えている。それまでは、アメリカがうるさくて、日米関係が悪化すると、リチャード・アミテージジョセフ・ナイに脅されていたという。ところが、集団的自衛権をやったら、アメリカが満足してまったく文句を言わなくなったという。
 この本では、河野一郎財界四天王のことなどのことも詳しく書いている。NHKの島桂次(シマゲジ)は田中角栄に潰されている。NHKの衛星ロケットが打ち上げに失敗したときに、ロサンゼルスで彼女と彼女の母親としけ込んでいて、両方と関係があったという。そういえば、最近見たAVで、親子丼が出てきた。福田(赳夫)首相はお金は受け取らず、クリーンなタカで、田中はダーティなハトと表現している。宮沢(喜一)首相は唯1人一切女性との関係がなかった首相だという。田原によると、リクルート事件は検察が仕掛けた免罪で、当時未公開株を買うのはまったく犯罪でなかったという。リクルートに対して、既成の財界グループがやっかんだという。田原はこの事件がなかったら、リクルートは日本のグーグルになれたかもしれないと擁護している。
 2013年12月26日に安倍首相が靖国神社に参拝したときに、田原は安倍首相に電話している。すぐに官邸に行って「なんで行くんだ」と怒鳴ったという。安倍首相は「日本会議はじめ、僕の応援団を1年待たせてしまった」と言ったという。田原は、「東京裁判を批判するな、二度と靖国に行くな。アメリカがあんたのことを反米で、歴史修正主義者と見ている。第2の田中になる」と言ったら、「もう絶対にやりません」と答えたという。私が以前から批判していることである。
 靖国神社参拝はどうして日本の首相がしてはいけないかである。こんなことでさえ理解していない人が大勢いるので、何回でも書く。前にも書いたように、私は学生運動が荒れた後のポスト団塊世代で、左翼の発言には辟易していた。だから自虐史観に対しても反発をしてきた。ところが、宮台真司の本を読んで考えが180度変わった。靖国神社には東京裁判のA級戦犯が合祀されている。宮台は、東京裁判は敗戦国日本と連合国側とのの手打ち式なのだと言う。日本は戦争に負けているので、天皇にも国民にも戦争責任はなく、A級戦犯が悪かったとした裁判なのである。天皇の戦争責任は問われなかった。もちろん、天皇を利用しようとしたアメリカの占領政策もあったと思う。天皇はA級戦犯が合祀されてからは、ご親拝されていない。
 この本では、CIA協力者でフィクサーとされた田中清玄や日本船舶振興会の笹川良一、産経新聞社長の鹿内隆信などたくさんの人物が出てくる。興味のある人は是非とも読んで下さい。田中角栄は、石油危機を見て、日本の資源自立を志した。そして、アメリカ政府とオイルメジャーの逆鱗に触れる。田原は、財界の鞍馬天狗と言われた仲山素平から、ロッキード事件について「角栄はアメリカにやられた」と何回も聞かされたという。小泉純一郎が総理大臣になったときに、田原が関わったことも書いている。この時に、橋本(龍太郎)と小泉が立候補していた。橋本と亀井(静香)がくっつかないように、中川(秀直)と安倍に亀井の説得の仕方を教えたという。しかし、小泉は自分を応援してくれた亀井を100%裏切っている。ここにも書いてあるが、田原はある意味で小泉政権誕生の黒幕でもあったのである。田原は、金のかかる中選挙区制から小選挙区制導入にも深く関わっている。しかし、現在自民党は安倍首相のイエスマンになってしまい、失敗だったと述べている。
 佐高の反権力という立場は、むのたけじと哲学者の久野収の影響が大きいという。共産党に馴染めなかったのは、個の自由を認めなかったからだという。田原は、65年に初めて、モスクワで行われた世界ドキュメンタリー会議に行った。それまでは、将来社会は社会主義になると思っていた。ソ連は理想の国だと思っていた。ところが、行ってみると言論の自由がない。競争も認めない。私が今も持っている野村旗守「Z(革マル派)の研究」(月曜評論社)で、共産主義は、人類史上最大の信用詐欺だと書いてあった。(アマゾンでは中古が5980円で売られている)
 宮沢喜一は「日本人というのは自分の体に合わせた服をつくるのが下手だ。ところが、押しつけられた服に体を合わせるのは上手い」と言った。押しつけ憲法の理念が戦後日本を作ってきたということだけではなく、欧米からの自立を志向して大東亜共栄圏という自分に合わせた服をつくろうとして、失敗したことへの批判もある。ここには興味深いことが山ほど書かれている。田原は、白井聡的な対米従属構造批判が評価されていることにも違和感を表明している。反米が単なるナショナリズムに結びつくことも警戒している。今は日本会議さえ正面を切っての反米は避け(よほどこわいのだろう)、反韓や反中とナショナリズムを結びつけている。戦争を知っている世代は、政治家を含め田原も、自立についてはどこか警戒心があるようである。

 

令和1年7月23日(火)

 最近、体調があまりよくない。私はどこでもよく眠るタイプで、不眠に悩んだことは皆無と言っていい。ところが、この頃5時間ぐらいで目が覚めてしまう。昼に診察室のベッドで20分ほど寝たら、いつもなら改善する。ところが、いつまでたってもやる気が起こらず、気分もうっとうしい。アダルトDVDでさえ、見る気にならない。(もしかしたら、借りたAVがよくなかったのかもしれない) 身体の検査は一通りやったので、身体の病気ではないだろう。
 盆休みはまたブラジルに行く。ホテルの予約などはやっと終えた。野生動物が生息するパンタナールの有名なホテルは、どうやっても予約できなかった。仕方ないので、別のホテルを予約した。ホテルは空港から100km離れており、バスやタクシーなどの公共の交通手段は何もない。空港でレンタカーを借りて行くしかない。ちゃんとホテルにたどり着けるか今から心配である。
 ネットで調べてみても、日本語での情報はほとんどない。まだ、英語での検索はしていない。少し前に、有名な女性のエコロジスト(だったと思う)がアマゾン川をカヌーか何かで旅行していた。中州みたいな所で簡易テント張って泊まっていたら、現地の人に襲われて殺されている。この時に、スマホやパソコンなどを盗まれている。都会の強盗もこわいが、こういう自然に囲まれた場所も安全なのか危険なのかよくわからない。車が故障したらどうしようかとか、今からいろいろ考えている。
 前から、元気なうちに行ける所は行こうと思っている。私より年齢の行っている患者さんの話を聞くと、夫婦でもなかなか一緒に行くのは難しいようである。女の人は、年をとったら旅行に行く相手は、同じ女性の友達か夫である。中には娘と行くという人もいる。女性の友達も病気をしたりしたら、もう一緒には行けなくなる。自分は夫と行きたい所があるのに、夫の方が年をとって出不精になっていると無理である。反対の場合もある。夫が妻と旅行したいのに、今度は妻の方が出不精になっている。パニック障害や不安障害を持っている患者さんは、どうしても遠くに出かけるのは避ける。私が盆休みに旅行に出ると話すと、患者さんからはうらやましそうな顔をされる。それだけ、残されている時間が少なくなっているからである。

今週のトピックス 81 (190723)

猫組長(菅原潮)「暴力が支配する一触即発の世界経済」 (ビジネス社)
猫組長(菅原潮)「暴力が支配する一触即発の世界経済」 (ビジネス社)

 さて、日曜日に読み終えた本である。著者の猫組長(菅原潮)は、週刊スパで、西原理恵子と「ネコノミクス宣言」〜教科書に載らない経済と犯罪の危ない話〜を連載している。実は、この連載をまとめた「猫組長と西原理恵子のネコノミクス宣言」(扶桑社)の本も持っている。前から書いているように、私が毎週読んでいるのは「週刊スパ」と「週刊ダイヤモンド」である。「ネコノミクス宣言」の方は、1度読んだ記事なので、ほとんど読んでいない。この本を買ったのは、うろ覚えである記事の詳細を確認したかったからである。今回も調べてみたが、この本には収録されていないようである。どんな記事だったのかというと、メルケル首相と天皇が面談したときの話である。メルケル首相が天皇から記念品を受け取り、それを所定のどこかに持って行くと現金で買い戻してくれるという内容であった。世の中には、私たちの知らない裏の世界があるようである。
 さて、猫組長(菅原潮)である。元山口系組長で、現在は評論家である。本の最後に、著者の簡単なプロフィールが載っている。本文の中では、中学の時から株に興味を持ち、高校から始め、19歳で大学をやめ、不動産の世界に進む。3億円のお金を手にして、先輩が興した投資顧問会社に就職。バブル景気の時に、4人の小さな組織で、120〜130億の運用資産を使い、著者は「仕手」に夢中になった。1989年12月29日の大納会で日経平均は市場最高値の3万8957円をつけた。そしてバブルが弾け、最終的に20〜30億が借金として残った。著者が背負ったのは、約3〜4億円である。
 ヤクザに連日追い込みをかけられ、死ぬことも考える。この時に、小さな借金は人を殺すが、大きな借金は次の金を生むと悟っている。どういうことかというと、小さな額の借金は貸した側にも相手を恨む余裕が埋まれるが、あまりにも大きな額だと貸した側と一緒に対策を練ることに尽力しなければならなくなるからである。山口系組織のフロントと話し合ったときに、「自分にはスキルがあるので、証券業をやらせてくれたらすぐに取り返す」と答えた。親分は5代目山口組の直参で、「金を出したるから、いい話を持ってこいよ」と言われた。著者は「これでまた勝負ができる。ヤクザだから審査もない」と小躍りする。当時、上場企業に10億円貸して譲り受ける株券は、市場価格より安かった。1000円で売買されている株券を800円で手に入れたら、簡単に1株200円手に入る。これが当時の暴力経済のスキームである。企業側からは、どういう方法で株価を上げるので、こうやって下さいというレクチャーまで受けるおまけ付きであった。
 しかし、黒い経済人たちはしだいに追い詰められていく。1988年にインサイダー規制ができ、92年にはいわゆる「暴力団対策法(暴対法)」が施行される。ある第三者割当の経済事件で、著者の名前が報じられ、匿名性という生命線を失った。そこで、国際金融に目を向けるようになる。知人の経済ヤクザから、石油取引のことを聞き、徹底的に研究した。石油ビジネスで黒い経済人が向かったのは、中国を相手にしたバイヤーサイド(買い手側)であった。欲しがっている相手から注文を取り、業者から買って渡す。著者はセラーサイド(売り手側)に向かった。安い原油を現地に買いに行って、欲しがっている国に売る。
 マレーシアの国営石油会社からは個人ブローカーとの取引は断られ、ブルネイ、サウジアラビアを経てたどり着いたのは、イエメンである。サウジアラビアは、油田という形でイエメン内の反フーシ派を間接支援し、部族長は反フーシ派闘争のための戦費を稼いでいた。著者は、1度だけゲリラの襲撃に遭い、足に銃創を負っている。イエメンの部族長との契約によって、石油ビジネスを一気に拡大した。税金対策のために証券と資金移転のスキルを覚えていく。石油は戦略物資で、石油取引は基軸通貨「ドル」に支配されている。ドル支配を逃れようとしたものはどうなるかである。経済制裁に苦しんだイラクのフセイン大統領が、フランスの誘惑で石油のユーロ決済を模索したことが、イラク戦争の原因の1つとされている。
 月に2〜3億、多い時には10何億が入金されるようになった。ある時に、イギリスの銀行からキャパが超えていると連絡を受け、オフショア(租税回避地)のバハマに銀行口座を移した。人の紹介で、手数料を払うからと他人の口座分もはいるようになり、口座残高が250億円を超えたときである。代理で引き受けていた人物に、アラビア半島のアルカイーダの関係者がいたので、アメリカ政府により口座ごと凍結されてしまった。お金はすべてパァーになり、「監視対象者」となり、海外での拘束は6回にも及ぶ。この本では、トランプ大統領とマフィアの関係やプーチン大統領とロシアン・マフィアの関係も詳しく書いている。
 米中の貿易戦争開戦直前の7月3日に中国の大手航空会社海南航空集団の会長である王権氏が、出張先のフランスで転落死した。海南航空集団は航空事業に留まらず、ヒルトンの筆頭株主で、ドイツ銀行も手中に収めていた。国際社会、中でも黒い世界に生きる誰もが転落死ではなく、暗殺だと考えているという。その詳しい解説もしている。「パンダハガー」という言葉も出てくる。パンダをハグするということで、親中派のことである。アメリカで対中規制が強まっているのは、共和党だけでなく、民主党も賛成しているからである。下院議長である民主党のナンシー・ペロシは対中強硬派の「鉄の女」である。
 アメリカの二院制についても説明している。大きく分ければ、上院が外交や安全保障を、下院が内政という役割である。予算は下院の仕事だが、大統領は拒否権を持っている。トランプ大統領にとって重要なのは、上院の持つ人事権で、最高裁判事を指名できることである。最高判事は引退するか死亡しないと交代できない。現在のギンズバーグは1933年生まれの民主党の女性リベラル派である。近い将来の交代は確実で、トランプ大統領は中間選挙によって司法の保守化という絶大な権利を手に入れたことになる。
 ファーウェイ事件の真相は、中国を対称の戦場に引き出すことだという。例えば、米海軍は空母群を中心に展開する。空母は建造費だけで1隻約5600億円で、戦闘機は約90億円で70機搭載したら、6300億円である。対して、中国はより高性能の対艦ミサイル開発に向かっている。約1億円の対艦ミサイルで、戦闘機を積んだ空母を沈めることができるのである。経済でも非対称戦略が機能し、アメリカと比べて中国製の原価は非対称になり、開発のノウハウや設計図など盗み放題となっている。
 冷戦構造化でソ連は、アメリカの軍事力と対象で張り合ったため、予算の多くを軍事費に投下した。とどめを刺したのは、レーガン政権下で提案された「スターウォーズ計画」である。対抗するために、国内投資用の資金さえ軍事費に投入して、ソ連は崩壊した。中国が「非対称」を選ぶ大きな教材が、軍拡という「対称」の勝負に引き込まれ、ついに崩壊に導かれたソ連である。著者によると、80年代からアメリカが貿易戦争で日本に対してやってきたことを、中国が研究していないはずがないという。
 この本では、一帯一路と国家ヤミ金「AIIB(アジアインフラ投資銀行)」についても詳しい解説をしている。中国は世界第2位の石油消費国であり、世界第1位の石油輸入国である。そして、8割以上がマラッカ海峡を通過している。この要所の安全保障を担っているのはアメリカである。マラッカ海峡への脆弱性は「マラッカ・ジレンマ」と呼ばれ、中国の悩みの種であった。マレーシアには、「東海岸鉄道計画」を持ちかけたが、マハティール首相はこの計画の中止を電撃的に表明した。人民元は、基軸通貨であるドルと連動させている、ドルペッグ制となっている。人民元のドル支配からの脱出を目指して、金(ゴールド)を買い漁っているという。フランスのマクロン大統領も、金融面でのアメリカからの独立を意味する欧州版の国際通貨基金である欧州通過基金(EMF)の設立を構想している。16年に中国政府は中国人富裕層の外貨持ち出しに上限規制を設け、18年にはビットコインを禁止にした。現在は海外で現金を引き出せる「VISAデビット」が資産逃避のツールとして愛用されているという。
 この本は、本当に興味深いことばかり書かれていて、その内容を紹介していたらきりがない。是非とも、1度読んでみて下さい。ミサイルと核開発の歴史も本当に面白い。イスラエルが核を保有しているとの情報を得たイラクは、対抗策として70年代に核開発を行った。そのイラクに原子炉を提供したのがフランスである。イスラエルからの流血の妨害工作があったにもかかわらず、イラク原子炉が完成に近づいた81年に、イスラエルは施設ごと空爆によって破壊した。
 最後に、この本で書かれている北朝鮮についても触れておく。まず、北朝鮮は地上に唯一残った「核開発」の楽園である。環境問題が大きな課題となっているので、アメリカでさえ臨界核実験に切り替えて、爆発させずに核兵器の品質を維持しているぐらいである。中距離弾道ミサイル「火星12号」は5000kmの射程距離を持つと言われている。北朝鮮のミサイルと核兵器を欲しがっているのは、イスラエルが射程距離にはいるイランである。新たに開発した火星15はアメリカ全土に届き、爆弾として機能する能力を持つ。「脱属国論」でも書いてあったように、北商戦は「ミサイル開発技術を大三国に流出する」というカードを持ったのである。
 2018年6月の史上初米朝会談での共同宣言の合意を見ると、現実的に考えられるのは「日本型統治モデル」だという。戦前の統治者である天皇を象徴にして、議会制を頂点にした民主主義を導入した。同じように、金正恩を象徴化する。アメリカ企業が北朝鮮にカジノ建設をする計画も、すでに動き始めているという。金正恩が核を手放さない理由も挙げている。日本からは将来戦後補償など手に入れなければならないので、日本に対する使用はありえない。韓国に対しても、大砲でソウルを火の海にすることができる。手に入れられる物まで破壊したら、その後が大変である。中国については論外である。
 核を手放ない理由は、唯一北朝鮮人民軍である。金正恩の母は金正日が愛人にした大阪出身の在日朝鮮人である。「血」の根拠の薄い金正恩がトップに立っているためには、圧倒的な暴力が必要になる。それが、核である。核のボタンを握ることで、「北朝鮮人民軍」という「暴力装置」の反乱を抑制しているのである。

 

令和1年7月16日(火)

 この前の土曜日は、年に2回ある大学の医局の同門会(叡修会)が午後4時からあった。私がお世話になっていた80歳を超える元教授が去年から体調を壊して、医院も閉じ、この会にも参加できないと連絡があったという。講演会では、毎回元気に質問などをしていた。つくづく、健康は大事だと思った。7月11日(木)に、4日に受けた胃カメラなどの検査結果を聞きに行った。もう、2年以上検査は何も受けていない。便検査もどうもなかった。腹部エコーは受けるのを忘れてしまった。心臓関係は何もしていない。胸のレントゲンも大丈夫であった。
 講演会は3題あった。私が昔お世話になった先生が最後に「予測符号化モデルとはどのようなものか」を講演した。階層ベイズモデルなどを引き合いにだして、現在の学習理論を批判している。認知行動療法も間違った理論に基づいて作られているという。カルバック・ライブラー情報量のことも出てきて、私にはごく一部が一瞬わかったような気がしただけである。この先生は何冊もの本を原文(英語)で読んでおり、(どこまで正しいのかよくわからないが) とにかくすごいと思った。
 講演会の後は、懇親会である。ここ数年の間に開業した後輩の先生とも話ができた。山科で開業した先生は、毎晩夜10時過ぎまで診察をしているという。新しい患者さんは毎日1人しか予約しないので、9月にならないと予約が取れないという。ストレスは感じていないという。烏丸五条で開業した思春期や発達障害などを専門とする先生も、新患予約は2ヶ月先だという。2人とも遅い開業だったので、1人の先生は私より2歳若いだけで、もう1人の先生も60歳を超えていると思う。みんな信じられないほど頑張っている。私には無理である。今は昔と違って、とんでもない患者さんも大勢いる。無理な要求をしてくる患者さんや薬物依存みたいな患者さんには、本当にストレスがたまる。  

今週のトピックス 80 (190716)

望月衣塑子&特別取材班「『安倍晋三』大研究」 (KKベストセラーズ)
望月衣塑子&特別取材班「『安倍晋三』大研究」 (KKベストセラーズ)

 さて、きょう読み終えた本である。著者の望月衣塑子は、官邸記者会見で管官房長官と何かとバトルを繰り広げている東京新聞記者である。この本は、最初に漫画でこれまでの安倍首相の生い立ちから現在までの経歴を書いている。父は当時、毎日新聞政治部記者であった安倍晋太郎(元外相)で母は岸信介の娘である洋子である。叔父に佐藤栄作がいる。家庭教師として有名なのは、平沢勝栄衆議院議員である。平沢は、「安倍さんは、私が教えてから頭が悪くなったと言うが、晋三さんがしっかりしているのは私が教えたからで、私が教えていなかったら今頃は網走の刑務所にはいっていたかもしれないよ」と発言している。私から言わせたら、普通の家庭で育っていたら、一歩間違えたら、今頃は派遣社員でも勤まらなかっただろうと思っている。(派遣社員の人を蔑視しているわけでなく、もともとこんな程度の能力で、総理大臣にはふさわしくないという意味である) 首相の育ての親、乳母の久保ウメさんのことも出てくる。夏休みの宿題もしないので、ウメさんが左手で書き、疲れると母親がバトンタッチしていたという。
 世界一尊敬するのは、祖父の岸信介とその娘である母である。中学生になって父晋太郎には反抗した。父親は「東大に行け」と分厚い漢和辞典で頭を叩いて、勉強を強いるようになった。ここでは、母親に聞いた興味深いことが書かれている。岸信介がA級戦犯被疑者になっても、死刑を免れて巣鴨プリズンから出所できたのは、天皇に開戦方針を報告することを最終決定した「政府大本営連絡会議」にたまたま欠席したからである。私がいつもこの日記で書いている学歴詐称のことも詳しく解説している。まず、アメリカで最初に行ったのは、語学学校であった。1978年に南カルフォルニア大学に留学したが、政治学の単位を取得できないまま、実質的には1年3ヶ月で退学した。留学ではなく、遊学であった。この時に、カルフォルニア州立大学に留学していた、加計学園理事長の加計孝太郎と出会っている。
 1993年に父の地盤、看板、かばんを引き継いで、初当選した。私は世襲議員については、ずっと反対してきた。しかし、これまで読んできた本の中で、右も左も誰も国会議員における世襲議員の多さに、まともな批判をしている文章に出会ったことがない。医者の子どもが医者になっているのと同じだという人もいる。しかし、政治家と民間企業の世襲はまったく別である。いくら探しても、国会に占める世襲議員の正確な比率がどのくらいなのかよくわからない。(古い資料で3分の1) 世襲の範囲をどこまでとるかによっても異なるだろう。ただ、言えることは、自由選挙制が確立した国で、これほど世襲議員の多い国はない。後の方で、著者の望月衣塑子と内田樹との対談でも出てくるが、今は政党が自前の「養殖場」で政治家を純粋培養しているという。私は海外の事情については詳しくない。政治家を志す者がその能力で目指せるような別のシステムが必要だと思う。
 2000年に安倍邸放火未遂事件が起きる。安倍事務所や地元有力企業に幅広い人脈を持ち、市内の再開発事業にからむ土地買い占めなどに暗躍していた小山佐市が、1999年4月の下関市長選で、安倍陣営が推す現職市長の選挙協力をしたにもかかわらず、安倍サイドから約束の報酬を得られなかったとして反発し、暴力団工藤会系高野組に依頼して火焔瓶を投げさせた事件である。2003年に小山と組員は逮捕された。対立相手の選挙妨害を、安倍事務所の秘書から依頼を受けて実行したとされ、証拠となる3つの文書も存在したとされる。共同通信がこの「大スクープ」を「出稿見送り」し、3年後にジャーナリストの魚住昭と青木理に、「報道機関の自殺である!」等糾弾されている。この件を初めて報道したのは、月刊誌「噂の真相」であった。当時の原稿を執筆していた山岡俊介も望月との対談に出てくる。興味のある人は是非とも読んで下さい。
 安倍首相や彼に忖度する大臣や官僚たちが使う、もっともな特徴的話法に、「ご飯論法」がある。答えたくないときには、論点をずらす。例えば、Q「朝ごはんは食べなかったのですか?」 A「ご飯は食べませんでした(パンは食べたが、それは黙っている)」 Q「何も食べなかったんですね?」 A「何も、と聞かれましても、どこまで食事の範囲に入れるかは、必ずしも明確ではありませんので‥‥」 質問の趣旨を曖昧にして煙に巻く方法についても、これまでの答弁から具体例を挙げて詳しく解説している。根拠なき事実ほど強調して言い切ったり、「一度も〜ない」と全否定で疑いを晴らす。YES、Noで答えず、まったく関係ないことをダラダラと話し始める。(ダラダラ話法)
 2019年1月のNHK「日曜討論」で、辺野古沖の土砂投入について、司会者から「環境への配慮しているのか」と聞かれ、「あそこのサンゴはすべて移していますから‥‥」と答えている。実際には、埋め立ての海域全体で、7万4千群体のサンゴ移植が最低限必要とされていたが、防衛局が移植を終えていたのはわずか9群体であった。望月がこの件について、官邸記者会見で管官房長官に質問をぶつけた。この時に、「報道によれば」に答えることは政府としてはしませんと答えている。「一部報道が報じていますが」と他の記者が質問しても、こんないい加減な対応をすることはほとんどないという。
 第三章で、内田樹との対談がかなりの枚数を使って書かれている。安倍首相について、内田は「とにかく非を認めるのが嫌だ」という頑なさは常道を逸しているという。(それなりの地位に就いて、学歴コンプレックスを持っている人にはよくあることである) 失敗を認めないので、誤りの修正ができない。望月によると、安倍首相は、政治家も記者も、いいなと思った人には、とことん大切にするという。しかし、官僚についても知識人についても、官邸の敵か味方かで、シビアに査定する。信賞必罰である。ジャーナリストも、官邸の味方だと思われれば、直ちに特典が与えられる。やがて、政権の機嫌を損ねそうな記事は書かないようになる。ジャーナリストは程度の差があれ、「知ること」と「伝えること」の間の矛盾を抱えている。「伝える」ことで、ニュースソースのパイプが途絶してしまうリスクがある。しかし、今のトップジャーナリストは「知ること」を優先して、「伝えること」をほとんどしていない。政権に対する批判を放棄したら、大本営発表のみが真実となる。
 今の官邸は、官僚に対しても、私たちが想像する以上に信賞必罰が徹底している。内田は、「安倍マイレージ・システム」と呼んでいる。首相におもねった役人には必ず報償が与えられ、首相に逆らった役人には罰が与えられる。首相に対する忠誠心だけで職位が決まる。「このボタンを押せば出世できる」とわかっているときに、「ボタンを押さない」という選択肢は官僚にはない。官僚たちでさえ絶句するほど不出来な政策を支持するほど与えられるポイントは高くなる。だから、高いポイントをゲットしようとすれば、官僚たちは「できるだけ不出来な政策を、できるだけ無理筋の手段で」実現することを争うようになる。森友・加計問題で露呈したのは、まさに官僚たちの「ポイント集め」の実相だったのである。NHKでも政府批判的な論調の番組を作ったディレクターはすぐに左遷されている。マスコミや官僚だけではなく、同じ自民党議員の誰もが安倍首相に逆らえないのは、よく理解できると思う。
 最後の方で書かれている平和憲法についての歴史的功績については、私は内田の意見には必ずしも賛成ではない。私はここでも何回も書いているように、改憲派である。内田が述べているように、日本を実質的に支配しているのは、アメリカというより、端的に米軍と連なる軍産複合体である。ライス米国務長官さえ、来日するまで日本の現状を知らなかったぐらいである。実は、安倍首相の改憲論については、日本会議に配慮して言っているだけで本気で改憲する気がないと、「脱属国論」で田原総一郎が発言していた。この本でも、そのことが書かれている。最後に、森友学園の籠池泰典元理事長がインタビューに出てくる。安倍首相の心の中に憲法改正はたぶんないと思うと発言している。日本会議が喜ぶように言っているだけですと述べている。
 安倍政権を支えている人たちには、日本会議や対米従属マシーンを利用して出世しようとしている人もいれば、官製相場で個人資産を増やしている投資家などもいる。内田によると、「同床異夢」で「呉越同舟」で「期間限定」だという。安倍首相は、本来なら政治的クラスターを形成するはずのない、相互に利害や思想の反する人たちを、ある人たちには幻想をばらまくことで、ある人たちには実利で釣ることで、とりまとめている。経済学者の金子勝は、アベノミクスのことを「シャブ漬け」と呼んでいる。2017年の「報道の自由度ランキング」では、日本は71位であった。韓国より低いのである。この本を読めば読むほど、その意味がよくわかる。

 

令和1年7月9日(火)

 今はもう午後11時半である。今週は毎年提出する労働保険の申告書を作成し、きのうは労働基準局に提出してきた。19年目にして、やっと手間暇かけず、スラスラと書けるようになった。7月4日(木)にNHKEテレで、バリバラ「教えて! マーシー先生 1限目」を放送していた。私は録画して、後から見た。元タレントの田代まさしが出ていた。覚醒剤で2001年と、2004年、2010年と3回逮捕され、後の2回は3年半服役していた。私は薬物依存の専門家なので、詳しい解説をしたかったが、もう時間がない。別の機会に書こうと思う。

リベラリズム ・前回約束していた本はそのまま読まず、この本に浮気していた。土曜日は本屋で2冊新しい本を買った。来週は、この中の1冊を読み終えて、「今週のトピックス」で紹介しようと思う。どうしてこの本を「今週のトピックス」で取り上げなかったかというと、最後まで読み切れなかったからである。きのうは一気に読み切ろうと思った。ところが、途中からあまりにも専門的になり、あきらめてしまった。例えば、「ポバーは、このような徹底的な批判的討議により、理性の独断化を克服する自分の立場を批判的合理主義と呼び、カントが信じたアプリオリな総合判断の可能性も否定し、理性批判をカントが立ち止まった地点を越えて貫徹しようとしました」とか、「分配的正義の問題を重視するノーベル賞経済学者のアマルティア・センもその正義論の主著『正義の理念』において、この点でロールズの立場を『超越的制度主義』と呼んで批判している」等である。
 この本は、井上達夫「リベラルことは嫌いでも、リベラリズムのことは嫌いにならないでください」(毎日新聞出版)である。トピックス78で取り上げた田原総一郎 井上達夫 伊勢崎賢治「脱属国論」 (毎日新聞出版)で出てきた東京大学教授で、法哲学を専門にしている。この本は2015年6月に出版され、私は2016年の第5版を持っている。しかし、買ったままほとんど読んでいなかった。東京大学生協のベストセラーになっていた。現在リベラルは人気がなく、保守派の本や雑誌がよく売れている。今やリベラルのエリート主義と偽善性、欺瞞性ばかりが目立つようになっている。しかし、社会経済政策については、自由市場経済中心主義と小さな政府を提唱する立場は「リバタリアン」と呼ばれ、保守がリバタリアンで、リベラルはむしろ福祉国家擁護論とみなされている。井上によると、リベラルの基本的な価値は自由ではなく、正義だという。
 リベラリズムには2つの歴史的起源があり、それは「啓蒙」と「寛容」である。啓蒙主義というのは、因習や迷信を理性によって打破し、その抑圧から人間を解放する思想運動である。すさまじい宗教戦争の時代を経て出てきたのが、宗教の違い、価値観が違っても、共存しましょうという寛容の伝統である。しかし、この啓蒙と寛容にもポジとネガがある。例えば、寛容のネガとしては、互いに棲み分けて互いに批判をしないという自閉的態度。その結果として、お互いの国がお互いの政治的抑圧を許し合う。寛容のあるべきポジは、自分自身が他者からの批判を通じて変容していくことである。保守主義は、理性への懐疑があり、理性が頼りないからこそ、人々が脈々と築き上げてきた伝統のほうを重視する。しかし、カースト制など、歴史や伝統というものに無批判な信頼を置くのも問題がある。
 法哲学者の立場から、井上は現在日本が抱えている問題について取り上げている。トピックスで紹介した「脱属国論」 で出てきた9条の削除の提言や護憲派の欺瞞についても、これでもかと容赦なく批判している。まず、国歌・国旗問題である。愛国心を強制していいのかである。国を愛するというのは、国が道を誤ろうとしているときには、それを批判して正す努力をすることも含む。愛国心の強制に反対することは、愛国心に反対することではない。批判する人はそこを混同しているという。
 慰安婦問題については、アジア女性基金のことを書いている。私は詳しくなかったが、道義的責任として、戦争責任問題にここまで踏み込んで、他国民に賠償・謝罪した例はないはずで、日本としては誇るべきだという。ところが、韓国や日本の支援団体や人権団体の一部が、「政府の法的責任を隠蔽するための欺罔的手段だ」と批判した。こういう人たちがいるので、リベラルといえば、何が何でも自己否定の土下座外交をいうイメージを生んでしまったという。過度の自己否定も過度の自己肯定も間違っている。自己否定をやりすぎたことが、過度の手前勝手な自己肯定を生む。
 ドイツと日本の戦争責任の取り方である。ドイツが自分たちの戦争責任の追及を、日本よりずっと立派に行ったというのは、「神話」だという。ドイツは、自分たちの戦争責任というものを、二重の意味で限定している。まず、責任の主体は、ドイツ国民ではなく、ナチである。そして、責任の対象は、ドイツがやった侵略戦争の相手ではなく、ユダヤ人である。ドイツ国防軍は、SS(親衛隊)やゲシュタポ(国家秘密警察)のようなナチスの軍事・警察組織ではなく、ヒトラーに対して一定の距離を置き、ヒトラーの暗殺計画を何度も企てている。しかし、戦争政策は国防軍もナチと一緒にやっていた。ドイツ人の多くは、自分たちはナチの犠牲者で、国防軍は別だと思っている。「ドイツ国防軍の犯罪展」で侵略責任を示す展示会をしたら、世論の総攻撃を受けたのである。
 天皇制については、主語は天皇ではなく国民だという。国民は、天皇・皇族を自己のアイデンティティのために使っている。天皇・皇族には職業的選択や政治的言動、表現の自由もなく、主権者国民が奴隷化することになるので、天皇制は廃止せよというのが井上の自説である。言い換えると、天皇制の問題点は、国民のアイデンティティを確保するために天皇・皇族から人権を剥奪して記号的存在にすること、すなわち皇室を「最後の奴隷」にすることにあるのである。

連合赤軍 ・この番組は、NHKEテレで6月1日(土)の午後11時から放送していた、ETV特集 アンコール「連合赤軍 終わりなき旅」である。私は録画したまま、そのまま放置していた。きのうの夜10時頃から、あまり期待せずに見だしたら、本当に面白かった。この日記で取り上げるつもりで、きょうは午後9時ぐらいからメモ用紙を用意して、もう1度見た。まず、「連合赤軍事件の全体像を残す会」である。元連合赤軍のメンバーが集まり、証言を記録に残している。現在は、新聞記者や若い人たちも参加している。
 私は同じ長野県の山奥に住んでいたので、1972年2月のあさま山荘事件のことはよく覚えている。仲間内のリンチ殺人事件が次第に明らかになってきた時に、1浪して府立医大に合格した。先ほどの井上達夫は、私より1歳年下である。(安倍首相も同じ) 井上はこの年に東大法学部に合格している。昔の東大法学部は、私なんか10浪しても入れないぐらい超難関であった。先ほどの著書にも出てきたように、ポスト団塊世代でしらけ世代である。私はずっとノンポリで、ロックに夢中になっていた。この事件では、2人の警察官と1人の民間人が犠牲となった。
 学生運動である全共闘(1968-69年)が全国160の高校や大学に拡大した。1968年にフランスで5月革命が起こり、社会変革を求める学生運動は世界に広がっていた。全人類が連携して、平等で豊かな世界を作ろうとしていた。しかし、1969年の東京大学の安田講堂事件で逮捕者が出て、全共闘運動は衰退していく。代わりに、過激な武装闘争を目指す赤軍派革命左派が、後に一緒になって連合赤軍となる。1969年に赤軍派は首相官邸を襲撃する作戦を立てていたが、警察に筒抜けになっていた。53名のメンバーが逮捕された。(大菩薩事件) 1971年に革命左派が銃砲店を襲い、ライフル銃などを奪った。2つの組織が多くの幹部やメンバーを失い、弱体化していた。
 1971年12月に森恒夫が率いる赤軍派と永田洋子が率いる革命左派が榛名ベースに連合赤軍として29名が集まった。この時に、総括により12人のメンバーがリンチで殺された。自分たちの弱さを克服しないと革命戦争、革命の足をひっぱることになる。そして、最終的に離脱につながる。仲間を殴ることで自分の弱さを克服できると説得された。
 この番組では、何人かの元連合赤軍メンバーが出てきて、証言をしている。まず、浅間山荘事件の時に19歳であった加藤倫教(66歳)である。兄は総括で死亡している。最初に直面したのは、沖縄の米軍基地問題である。アメリカがアジアの小国(ベトナム)に対して爆撃を行って何十万人の人々を殺している。その爆撃機が沖縄の米軍基地から飛び立って、補給までしている。いくら抗議集会をしても、街頭でデモをしても現実は変わらない。合法的なことをしていても、今の社会は何も変えられない。変えるには、変えられることを少しでもすべきである。自分たちはこの現状に反対するために、武器を取った。総括など誤りを批判されることは仕方ない。しかし、沖縄の米軍基地が爆撃に使われている時に、何も反対しなかった人々は正しかったのかと、疑問を呈している。
 29人のメンバーは、総括、逮捕、脱走で5人になった。そして、あさま山荘事件を起こす。現在故郷の静岡でスナックをしている植垣康博も出てくる。リンチで8人を殺害し、懲役20年を受けている。結婚を考えていた女性兵士の大槻節子が総括にかけられ、氷点下で縛られ、食事も与えられず亡くなっている。無反省、無反省と言われているという。リンチ殺人の被害者の父親から「下手な反省はやめてくれ」と言われたという。浅間山荘事件の1年後に、森恒夫は28歳で拘置所で首を吊って自殺した。永田洋子は65歳で刑務所で病死した。
 現在、安倍政権が長期続いている。現在野党が壊滅状態なので、対抗勢力にもならない。これだけ不祥事が続いていても、何も変えることができない。安倍首相の能力が秀でているからではなく、自民党の党公認権を安倍首相が握り、官僚の人事権もこれまでの各省庁の事務次官から官邸が握ったからである。誰も安倍首相に意見することも、逆らうこともできない。まさに、独裁政治なのである。番組にも出てきたように、革命左派は日本を正すことはお国のためで、国をよくしたいから愛国と主張していた。誰かが万が一安倍首相の暗殺に成功しても、世の中は何も変わらないだろう。しかし、民主主義が機能しない時には、権力を奢る者はこういう運命を辿ることになると、将来の権力の暴走の抑止力にはなるかもしれない。

令和1年7月2日(火)

 蒸し暑い日が続いている。ほとんど運動をしていないので、体重も増えてきた。今週の木曜日は、数年ぶりに胃カメラを飲み、血液検査や便検査、胸のレントゲンをしてもらう。去年の5月までは、月〜土まで外来をしていたので、行きにくかったのは確かである。しかし、6月から木曜は休診にしたにもかかわらず、1年以上放置していた。運動も本格的にしたいと思っている。スポーツジムも考えている。腹をへこますことより、とにかく基礎体力と持久力をつけたい。平地だといくら歩いても大丈夫である。アマゾンのジャングルトレッキングに参加した時には、坂道ですぐに息切れがして、ついていくのがやっとであった。夏休みは、ブラジルのパンタナールに行く予定である。ギマランエス高原も訪れたい。ランニング・マシーンを中心に足腰を鍛えたい。
 6月27日(木)に関西TVで放送された、直撃!シンソウ坂上【芸能人移住に密着!オーストラリア…夫は無職!日本出稼ぎ妻】を録画して見た。内容としては、本当に面白かった。私の関心を引いたのは、1人で1家の生活を支える苦労と、もう1つは海外での子どもの教育である。最初はこの日記で取り上げるつもりはなかったので、1度見てそのまま削除してしまった。しかし、今週のトピックスで教育に関する本を取り上げた。うろ覚えの部分はネットで調べて、この問題についても考えてみた。
 出演者は、元TBSアナウンサーの小島慶子である。現在46歳である。2010年に退職して、生まれ故郷であるオーストラリアのパースに元TVディレクターの夫と子ども2人を連れて移住している。1ヶ月のうち3週間ほどは日本に出稼ぎに来て、タレントやラジオのパーソナリティなどとして活躍している。夫は無職で、パースで2人の高校生と中学生になる息子の面倒を見ている。パースは昔NHKTVの英会話講座で、挨拶言葉として「How about beer?」が使われていると紹介されていたので、何と素晴らしい所だと思ったことがある。アデレートではなかったと思う。移民の人口が40%(?もう忘れた)と多い。この夫は英語が嫌いでこれまでずっと逃げ続けてきている。学校からのメールも半分も理解できなかったという。
 まず、1家の生活を1人で支えている小島である。言葉の端々に「もうしんどい」という思いが伝わってくる。パースで子どもたちと過ごせるのは、1週間ほどである。無職といえども、夫が子どもたちの面倒を見てくれている。番組では、パースで小島が唯一本音が話せる日本人女性彫刻家も出てきた。今は男性でも1人で1家の面倒をすべてみるのは当然というのは、時代遅れである。小島のしんどさは男の私でもよくわかる。
 前から書いているように、私は晩婚だったので、下の息子はまだ医学部6回生である。西日本では1番授業料の安い私立医学部に通っている。しかし、運動クラブをやりたいために、自宅から特急で20分ちょっとで行ける距離なのに、大学のそばに部屋を借りている。当初成績は上位2割ぐらいであったのが、今は下位に落ちている。息子に対してはいろいろ言いたいことがある。しかし、下手なことを言って留年されたり、国家試験に落ちたりされたら困るので、今は卒業するまで忍の一字である。来年3月に卒業したら、私が5月で67歳になる少し手前になる。晩婚の人も再婚してまだ子どもが小さい人も、年をとったら小島以上に大変である。
 さて、海外での子どもの教育である。昔は、思春期を海外で過ごすと、日本人としてのアイデンティティが失われると否定的に言われていた。帰国子女の場合でも、ほとんど日本に住んだことがなければ、日本の生活習慣に慣れるのは大変だと思う。これからは国際人になって欲しいと、いきなり小さなうちから海外に出るのも考えものである。きちんと海外での生活基盤(その国で必要な生活費を稼ぐ)がないと、どうしても小島のように無理が来る。小島の子どもたちは現地の学校にすっかり溶け込んでいるようである。長男は将来は理学療法士になりたいと話していた。今から日本に戻っても、今度は子どもたちの教育が中途半端になる。お金持ちは、スイスなどの全寮制の国際学校に入れてしまうのもいいのかもしれない。(実態はよくわからないが、ピンからキリまであるのだろう) しかし、それ以外は、高校までは日本で学び、それから国際人を目指すのが無難だろう。

今週のトピックス 79 (190702)

池上彰 佐藤優「教育激変」 (中央新書ラクレ)
池上彰 佐藤優「教育激変」 (中央新書ラクレ)

 1階から2階へカルテを上げるダムウェイーターの取り替え工事の時に、ついでに本や資料などの整理をしていた。たまたま、ふだん手の届かない所に置いておいた紙袋に、以前に買った本が入っていた。ちょうど、2年前に発売された本である。自分ではこんな題名の本をいつ買ったのか、まったく覚えていない。手に取って読んで見たら、面白そうな内容であった。途中まで読みかけたが、簡単には読み終えそうにもなかった。今回は、途中まで読みかけていたこの本を選んで、最後まで読んだ。
 まず、はじめにである。池上は、当時も今も政治家たちは、教育現場のエビデンス(証拠)にもとづかない議論をしているという。昔は「教育勅語があったから道徳が行き届いていた」と主張する政治家は、この時代、いかに親殺し、子殺しが横行していたかという事実も知らない。戦後、少年による凶悪犯罪が減り続けているのに、少年法の厳罰化を進めようとする。「ゆとり教育」についても、その功罪を検証することもなく、「失敗だった」という主張が横行している。池上は8つの大学に籍を置き、6つの大学で講義などをして、自分が出題した記述式の答案用紙を毎年1000枚採点している。佐藤も同志社大学神学部などで教えている。
 佐藤によると、偏差値至上主義の蔓延が、中高生から学ぶ喜びを奪い、学年が上がるにつれて、勉強嫌いが増える状況を生んでいるという。東大や医学部の合格者を急速に伸ばしたようなところでは、受験刑務所化し、合格したとたんに、学生は「刑期明け」みたいな感じになっているという。そして、際限なき「コンプレックスのピラミッド」がある。池上が東工大の学生を見ていると、気になるのは学生の「均質化」だけではなく、「東大に入れなかった」というコンプレックスに苛まされている学生が少なからずいることだという。同じ東大でも、「文Tに入れなかった」という際限のないコンプレックスが生まれる。
 AI時代に必要な能力とは何かも論じられている。佐藤は、政府の無為無策により構造的に生じてくるであろう大量の失業者の発生の言い訳に、AIが使われるのではないかと勘ぐっている。大量失業は政府のせいではなく、AIのせいだというわけである。2045年に人工知能は人間の脳を超えるというシンギュラリティ(技術的特異点)のことも触れられている。国立情報学研究所で数学者の新井紀子は、このシンギュラリティ論を退けている。その論理は、「AIは計算機だから数式に置き換えることのできない計算はできない」「人間の知能の営みを数式に置き換えるのは無理」である。非常に大事なのは読解力である。ところが、中高生対象のテストでは、あまりにもこの読解力が低かった。
 日本では今から戦後最大とも称される「教育改革」が実行されようとしている。その1つが、2021年1月からスタートする「大学入学共通試験」いわゆる「新テスト」に他ならない。「共通一次試験」が導入されたのが、1979年である。実は、連合赤軍事件が導入の1つのきっかけとなっている。連合赤軍事件の犯人たちがその当時の二期校の学生ばかりであった。(一期校は東大などの旧帝大で、本命を落ちた人が後の試験で滑り止めとして二期校を受けた) 横浜国立大の学長が国会に呼び出され、「当校には、さまざまなコンプレックスを抱えている学生も多く、それがこういう過激な行動に結びついた可能性もあります」と発言している。そこで、一期、二期の序列をなくそうということで、「共通一次試験」が導入された。しかし、偏差値という物差しで、より厳しく序列化されようになった。偏差値で輪切りされたので、学生は均質化され、「自分はここにしか来れなかった」というコンプレックスをより強く抱える環境になってしまった。
 新テストと現行のセンター試験との大きな違いは、国語と数学に記述式の問題を取り入れることと、英語で今の「聞く、読む」に加えて「話す、書く」力も試すことである。池上も佐藤も、新テストのプレテスト(高2を対象に2回実施)はいい問題だと高く評価している。実際に出題された問題について、詳しく解説している。さて、アクティブ・ラーニングである。新たな学習指導要綱が2020年度から順次適用されていく。文科省は、アクティブ・ラーニングを「主体的・対話的で深い学び」と改題している。ただ、学生も一定の知識があって、そこで有意義な議論になる。座学も必要で、教える側もアクティブでなかったら、「対話的学び」にならない。佐藤は、アクティブ・ラーニングは基本的にエリート教育で、新しい学びの現場でも「落ちこぼれ」が生まれてくることを懸念している。
 この本では、オウム真理教のことも詳しく取り上げている。オウム真理教幹部は高学歴だったことはよく知られている。ここでの議論については省略する。興味のある人は読んで下さい。私が面白いと思ったのは、マルチン・ルターのことである。ルターは1524年に始まった農民たちの封建諸侯に対する反乱「ドイツ農民戦争」の際に、「反乱農民を殺せ」と主張した。これ以上、権力に逆らうという罪を犯せば、農民たちの魂は汚れ、世界の終わりの日に復活できなくなる。今、いったん魂を消してしまうならば、復活は叶うだろう。これは、愛の救済事業であると。
 オウム真理教の「ポア」と同じである。殺人を「魂を救済する」=ポアすると正当化していた。ヒトラーはルターを尊敬していて、彼の反ユダヤ主義はルターに起因するところが大と言われている。今の中高生は、受験やスクールカーストで思い切りストレスを増幅させている。大学に行って解消できるかというと、知識の伝授はしてくれるが、心の空白を埋めてくれる仕組みはない。そこに、いろいろな邪悪なものの入り込む余地が生まれる。この本では、佐藤が同志社大学神学部で実践しているアクティブ・ラーニングのことも書いている。内容は、本当に興味深い。
 最後に、大学入試センター理事長が出てきて、池上、佐藤と対談している。この山本寛基理事長にも感動した。島根大学学長を経て、専門は農業環境科学である。池上も佐藤も。センター試験は高く評価している。ここでは、センター試験の倫理の問題を分析したら、そこに西洋哲学史の基本が織り込まれていたという本も紹介している。選択式の問題は、「ただ選ぶだけで、本当の学力が分かるのか?」と批判されやすい。しかし、山本は、どの問題も練りに練られていて、問題作成者が1番悩みぬくのは、考えさせるための「誤答の選択肢」づくりだという。高校で早い段階から文系・理系をはっきり分けてしまう弊害も指摘している。
 センター試験受験生は約55万人いる。だいたい4分の1ずつ、4つのグループに分類できる。国公立専願、国公立・私立併願、私立専願、そして残りの4文の1は、すでに推薦やAO入試で合格しているけれど、一応受けておこうという人たちである。その層が平均点を下げるので、平均点を60点にしようと思ったら、共通一次時代より、問題をかなり易しくせざるを得ない。また、山本は、入学選抜においては、共通試験と大学の個別試験が「両輪」であるべきだという。共通試験になんでも盛り込もうというのは無理がある。英語の話す力についても、ここで取り上げられている。佐藤の言う「読む力が天井」というのもわかるし、池上の言う英語がいくら話せても「話す内容(教養)」がなければ話せないというのもよくわかる。
 センター試験の作問には、2年近くかかっている。最終稿を仕上げるまでの間、すべての教科書や過去に出題された問題もチェックする。問題づくりに来てもらう先生の苦労も並大抵ではない。年間40〜50日、センターに足を運んでもらう。どの科目の問題も非常に深い。山本も、決して「クイズ」ではなく、思考力が問われているのが実感できるという。真の改革のためには、「そもそもテストは何か。どうあるべきか」という検討も必要である。
 中教審(中央教育審議会)の答申を受けて設置された高大接続システム改革会議に、山本が委員として名を連らねた時である。20名の委員の中でテストの専門家と言えるのが、3人しかいなかった。精緻な議論が必要であるのに、会議には各界から識者と呼ばれる人が参加していて、それぞれの立場からいろいろなことを言う。会議では、資格試験(例えば、運転免許。毎年やっている小6と中3の全国学力テストは広い意味での資格試験)と選抜試験の区別もわからず、一括りにされて語られたのである。教育再生会議のメンバーに大学センターを視察してもらった時である。過去の問題を冊子にして机の上に置いたが、説明する間、誰もそれを開こうとしなかった。
 山本は、後2年の任期のうちに、大学入試センターの試験が、日本の教育にどのような影響を与えてきたのかという事実をきちんと整理したいと述べている。40年間の「共通テスト」というのは、公共財産だという。大学入試センター理事長といっても、単なる腰掛けの名誉職ではない。佐藤が述べるように、こういう人が想像していたより遙かに熱意を持って今の仕事に取り組んでいるのがよくわかった。

 


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