平成18年6月27日(火)
パソコンの調子がまた悪くなっている。前のパソコンが壊れた時に、使っていない古いパソコンを使ったので、そろそろ寿命か? 電源を入れても、5回の内1回ぐらいなんとか成功して起動するが、ホームページを移動したりすると、突然消えたり、画面が縞模様のようになってしまう。特に、この2〜3日はすごく不安定である。きのうはプリンターのスイッチを入れただけで、電源が切れてしまった。このホームページも更新できるかどうか心配である。また、新しいパソコンにすべてのデータを移動しなければならないかと思うと、気が重い。ウィルスソフトはダウンロードをしているので、手続きが面倒臭い。プロダクト・キーのお知らせメールも削除してしまったのか、いくら探しても見つからない。
先週は、以前に労災の裁判で書いた意見書のことで、問い合わせがあった。検察から、「うつ、うつ状態、抑うつ状態の区別」と「うつ病と適応障害の鑑別診断」を書いた資料が欲しいということであった。私の説明だけでは無理だというので、文献を見つけなければならないが、これがけっこうややこしい。まず、開業してからは、自分の必要な本しか手元に置いていない。精神科の病院には図書館があり、どこもある程度の専門書はそろえているが、長いこと当直にも行っていないので、利用しにくい。大学の図書館もあるが、日曜日は休みで、こんな用事では医局にもはいりにくい。金曜日に再び催促の電話があった。急いでいるらしく、月曜日に資料を取りに来るという。仕方ないので、土曜日に以前に当直でお世話になっていた福知山の精神科病院に電話した。院長も副院長もよく知っているが、土曜日なので不在であった。事務長に日曜の午前中に図書館を利用させて欲しいとお願いした。この病院はクレペリンの第何版かの本も所蔵しており、図書館はどこの民間病院よりも充実している。年に何回か京都市内で病院主催の研究会も開いており、つい先日も参加させてもらったところである。
土曜日の外来が終わっていろいろ考えていたら、明日の午前中に福知山まで行くのが、段々と面倒に思えてきた。この日の夜は精神科診療所協会の集まりがあるし、日曜日は午後から大阪大学で専門医資格取得のための講習会がある。以前は土日の当直に車を使って京都から福知山まで行っていたが、往復を考えたら、とんでもない手間暇である。仕方ないので、プラッツとアバンティに行って、適当な本がないかどうか探すことにした。なんとか、それらしい説明を書いた本を見つけ、2冊買った。1冊は一般医向けの入門書で安かったが、もう1冊は6千円もした。たった数ページをコピーするのに両方で8千円近くの出費である。しかし、裁判所に提出した意見書の原稿料は20万円以上振り込まれていたので、仕方ない。額が大きくて少しびっくりしたが、池田小学校の宅間被告のような大きな事件の精神鑑定書の作成の方がもっと高いだろう。
そう言えば、中村うさぎか誰かの文章に載っていたが、雑誌などの連載の原稿料は最初からいくらと決めず、引き受けた後でお金が支払われて初めてその値段を知るという。私の患者さんで作家の人がいるが、同じことを言っていた。原稿依頼の話が来て、引き受けて原稿を書き、その後でお金が支払われるので、一体いくらになるのかわからないという。その点、大手の出版社で単行本を作った時には、最初からいくらと決められて原稿料が支払われたという。原稿の依頼で最初から値段を交渉するのは、作家に対して失礼になるということらしいが、作家はあまりに安い原稿料の仕事を最初に断るということができなくなってしまう。今回の裁判の意見書は、誰にでも依頼があるわけでなく、名誉職とボランティアみたいなもので、断りきれず引き受けた。もちろん依頼者側も最初からお金の話を出したら露骨過ぎて失礼になるので、お礼については何も言わない。引き受ける方も、お金が目的でやっているわけでないので、後から2万円ぐらい振り込まれていても、こんなものかと納得する。前にも書いたように、精神鑑定書の値段が高いと聞いていたので、ある程度の額は予想していたが、予想を上まわるものであった。しかし、善意で被災者側についた精神科の先生と、裁判であれこれ争うのはあまり気分のいいものではない。
平成18年6月20日(火)
先週の土曜日はまた国際交流会館でカウンセリング・デイがあった。外国人の相談はなかったが、ボランティアの人のちょっとした相談は受けた。ふつうは5時で終わるのだが、この日はカウンセリング・デイに来ている人たちの交流会があった。ふだんは法律相談などそれぞれの部屋に別れてやっているので、一同に会することはない。弁護士や通訳の人など、大勢の人が来ていた。英語の通訳の人が3人もいるのは驚いた。中国などのアジア系の人の相談が多く、在留期間や日本人との結婚問題など相談内容は多岐に渡る。私も挨拶で何か言わなければならなかったので、イスラム教徒の京都での生活の難しさを話した。以前に2人の学生の相談を別々に受けたが、豚肉を食べず、酒も飲まないので、どうしても日本人との交流が制限されてしまう。学校が終わった後でも、みんなと一緒に居酒屋にも行けず、ラーメンも食べれない。京都はイスラムのコミュニティが皆無に近いので、単身での生活は孤立してしまう。メンタル・ヘルスの相談が少ないことも話したが、中国の通訳の人が中国ではまだ相談する習慣はなく、医者に相談したら頭のおかしい人と見られてしまうと話していた。アジアの国では、メンタル面だけでなく、身体の病気もめったに医者に行かず、薬草など民間療法で治してしまうだろう。この交流会が1時間ぐらいあった。6時半から、京都市がやっている自閉症やアスペルガー障害の研究会があったが、ばたばたして遅刻しそうだったので、さぼってしまった。
日曜日は、相変わらず娘は朝からクラブのダンスの練習に行き、息子は午後から塾に行った。息子も中学受験の準備が本格化し、これからは日曜日も朝から晩まで勉強である。家内とは週1回は一緒に外で昼食をとるようにしているが、用事がはいったりするとなかなか難しい。しかし、これからは日曜日に2人でゆっくりとできそうである。早速であるが、久しぶりに2人だけで映画を見に行った。「ナイロビの蜂」である。前から一緒に見に行きたいと思っていたが、いつの間にか上映館が少なくなり、今では京都では1館だけで1日1回の上映である。丹波橋から京阪三条まで電車で行ったが、特急で11分ぐらいで驚くほど早かった。いつもは車やタクシーを使っているので、ちょっとした所に行くのにも20〜30分はかかっている。料金は私が50歳を超えているので、2人で2千円である。割引料金だったせいなのか、前から2列目と最後部席しか空いていなかった。前から2列目にしたが、近づき過ぎて少し見にくかった。しかし、満席に近く、後からどんどんと2列目にも客がはいってきた。
さて、内容である。英国の外交官の妻が殺され、その謎を解いていく夫の夫婦愛の物語である。舞台がアフリカで、その自然とスラム街の風景は楽しめた。しかし、内容的には私にはもうひとつであった。殺された妻に素直に思い入れができなかった。巨大製薬会社がアフリカ人を使って新しい結核の薬を開発し、重大な副作用で犠牲者が出ても闇に葬り去っていく政府ぐるみの陰謀を、妻が暴いて告発しようとするサスペンスである。原作はジョン・ル・カレの小説である。この日は暑かったので、館内でビールを飲んだ。映画の真ん中辺りで、いつのまにか10分ほど寝てしまった。家内との夫婦愛を確かめに行くには、もっとストレートなラブ・ストーリーでもよかったかもしれない。映画も1人で見に行く映画と子どもと行く映画、家内と行く映画がある。愛人と行く映画もあるかもしれないが、私とは無縁である。あまりにマニアックな映画は1人で行くが、夫婦で行く映画も選んで行かないといけない。不倫で、どろどろの修羅場を展開する映画はまずいし、妻を殺した犯人は実は夫だったという映画もよくないだろう。ウソでもいいから、一緒に見て行って、2人でほのぼのとした幸福感に包まれる映画がいい。
家に着いたら、娘が先に帰っていた。私は早速ビールである。きょうは父の日であるが、製薬会社のアンケートに答えてもらった図書券を娘にやったので、逆父の日である。息子は塾から7時過ぎに帰ってきたが、朝から晩まで勉強で、最近は少し屈折している。「ただいま」とは言わず、「よう、諸君!」と言って帰ってくる。子供たちも父の日に送る物がなくなってくるが、私もあまり欲しいものがない。家族4人そろって夕食をとっていて、父の日に1番欲しいのはやはり夫婦愛とか家族愛だと思った。
平成18年6月13日(火)
先週はたまたま以前にコピーしたまま放っておいたDVDを見た。レンタルビデオ屋で借りてきても、なかなか見ている暇がない場合は、DVDーRAMにコピーしている。1度見たら2度と見ることはないので、見たらすぐに消して、また新しいのをコピーしている。少し前の映画であるが、「NANA」である。以前に、居間に娘が借りてきたこの映画とは別の「NANA」のDVDが置いてあった。いろいろ話題にもなっていたので、1度見たいと思っていた。家内に聞いてみたら、性格のまったく正反対のナナという2人の女の子が出てくる映画というぐらいで、内容については私と同じぐらい何も知らなかった。
前回に患者さんが出ているバンドのライブに行ってきたと書いたが、「NANA」に出てくるもう1人の女の子がアマチュア・バンドのボーカリストである。自分の恋人がメジャーのバンドに引き抜かれて別れ、どんどんと有名になっていくのを横目で見ながら、ボーカリストとして生きていくナナともう1人の世間知らずのナナの物語である。プロのミュージシャンを目指しているアマチュア・バンドが舞台になっていて、こういう世界は嫌いではないので、充分に楽しめた。私が興味を持ったのは、バンド仲間の家庭環境である。ボーカリストのナナは両親がいなくて、唯一育てられていた祖母が15歳?(忘れてしまった)で亡くなり、天涯孤独となっている。ナナの恋人であったベーシスト(だったと思う)も小さな頃に両親に捨てられ、施設を転々としている。両親がいる人にとっては突拍子もない設定のように感じるかもしれないが、たぶんアマチュア・バンドのメンバーの中にはこういう人も少なからずいるのだろう。
こういう家庭環境では、女の子が1人で生きていくには、それこそ水商売か風俗ぐらいしかない。プロのロック・ミュージシャンを目指すのは、ハイ・リスク、ハイ・リターンであるが、社会の底辺から這い上がって行くには、選択できる職業は本のわずかしか残されていない。格差社会と言われるが、塾に通わせるお金がないぐらいの家庭でも、本人が優秀で努力すれば奨学金でも何でも使って1流の大学に進学できる。しかし、このクラスになると、勉強で這い上がっていくこともほぼ100%閉ざされてしまう。
患者さんの中にもナナのような家庭環境の子が多い。離婚して、母親に引き取られても、母親に精神的にも経済的にもゆとりがないと、子どもの心に大きな傷跡を残す。私は自分の2人の子どもについては、何があっても最後まで面倒みるが、他人の子となると、せいぜい診察室でしか援助できない。小さな頃から手間隙かけて私と家内が一緒に毎日面倒をみて、やっと1人前の大人になれるかどうかである。秋田小学生殺害事件で、畠山鈴香が逮捕された。水死した娘の綾香ちゃんの生活歴を週刊誌などで読むと、本当に悲惨である。食事もろくに食べさせてもらえず、母親の男が来ると寒い冬でも外に放り出されている。近所の人も、気の毒がって綾香ちゃんに食事を与えるなどで一時的には援助できたかもしれない。しかし、みんな自分の子どもを育てるので精一杯で、いつまでも丸抱えで他人の子どもの面倒をみていくのは不可能に近い。
ナナも一時的には同情して助けてくれた人もいるかもしれない。しかし、結局長続きせず、結果的には裏切られた思いを何回もしただろう。女の子だと、両親がいないことをいいことに、からだ目当てで群がってくる男も多いかもしれない。15〜16歳頃だと世間のことは何もわからず、今度の人こそ私を助けてくれると信じて裏切られ、繰り返していくうちに、辛い思いをするなら人を信じるのはやめようと心を閉ざしていくことになる。ひりひりした生の痛みを無感覚にして、一見たくましく生きているように見えるナナも、ちょっとしたことですべて崩れ去りそうな危うさを抱えて生きている。
私は小学生の間は父親に徹底的にスパルタ式で育ったので、父親に対してはずっと反抗的に生きてきた。しかし、社会の底辺から這い上がる手段として、勉強することを教えてくれたのは父親である。ナナのように天涯孤独になるよりも、反発する父親や母親がいるうちは、まだ幸せなのかもしれない。
平成18年6月6日(火)
先週の土曜日は以前に展覧会に招待された患者さんの家に、作品を買いに行った。美術品にはこれまであまり興味がなく、お金を出してまで買うということはめったになかった。バブル華やかりし頃、キリンからシリーズで出ていたビア・マグを買い集めたことはある。景徳鎮で作ったビア・マグはひとつ20万円ほどしたが、バブルの時の値段なので、今は二束三文になっているかもしれない。ビールが好きなので買い集めたが、その後は特に何も集めていない。医院の玄関に置いてあるミニチュアの自転車や人力車の模型は、建て替え前の古いプノンペンの空港で買ったものである。1つ15ドルほどであったが、今でも気に入っている。海外でも、家にまで持って帰って飾りたいという作品にはなかなか巡りあわない。
診察室に飾ってある絵はほとんど患者さんからもらったものであるが、1枚だけ自分で買った絵がある。京都新聞主催のチャリティ作品展で、自分で値段をつけて手に入れたものである。1番高い値段をつけた人が落札するシステムであるが、もう1枚の作品は安くつけすぎたのか、落札できなかった。作品によっては最低価格が表示されていて、私が落札した絵は高すぎて、誰も買い手がつかなかったかもしれない。他にも陶器などの作品が展示されていたが、気に入ったのはこの2枚だけの絵であった。書道の作品もあったが、まったくその作品のよさがわからず、ちんぷんかんぷんである。この途惑いは、祇園甲部の井上流の踊りを見せられている時と共通したものがある。次の年にも高島屋まで見に行ったが、気に入った作品がなく、つくづく芸術的作品とはまったく縁がないものだと思っていた。今回はまた医院に飾るものが欲しくて自宅まで行って作品を見てきたが、大きな会場で見るのと、アトリエみたいな所で見るのとでは印象が違った。いくつかの作品の中から気に入ったものをひとつ選んだ。値段もそこそこであったが、いろいろと応用がきく作品なので、ずっと長く飾れそうである。
日曜日の夜には、若い患者さんがやっているバンドのライブに招待されて出かけた。小さいライブハウスで、カウンターとイスがいくつかあるぐらいである。インターネットで申し込んでいたので、ワン・ドリンク付きで1500円である。時間ぎりぎりに行ったが、まだそれほど客ははいっておらず、なんとか1番奥のカウンター席に座れた。みんな20代ぐらいの人ばかりで、私のような中年の客はいない。場違いな感じで最初はあまり落ち着かなかったが、患者さんが来てくれていろいろ説明してくれた。3つのバンドが出演し、最後のトリに出るという。全部で20数人の観客で、座る席がないのでみんな立っている。ぎんぎんのロックで、前にも書いた中年に近い患者さんから招待を受けたライブハウスとは雰囲気も音も少し違っていた。クラブ系に近い店だと聞いたが、その区別もよくわからないぐらいであった。観客はリズムを取るぐらいで、誰も踊ってはいなかった。演奏の途中から1人外国人がはいってきた。もう座るところがないので、私の横で立ちっぱなしである。ロッカーに荷物を入れるのに小銭がないらしく、私に両替を頼んできた。どこから来たのか聞いたら、スイスだという。27歳のプログラマーで、インドネシアから日本に旅行し、もうすぐ帰国するという。ニンテンドーに勤めたいと話していた。サーファーで、インドネシアでは充分楽しんできたらしい。通りすがりに音を聞いて、このライブハウスにはいってきたという。2時間以上立ち続けるのはさすがに疲れるらしく、隣の席があいた時に早速座っていた。
患者さんが出ている最後のバンドはやはり1番うまかった。演奏もよかったが、プロになって飯を食べていくのは大変だと思った。この小さなライブハウスも、30人もはいらず、テナント料も払って、経営的にやっていけるのか心配になった。サッカーや野球は飛び抜けた才能を持っている選手はプロが見逃さないシステムができあがっていると思う。しかし、純粋なロックとなると、市場は狭く、いくら飛び抜けた才能を持っていても、商業的に成功するとは限らない。サッカーや野球は得点を入れるか入れないかの実力が収入に直結するが、ロックとなると、才能以外のプラス・アルファが大きく作用してしまう。それでも、自分が何をしたいのかわからない若者が多い中で、ひたすらロック・アーティストを目指していくのは、危うさもあるが、生の人生を生き抜いている感じがする。
精神科では、原則的には治療場面以外で患者さんに会うのは禁じられている。店外デート禁止である。開業したこともあり、最近はこの程度ぐらいなら、診察室以外で患者さんに会ったりすることもある。この頃は不眠ぐらいで診察に来る患者さんも多いので、以前のような自我の不安定な患者さんばかりとは限らない。患者さんに、風俗とかSMクラブに招待されたら、興味がないわけでないが、いくら美女でもやはり丁重に断るだろう。
平成18年5月30日(火)
先週の土日は東京に行っていた。日曜日の午後から、東大で日本心身医学会の講習会があり、点数を集めるためにどうしても出席しなければならなかった。認定医の更新をするためには、5年間で50点集めなければならないが、まだ45点しかなく、申請の締め切りも明日までである。ずーと勘違いをしていたが、総会と講習会は別々で、参加したらそれぞれ10点くれる。総会はきょうから2日間あるが、今回は外来を休診できず、参加してからでは更新の申請も間に合わない。東大には初めて行ったが、ちょうど5月祭をやっていた。赤門から会場の医学部の研究棟まで、ちらっと見学したが、他の大学とそれほど変わりない印象であった。
いよいよ書くことがなくなってきたので、今回のテーマは東大である。私は長野県の山奥の高校を卒業しているので、進学校と違い、身近に東大に行っている者は少ない。卒業生のほとんどは関東圏の大学に進み、東大に合格するのは数年に1人ぐらいである。前にも書いたが、たまたま私の学年だけがもっと田舎の優秀な生徒が大勢集まっていたので、私のクラスからは2人合格している。田舎では優秀な2人であったが、全国から集まってくる東大の中では裾野の方に属してしまうかもしれない。ちょっと前に読んだ本で、水木楊「東大法学部」(新潮新書)がある。今は親の年収が高くなければいい大学にはいれないというが、この本でも東大法学部の親の平均年収は1200万円と書いてある。しかし、これはあくまでも平均年収で、実際にはそれほど高い年収でなくても大勢合格している。(具体的な数字は失念してしまったが、2000万円の親と400万円の親でも平均年収は1200万円になる。東大クラスになると、中にはとんでもない年収の親もいる) 確かに、2人の子どもを塾や私立の中学に通わせたら、日赤の部長でも生活に余裕がない。反対に、子どもに金さえかけたら誰でも東大にはいれるわけでもない。
斉藤貴男・林信吾「ニッポン不公正社会」(平凡社新書)では、今の日本社会は、自由競争の名のもとに、不公正社会にされようとしていると糾弾している。「勝ち組、負け組」から始まって、「希望格差社会」や「機会不平等」、「下流社会」などという言葉も日常よく耳にする。この本では新たな階級社会が日本に忍び寄っていると対談形式で述べ、竹中平蔵の「みんなで平等に貧しくなるか、頑張れる人に引っ張ってもらって少しでも底上げを狙うか、道は後者しかない」という発言を批判している。対談の中で、斉藤貴雄が自分は屑鉄屋のせがれだということを強調し、権力は悪だという姿勢で、ステレオタイプに政府や官僚を批判している。この著者についてはよく知らなかったが、本の紹介をみると、以前に読んだことのある「カルト資本主義」が載っている。この本はすごく面白かったので、官僚は悪いと頭から決めつけている頑固さは意外であった。少し前に千葉7区の補選があって、元キャバクラ嬢が東大を出た通産省出のエリートに勝って当選した。たまたま週刊スパを読んでいたら、この通産省出の候補者の父親はギターの「流し」で、母親は長いこと半身不随であったという。元キャバクラ嬢の叩き上げと庶民の苦しみがわからないエリートというマスコミの典型的なステレオタイプの構図である。
今回東大を取り上げたのは、日本の将来とそれこそ国家の品格に深くかかわることだからである。官僚を偏差値バカだとか、天下りで金もうけしてけしからんと批判するのは簡単であるが、国家の運営は誰に任せるかである。政治家に任せたらいいという意見もあるが、二世三世の政治家が多く、元キャバクラ嬢でもなれる世界である。キャバクラ嬢をばかにしているわけではないが、国を任せるプロとしてははなはだ心もとない。東大法学部は近代国家の人材供給源として発達し、官僚の多くを輩出してきているが、今の若い世代には人気がないという。「東大法学部」によると、1番人気は弁護士、検事、裁判官の法曹界だという。人事担当者の「政治家の所に靴をすり減らして日参し、ネゴして調整するのが官僚の仕事なんだ」という発言も出てくる。国のために安い給料で滅私奉公で働いても税金ドロボー扱いされ、アホくさくてやっていられるかと言うのが、若い世代の本音か。政治家など、次へのステップとして腰かけで国家公務員になる者も増えてきているという。
大前研一が書いているような改革もよくわかるが、すでにできあがった今の社会ではどれも実現不能であろう。すべてリセットできたら可能であるが、巨大隕石が日本に衝突でもしない限り無理である。京都新聞に、知事の退職金が取り上げられ、4000万円ぐらいで庶民感覚とかけ離れていると批判されていた。官僚が天下りして、わずかな期間で毎回退職金を数千万円をもらうのも、あちこちで批判されている。誰でも各論については発言できるが、全体を見渡して国家を総論的に仕切っていくのは、特殊な能力が必要である。私は個人的には、官僚も知事も庶民でいる必要はないと思っている。頭のいい人を統制するにはもっと頭のいい人が必要で、官僚組織も必要である。政治家は無知でも政治家でいられるが、キャバクラ嬢が官僚として入省できたとしても、こんなことも知らないのかと頭の悪さをバカにして誰も相手にしてくれないだろう。
ゴールデン・ウィークは週刊誌が2週間休みになるので、ふだんめったに買うことのない月刊誌のプレジデントを買って読んだ。特集は「学歴と年収」である。官僚のトップである事務次官の年収が2433万円と出ていた。上場企業の経営者トップ150名の推定年収も出ていたが、トップはユニクロの柳井正で、29億3628万円である。150位でも、1億8853万円である。創業者でないサラリーマン経営者は低いが、国を運営する官僚のトップの給料としてはどうであろうか? 真のエリートの養成を「国家の品格」でも「東大法学部」でも説いているが、安い給料でエリートを養成するのは無理であろう。「東大法学部」にも出てくるが、通産省の次期事務次官と目されていた人がやめて米国の大学の研究所に流出している。「辞めたくなる大きな理由は、プライドが持てないということだ。安月給でも仕事をしてきたのは、国を支えているというプライドがあったからである。それが、持ちようがなくなっている」と述べている。近い将来優秀な人材がみんな民間に流れてしまったら、それこそ国家の危機ではないかと思ったりする。
平成18年5月23日(火)
日本テレビの某アナウンサーが、女子高生のスカート内を隠し撮りして逮捕されたが、「むらむらして興味本位でした」と述べている。この「むらむら」という言葉は、他の「むれむれ」とか「むちむち」というスカート関連用語と紛らわしいが、実際には女性には理解できていないような気もする。わかりやすい言葉の「セクシー」とも違う。昔谷岡ヤスジの漫画に出てきた「鼻血ブー」の方がまだ近い感覚かもしれない。おなかいっぱい食べた後で、おいしいデザートが出てきてまた食べれてしまうのを、別腹という。アナウンサーなのでそれなりに女性にもてて性的にも満たされていたと思うが、むらむらとしてしまうのは別××になるのか。男性の欲望というのは難しい。ふだんはそれなりにコントロールできていても、本能を刺激する対象に出会ってしまうと、突然スイッチがはいてしまう。私は自宅と診療所を車で往復し、朝早く出て来て夜遅く帰るので、最近はむらむらする対象に出会ったことがない。単なる出会いの少なさだけでなく、年齢のせいもあるかもしれない。前回の日記で紹介した「国家の品格」でも、教育の大切さを強調していたが、浮気だけは各国のエリートを見ていても、いくら教育しても無理だと述べている。
先週の土曜日は、久しぶりに以前に診ていた患者さんから、ロックのライブの招待を受けた。前にも書いたが、あるプロ・ミュージシャンの弟子であったが腰を痛めてやめ、十何年かぶりに演奏に復帰した人である。今回は前座に出るということで、早速1人で出かけた。メインのバンドがそれなりに有名らしく、入場料は前と違って高かった。ライブハウスで席を案内され、演奏を待っていると、B−52sの「ロック・ロブスター」がかかっていた。私の好きな曲で、このアルバムはLPレコードで持っている。アマゾンで調べてみたら、最近は試聴用サンプルもダウンロードできるようになっている。
さて、患者さんの参加しているバンドが演奏を始めた。バンドのメンバーはみんなそれなりに年をとっていて、ツインギターで懐かしの曲をカバーしていた。ボーカルも伸びのある声で、うまかった。何の曲を演奏しているかは紹介してくれないが、バニラ・ファッジの「キープ・ミー・ハンギング・オン」やジャニス・ジョップリンの「サマー・タイム」、最後はジョニー・ウィンターの「ロックン・ロール・フーチー」だとわかった。私の得意分野はプログレであるが、このあたりぐらいならよく知っている。プロとしてツアーをしていたバンドが最後に出たが、へたなオリジナル曲よりも、私には昔の曲のカバーの方が懐かしく楽しめた。リーダーらしき人が50歳だと言っていたので、私よりちょっと下ぐらいである。ミュージシャンとして、この年までやっていくのは大変だと思う。私の患者さんで、東京で演劇をやっていて京都に戻ってきた人がいるが、役者としてはTVに出るようにならないと食べていけないという。最近仲間の劇団の公演を見に行って、50歳を過ぎてもまだ頑張っている人もいたという。1番最後はジミー・ヘンドリックスの「パープル・ヘイズ」で、しめくくってくれた。7時から11時過ぎまでであったが、久しぶりにぎんぎんのロックが聴けて楽しかった。ロックののりは、ヘッドフォンで聴くより、生の演奏を大音響で聴くのが1番である。ロックを聴くのは私にとっては一種のエクスタシーで、「むらむら」とは違う快感である。裸の美女とロックを差し出されたら、裸の美女を選んでしまうかもしれないが、すぐに飽きてしまうような気もする。
昔看護学校で教えている時に、海外のロックを知らない生徒ばかりで驚いたことがある。別のバンドでギター演奏している若い患者さんがいるが、今は昔のロックは流行らないという。それでも、ライブの会場には大勢の若い人が来ていた。私が若い人と共通した話題を持てるとしたら、唯一ロックだけかもしれない。私の家内は矢沢栄吉のファンである。私は本場のロックを聴いていたので、当時のキャロルはヤンキーの集まりみたいな感じで、ロックとしては二番煎じのような印象であった。しかし、矢沢栄吉のコンサートは高く評価されているので、好みは違うが、11月のびわ湖ホールのツアーには家内と一緒に聴きに行こうと思う。5月19日で53歳になってしまったが、今回のライブは自分の人生をふり返るには丁度よい機会を与えてくれた。いつも不良中年になろうと誓っているが、今年こそはぜひとも目的を果たしたい。
平成18年5月16日(火)
年を取ってくると、国家のあり方などに興味を持ってくる。若い時には、女の子のことやロックのことしか頭になかった。今でも女の人に対する興味は衰えていないが、この日本という社会そのものの成り立ちが知りたくなったり、日本の将来を憂えたりする。ゴールデン・ウィークに飛行機の中で、今話題の藤原正彦「国家の品格」(新潮新書)を読んだ。援助交際に始まって極端な拝金主義など、若い世代を見ていると、国家の行く末が心配になる時もある。自由、平等、民主主義を疑うと書いてあり、米国が押し付けてきた占領政策が批判されている。戦後失われた祖国への誇りや自信を取り戻すために、著者は日本人の行動や道徳基準として機能してきた武士道精神の復活を唱えている。武士道精神とは、慈愛、誠実、忍耐、正義、勇気、惻隠などが含まれ、「名誉」と「恥」の意識もある。この本を読んでいると、勇気づけられることが書いてあり、思わず納得してしまう内容ばかりである。英語を小学校から始めるより、とにかく国語を徹底的に教えるというのも同感である。英語で語るべき内容がなかったら、いくらしゃべれてもあまり意味がない。
森口朗「戦後教育で失われたもの」(新潮新書)にも同じようなことが書かれていた。この本でも、「己」を知る謙虚さや「宿命」を受け入れる潔さ、「不条理」を生きぬく図太さ、「日本人」であることの誇りが強調されている。学歴社会以前は身分社会だったと述べ、教育においての競争原理の導入を説き、「人権」という言葉を使わない、「いじめのある学校」を認めるなど提唱している。子どもにやりたいことを探させないという項目もあり、「ガタガタ言わずに働け」という過激な発言もある。子どもの自主性を重んじ、やりたいことがない子どもに、「やりたいことをゆっくり探しなさい」という弊害は、まるで小倉千加子「結婚の条件」(朝日新聞社)に出てきた内容と同じである。ふつうのそれほど美貌も才覚もない平凡な娘に、自分の理想の人をゆっくりと探して結婚しなしさいと言うのと共通したものがある。
「国家の品格」では、市場経済に発したグローバリズムで、社会、文化、教育が腐食され、画一化されてしまうので、日本人が古来から持つ「情緒」や伝統に由来する「形」を見直していこうという。「情緒」というのは、「もののあわれ」とか、自然への畏怖心、ひざまずく心、懐かしさ、自然への繊細で審美的な感性をさし、「形」というのは、武士道精神という日本独特のものである。これらを大切にすることで、国家の品格が保たれると、説得力のある言葉で語られる。桜や紅葉などの日本の四季の移ろいを慈しみ、美しい田園が荒れ果ててしまわないように、農業を守ると書かれていて、経済原理だけでものを考えることを戒めている。
ところが、その後で読んだ大前研一「ロウワーミドルの衝撃」(講談社)では、また話が違ってくる。こういう経済関係の本は全く知識がないので、統計的な数字などを巧みに用いられると、赤子の手をひねられるように著者の理論に賛同させられ、全く批判能力がなくなる。日本が長期衰退期にはいっているのかどうかはさておき、所得の2極化が進み、年収600万円以下の中低所得者層が全世帯の8割層を占めているという。この年収は日本では中低所得層になるが、海外では決して低い所得ではないので、市場を開放すれば、アッパークラス並みの生活ができるという内容である。狂牛病問題で米国産牛肉の輸入が禁じられているが、米国には日本の100倍以上の頭数の牛がいるので、統計的には米国産牛肉の方が安全だという。米国の検査内容はずさんで統計は信用できないという意見もあるが、今週の週間文春に載っていた櫻井よしこの文章を読むと、日本の統計もいいかげんである。日本の農業政策の部分を読んでいると、農業補助金はこの10年間だけで40兆円も使われており、農業生産を高めることには使われていない。農業基盤整備の名目で、国道や県道よりりっぱな農道を作るなどをして、農業よりゼネコンが儲かるような使い方をしているという。日本の消費者は世界一高い農産品を買わされているので、海外に土地を買い、農地開発を行えば、安い食料品が手に入り、それが食糧安保になるという。この本を読んでいると、どこが愛すべき日本なのかいやになってくるが、どれひとつとっても利権に群がる人がいて、実現できそうもない。
さて、美しい日本の田園風景である。評論家の呉智英が以前に日本のすべての田んぼを国定公園にしたらいいと言っていたが、そういうわけにもいかないだろう。私も東山区の精神保健事情についてはそれなりに語ることはできるが、国家論を唱えるというのはかくも難しきことである。
平成18年5月9日(火)
ゴールデン・ウィークが過ぎて、開業して丁度5年が過ぎた。この5年間苦労の連続であったと述べると自営業をしている人の共感を得やすいが、それほど開業の苦労はなかった。今のところ順風満帆であるが、この調子で私が引退するまで20年間続いてくれたらと思う。小さな診療所で、大きな設備投資もしていないので、子どもたちに何が何でも後を引き継がせる必要もない。前にも書いたが、自分で独立して好きなように経営するのはサラリーマンの夢であるが、思ったほど自由にできるわけでない。開業医の場合は、他の業種と違って、ほとんどやり方が決まっているので、失敗のリスクも低い。それでも、こまごまとしたことを全部自分で決めていかなければならないのは、けっこう面倒である。「自由からの逃走」という言葉があるように、会社で上からの命令に従ってやっている方が、ある意味では楽かもしれない。それと、民間の病院にいる時には、上の経営者に対しては職員はいつもみんな不平不満ばかり言っていたが、経営者もそれなりに大変である。実際に、デイ・ケアなどを大々的にやっている診療所などは、たくさんの職員を雇い、この不況の中で雇用機会を与えて社会貢献をしている。大きな病院ほど大勢の職員を雇い、それぞれの職員の家族を養っているので、簡単につぶすわけにはいかない。安い給料でこき使われているというサラリーマンの不満もよくわかる。しかし、会社がつぶれたら職員はいつでも逃げ出せるが、経営者はすべての責任を負わなければならない。おおざっぱな経営者より、慎重な経営者ほど、想像以上に経営のストレスにさらされているかも知れない。
開業して、メリット・デメリットについて考えてみたい。まず、メリットである。収入は勤務医の時の倍以上になった。経費の問題もあるので、給与もどう計算するかで違ってくるが、勤務医の時の総額を悠々超える金額がそのまま手取りで増えている。同級生の立命館大学T教授がいつも給料が安いと嘆いているが、生涯賃金の格差はますます大きくなるだろう。国公立病院や日赤の部長でも同じである。実際に収入が増えて、生活に余裕ができるようになったが、あまりムダ遣いはしていない。相変わらず、昼食はコンビニの弁当だし、服もジャスコである。よく、大金を手にして、高級クラブで豪遊する人がいるが、あの感覚が理解できない。キャバクラにもまだ1度も行ったことはない。きれいなお姉さんが嫌いではないが、好きな映画を見たり本を読んでいる方がよっぽど楽しい。どうせお金を使うなら、病気がこわいが、気持ちがいい分、まだ風俗の方がましかもしれない。時間に関しては、もっとゆっくりできると思ったが、細かい雑用が多く、けっこう日曜日も仕事でつぶれてしまう。好きな時に休もうと思えば休めるが、現実的には学会でもゆっくりと行っている暇がない。
この不況でこんなに稼いでいると、あまりデメリットがないように思うが、それなりにある。基本的には医者は1人だけなので、孤独感はある。また、一流病院に勤めていた時のような名誉もなくなる。心療内科や精神科は、開業して大きな手術ができなくなるとか、仕事内容が変わるわけではない。しかし、時々大変な患者さんが受診してきて、誰にも頼めず、すべて自分で処理しなければならない。勤務医の時には、医局の教授を含め周囲の評価を得ることで頑張ることができたが、独立してしまうとこの頑張り方がよくわからなくなる。自分で好きなように頑張ったらいいのであるが、権威のある評価尺度がなくなってしまうと、自分を何で評価したらいいのかわからなくなる。開業するまでは、名誉のためだけに生きてきたので、お金だけでは寂しいような気もする。自分の診療所も持てたし、セカンド・ハウスとして京都駅の近くにマンションも持てたが、勤務医の時と比べて、失ったものも多い。贅沢な悩みかもしれないが、お金だけでも人生は満たされない。
いつも誓いばかり立てているが、6年目にはいって気持ちも新たに頑張ろうと思う。もうすぐ誕生日なので、この時にも新たな誓いを立てるが、今度はもう少し具体的なことを書こうと思う。正月と誕生日と開業日の年3回は心を入れ替えるが、まだ何も達成されていないよう気もする。
平成18年5月2日(火)
いよいよ書くことがなくなってきた。この土日は障害年金や障害者手帳用の診断書が1通づつあったぐらいで、時間的には余裕があった。土曜日は午前中にパルスプラザでやっていた「よみがえる大恐竜王国」に息子と家内で行った。朝9時半過ぎに起きて行ったので、入り口はすでに長蛇の列であった。小さな子供連れの家族ばかりであったが、内容はそれなりに面白かった。薄暗い広い部屋に恐竜がいくつも展示してあるのだが、大勢の人でごったがえし、パニック障害を持っている人にとっては最悪の場所だと思った。3D映画も見たが、悪くはなかった。ティラノザウルスも迫力があり、恐竜ひとつひとつも見所があるのだが、もう少し展示方法を工夫できないものかと思った。薄暗い部屋と明るい部屋を交互に回廊式に訪れるのが理想的である。薄暗いただっぴろい空間にずっと押し込められていると、なんとなく気分が重苦しくなり、早く会場から出たくなった。
午後からは、京都発達障害診療研究会に参加した。今回新たに京都市の主催で、自閉症やアスペルガー障害について、精神科医を対象に全部で6回の講義が開かれることになった。前にも書いたが、最近注目を集めているアスペルガー障害などの発達障害については、児童精神医学の専門家以外は精神科医といえどもあまり詳しい知識がない。私は自閉症の患者さんは大学にいた時でも1度も診たことがない。今でも自閉症の患者さんを診る機会はないが、知的障害のない発達障害の患者さんの場合は日常の診療でも接する機会が多くなっている。アスペルガー障害ではないかと疑う患者さんはいるが、なかなか専門家でないと確定診断ができない。きょうの朝刊を読んでいたら、母親にタリウムを飲ませて殺人未遂で捕まった少女が、医療少年院への保護処分が決まったと載っていた。この記事の中で裁判長が「少女は幼児期から発達上の問題があり、人格のゆがみも認められる」と述べている。私の勝手な推測であるが、発達障害があったのかもしれない。小中学生などよる殺人事件が起こると、マスコミなどは現在の社会が病んでいるようなことをすぐ書きたてるが、いずれもピントはずれである。実際は、発達障害が関与していることが多い。こう書くと、今度は誤解と偏見をもたらしてしまうので気をつけなければならないが、アスペルガー障害などの発達障害についてはこれまで家族も学校もそんな病気があることさえ知らなかったので、間違った対応でますます子どもを追い詰めてしまっていた。精神科医でさえ、やっとその疾患概念がわかり始め、これから勉強会を始めるという段階なので、一般の人は理解不能であろう。最近になって、やっと学校でも対応に取り組み始めたので、これからは不幸な事件の再発は未然に防げるようになるかもしれない。
ゴールデン・ウィークの始めだというのに、大勢の精神科医が集まっていた。それだけみんなの関心が高まっている。本を読んだり、講演を聞く機会が多くなったので、私の中で断片的知識がまとまり始めているが、それでもまだ知らないことが多い。「こうしてはいけない」ということが理解できにくいので、「こうするといいですよ」と教えるとか、「違いを見い出すのは得意で、同じものを見い出すのが下手」とか、よく理解できた。一時に複数のことができにくく、トランポリンなどはできても、なわとびはできにくいという。1対1の対応しかできないので、「幸せ」とか「すばらしい」とかいう意味概念がわからないというのも、興味深かった。第2回目からは土曜の夜6時からであるが、続けて参加しようと思った。
日曜日は、患者さんの作品展に招待されていたので、見に行った。絵や写真の展覧会をする患者さんは何人かいるが、プロの作家としての作品展はこの患者さんが初めてである。会場に飾られた作品の中には、私好みの作品もあった。以前から待合室に飾るものが1つ欲しかったので、どうせ飾るならプロの作品をと考えていた。患者さんに聞いたら、どうしても欲しいという人にはそれなりの値段で譲るという。一体いくらぐらいになるのか全く想像できず、値段を聞くのも恐れ多かった。結局、この時には聞けずじまいで、次の診察の時には勇気を出して、聞いてみようと思う。
平成18年4月25日(火)
先週の木曜日は久しぶりに午後から予定がはいっていなかったので、映画を見に行った。題名は「ヒストリー・オブ・バイオレンス」で、「ザ・フライ」で有名なクローネンバーグ監督の映画であった。京都ではMOVIX京都でしかやっていなかったので、三条まで久しぶりに出かけた。3時10分からの開演であったが、10分前ぐらいに行ったら10人位しかはいっていなかった。その後何人かが入ってきたが、驚くほど観客が少なかった。始まる前から、つまらない作品なのではないかと少し心配になった。最初はけだるい感じで始まったが、すぐに面白くなってきた。題名でバイオレンスがつくので、暴力がテーマといえばテーマである。暴力で叩きのめすのであるが、相手は強盗やマフィアなので、爽快感がある。一種のカタルシスであるが、あまりにも素早いので、もう1度じっくりと見たいという変な渇望感が残る。K−1のノックアウト・シーンを後から何回も見たくなるのと同じである。ドラマも息もつかせぬ展開で進み、久しぶりにいい映画を見たという満足感が残った。セックス・シーンは無理に入れる必要もなかったし、最後の終わり方も少し尻切れトンボみたいな印象であったが、すぐにもう1度見たいと思った。癖になるような変な魅力のある作品である。
暴力がテーマである映画をざっと思い浮かべても、最近の作品では「ナチュラル・ボーン・キラーズ」や「キル・ビル」がある。しかし、罪のない人を殺すシーンには昔以上に神経質になっている。昔はカウボーイがインディアンを殺すシーンでも興奮したが、歴史的認識が進んで今では単純には喜べない。「俺達に明日はない」ではどうだったのか思い出せず、インターネットで調べたら、一般人には手を出していないが、追っ手とは銃撃戦を演じている。若い頃の私の好きな映画であったが、銀行強盗をやっているので、たとえ追っ手でも殺してしまったらまずいと思う。「ヒストリー・オブ・バイオレンス」では、家族を守るためにという大義名分があるので、安心して見れる。暴力といえば、北野武監督の「HANA-BI」も思い出すが、前にも書いたように私の好みではない。クローネンバーグ監督の暴力シーンの撮り方はうまく、何か心の中にいつまでも残る。この興奮と爽快感はどこかで味わったことがある。これまでの映画を思い浮かべて、クリントイーストウッド監督の「許されざる者」を思い出した。話の展開はまったく違うが、あの飲んだくれが突如射撃の名人として、目にもとまらぬ速さで相手を倒していくのと共通したものがある。
最後に、映画とは関係ないが、患者さんの暴力である。母親を階段から突き落としたり、こぶしで壁に穴をあけたりすることは日常経験しているが、今までで強烈な暴力というのは思い出せない。私自身が患者さんから殴られたりしたことは何回かある。それでも数は少なく、1人は幻覚妄想状態の人で、診察している時にいきなり殴られた。幻聴が聞こえてきて、私を殴ったらしい。もう1人は覚醒剤中毒の人で、酒に酔っ払って病院に帰ってきて、閉鎖病棟に入れようとしたら、突然殴られた。その後で、木のイスで頭を割られそうになったが、看護人さんが止めてくれた。最近では患者さんが診察中に父親を殴ったりする場面にも出会ったが、実際に暴力場面に遭遇することは稀である。両親に暴力をふるったと患者さんから聞くことはある。離婚した夫から暴力をふるわれていたという患者さんもいるが、あまり根掘り葉掘り聞かず、診察室では聞き流す程度である。強烈な自傷行為は経験するが、暴力に関しては案外少ない。
暴力も実際にふるわれることは少なくなり、せいぜい一歩手前の脅しに接するぐらいである。私も何回も書いているが、海外で頭に銃をつきつけられたが、実際に発射されていないので、まだ暴力ではない。暴力も非日常の世界であるが、自分の中の隠された攻撃性と暴力が直接結びつくのはよくない。我慢を強いられるストレスの多い生活の中ではいつの間にか攻撃性が発達してしまうが、格闘技の観戦とか今回の映画で上手に発散させるのがいいのだろう。攻撃性が自分に向かってしまう自傷行為などは、そう単純でないかもしれない。
平成18年4月18日(火)
4月から診療報酬の改正があり、患者さんも窓口での支払いが以前と比べ多少安くなっている。今回は史上最大の3.16%の引き下げで、日本医師会の会長選も小泉首相率いる自民党と距離を置こうとする前会長と、自民党との連携を密にしたい新会長との争いで混乱を極めた。京都府医師会誌である京都医報を読んでいたら、京都第一赤十字病院副院長の嘆きの文章が載っていた。前にも書いたが、大きな公的病院は赤字ぎりぎりでやっているので、今度の診療報酬の引き下げは予想以上に厳しくのしかかってくる。急性期病院に認められていた「紹介外来加算」や「急性期入院加算」が廃止になり、これだけで1億5千万円以上の収入がなくなるという。「働けど働けど益々過酷な労働状況になる急性期病院の勤務医として」とか「自分の子どもより若い研修医を40人も抱え、救急に追いまくられつつ学会活動も指導し、患者さんに頭を下げ、基金審査や医師会の各種委員会にも出席して」と書かれているが、私もその実態は知っているので、本当に大変だと思う。「一貧乏勤務医」と最後に書いてあったが、これも真実で、いくら副院長で私の倍忙しくても、私の収入の半分にもならない。
少し前に、京都新聞に国立病院機構宇多野病院の関西てんかんセンターの医師がいなくなり、静岡のてんかんセンターから週に何回か来ているという記事を見た。ここは京大系なので詳しいことは知らないが、ここの部長が最近開業したので、同じような事情が関係しているのかと勝手に想像した。官僚も含めて、滅私奉公だけでは、これからの若い世代には通用しないだろう。地方での産婦人科医や小児科医の不足が話題になり、最近になってやっとその勤務の過酷さが注目されるようになった。特に大学の医局では産婦人科の入局者が1人もいないと聞いて、今の医学生は新しい生命の誕生に医師としての生きがいを見出せないのかと残念に思う。私の世代では使命感に燃えて産婦人科に入局した者が何人もいたが、現在ではお産で何かあればすぐ訴えられ、おまけに過酷な当直を強いられるので、若い世代の医学生には人気ゼロである。ある意味で、勤務医として滅私奉公を強いられる診療科は、小児科も含め避けられている。
開業しても、勝ち組と負け組みに分かれてきている。勤務医の時には、医局の人事でいかに格のある病院に勤めるかが最大の関心事であったが、開業したらこれまでの経歴は全く関係なくなる。立地条件から、病院の雰囲気、ドクターの患者受けなどが重要になってくる。全く縁のない所での落下傘開業でも、立地条件がいいと、すぐに患者さんが大勢やって来る。精神科や心療内科でも、最近はみんな近くの医院に行くので、人口の多い心療内科の空白地帯が最も適している。私が開業している東山区は人口減少と高齢化で、すでに開業している先生からは開業に適さないと言われていた。私が開業した時の東山医師会の入会金は50万円で、伏見医師会は300万円である。これだけ入会金が少ないのは、開業しやすいように敷居を低くしているからである。東山区で開業している小児科医は1人もいなく、歯科の先生も子どもが少ないと嘆いている。すぐ近くの京都第一赤十字病院はまだ建て直したばかりなので、私の生きている代では移転はないだろう。開業してこの5月で丸5年になるが、時々ここでよかったのかと心配になることもある。今ぐらいの規模で充分であるが、後輩などが診療所をどんどんと大きくしていくのを見ると、複雑な気持ちになる時もある。
今日の日記は書くことがなく、無理に頭をしぼって、ようやくここまで書きついた。最近はハングリー精神がなくなって、日常生活もマンネリ化している。京都第一赤十字病院副院長の文章を読んで、名誉はないが、自分の方がよっぽど条件が恵まれているので、もっと頑張らなければと気持ちを新たに引き締めた。
平成18年4月11日(火)
先週の水曜日は、NHK教育TVの中国語会話の再放送の時間がふと気になり、テキストで確認したら朝6時からであった。時計を見ると、もう6時10分を過ぎていた。あわてて、DVDレコーダーに録画しようと思ったが、25分の放送時間で10分を過ぎている。中途半端な感じがして、録画するのはあきらめた。テキストは大分前から買っていたが、第1回分の放送内容を見ると、あいさつの仕方が紹介されている。第1回分は自分で自習して、第2回からは頑張ってTVで勉強しようと思ったが、難しい漢字ばかりでやる気をそぐ。語学は発音の仕方がわからないと、勉強にならない。自分の名前を紹介するのに、漢字を中国語読みで紹介するというのも、何か出鼻を挫かれた感じがした。結局、辛い決断であったが、この4月からの中国語の勉強は早々とリタイアすることにした。来年の4月からは絶対に心を入れ替えて、必死で勉強しようと思う。
3月に書店でNHKの語学のテキストを見ていたら、初めて「アジア語学紀行」という番組をやっているのを知った。今は「旅するタイ語」をTVで放送しているが、その前はベトナム語であった。旅行会話ぐらいなら、この程度の勉強で充分なので、再放送になったらベトナム語に関してはぜひとも録画しようと思う。中国語も旅行会話ぐらいでいいので、3ヶ月ぐらいの簡単な放送をして欲しい。アジア語学紀行では広東語も放送していた。タイ語の次の放送はまだ未定であるが、これからが楽しみである。これだけ、いろいろな国の言葉をTVで勉強できるのは、本当に恵まれていると思う。昔はカンボジア語の本はあったが、発音の仕方がわからず、唯一販売されていたカセット・テープを書店で注文して、手にいれた。値段も高く、自分の自宅で録音したのではないかと思うほど、音も悪かった。今は安い値段で、CD付きのテキストがどこでも売られている。私の勉強の仕方は、旅行会話では、簡単な単語を覚えるぐらいである。せいぜい4泊5日の旅なので、文字も覚えない。数字とハウ・マッチは必須単語であるが、「いい天気ですね」とか「ご兄弟は何人いますか」なんて無視である。タクシーに乗る時にも、「〜まで連れて行って下さい」も必要ないだろう。目的地だけで充分だが、発音だけは気をつけないと通じない。
やっと一時の忙しさから開放されて、ふだんの忙しさに戻った。朝5時起きの癖はついたので、このまま続けて、日曜日には仕事を持ち込まないようにしようと思う。朝6時に医院に出ても、せいぜい1時間半が使えるぐらいで、夜1時間半使うのとあまり変わりない。今週は私の患者さんで、英語圏の大学に戻る人がいた。現地で発病して帰国したが、この4月から大学に復帰することになった。以前に復学可能の診断書を英語で書いたが、公式文書となると、すごく神経を使う。英文診断書の書き方の本も持っているが、薄い本なので正式な復学可能の診断書の書き方は載っていない。今回も、E−メールで向こうの主治医にこれまでの経過や処方内容などを英文で書いたが、なかなか大変であった。ふだんはCNNのTVを見るぐらいなので、英文を読んだり、書いたりすることはない。ただ、聞き流すだけで、知らない単語をたまに調べるぐらいである。
今回の紹介状には間に合わなかったが、思いきって医学用語も付いた英語の翻訳ソフトを買った。3万円ちょっとであったが、なかなか面白い。英語のホームページも十秒ちょっとですべて日本語に変えてくれる。前にも書いたが、今PHS電話付きのPDAであるウィルコムのW−ZERO3のカスタマイズに凝っている。音楽プレイヤーや動画プレイヤーを英文サイトからダウンロードしているが、1度翻訳機能を試してみた。「バッテリーの寿命を救って下さい」はよくわかるが、「最もよい販売はポケットPCのために方法を入力しました」となると、何が何だかよくわからない。和訳は知らない単語を調べるだけで充分で、英訳も補助的に利用したら便利である。翻訳ソフトは英語の不得意な人が使うより、よく知っている人の方が上手に使えそうである。いつも誓いをたててばかりであるが、もう少し英語の読み書きを勉強しようと思う。
平成18年4月4日(火)
この前の日曜日は、息子と2人で久しぶりにUSJに行ってきた。せっかくの春休みなのに、どこにも連れて行けないので、この日は仕事を完全に休むことにした。娘はクラブが休みであったが、友だちと約束をして遊ぶといい、家内も留守番をすることになった。息子は、USJに行くのは去年のゴールデン・ウィーク以来である。私はこの時には、家族とは別居に近い生活をしていたので、行けていない。前回はスパイダーマンが面白かったといっていたので、私も期待していた。天気予報では雨が降るといっていたが、春休みの最後の日曜日なので、それぐらいが丁度いいと思った。
朝7時過ぎに家を車で出て、8時過ぎには到着した。開園時間をインターネットで確認しなかったが、8時半には開門した。長時間待つのはかなわないので、今回はエクスプレス・パスのブックレットを買うことにした。3枚からのセットがあったが、思い切って7枚のセットを買った。大人も子供も関係なく、1人4200円である。高いと見るか安いと見るかは意見が分かれるところであるが、毎日時間に追われている者にとっては、決して高い買い物でなかった。1アトラクションあたり600円であるが、ほとんど待たずに入場できるのは便利である。シュレックは2時間待ちで、上映時間の関係で20分ほどは待ったが、600円は安いと思った。朝方はそれほど混んでいなかったが、1番初めにスパイダーマンを見に行き、すぐにパスを使ってしまったのは失敗であった。最初は20〜30分待てば入場できたので、最初はパスを使わず、午後から混み出したら、パスを使って2回楽しんだらよかった。ジュラシック・パークとジョーズはこの方法を使い、朝方の空いている時に並んで入場し、夕方の混んでいる時にはパスを使って入場した。
朝方はあまり混んでいなかったので、エクスプレス・パスを使ったら、それこそ1時間で7つのアトラクションをすべて見て周れそうであった。私が前回行った時には、最初に子供たちがセサミストリートを見るといったので、入場していきなり2時間待ちであった。今回は着いてすぐパスを使ったので、あっけなくスパイダーマンに入場できた。しかし、まだ寝ぼけまなこで乗車したので、あまり感動もなくあっという間に終わってしまった。次から次へと入場していると、あまり感動も余韻もない。やはりある程度待ちながら、次のアトラクションを楽しみにするのがいい。午後から混み出すと、長い列を目にすぐに入場できるので、ささやかな優越感に浸ることはできる。
1日中2人で乗りまくっていたような気がするが、雨も途中で激しく降ったり、やんだりしていた。ウォーター・ワールドに入場して、最初の前座みたいなのをやっている時に、雨が滝のように降りだした。前座が終わって、みんなが今か今かと待っていたら、ショーは中止である。この時にはジュラシック・パークも中止になっていた。係りの人に聞いたら、雷警報が出ているので、解除にならないと無理らしい。雨はあまり関係ないようである。少し前にサッカーの試合中に落雷を受けて重度の障害を受け、学校と主催者側に賠償責任を求めた最高裁の判決があった。1審も2審も学校と主催者側に責任はないとされたが、最高裁では落雷事故は予見可能と判決が出た。今回の中止は、この判決の影響が出ているのかもしれない。1番最後にまたジュラシック・パークに入場でき、1番前の席に座れ、大満足であった。前回一緒に来た時には息子は怖がって乗らなかったが、今回は夢中である。私はやはりターミネーターが1番好きである。最後に娘と家内にお土産を買い、息子は学校の友達と塾の友達にも買っていた。スヌーピーの下敷きまで買っていたので、女の子もいるのか。これから1年間は中学受験の勉強があるので、おそらく最後の遠出である。家内はお小遣いはいくらまでときちんとしているが、私は遊んでやる時間も少ないので、ついつい太っ腹になって、何でも買ってやってしまう。2人だけで、こんなに長い時間を過ごしたことは初めである。池田の妹の所は、この春休みに父親と息子でトルコまで遊びに行っている。中学生になって、家族4人がそろわない時には、2人でまたどこか海外に行こうと思う。
月曜日からは相変わらず忙しかった。日曜日にできなかった仕事が山積みで、朝はずっと5時起きである。介護認定の審査のやり方が変わり、前もって読んでおく書類がただでさえ時間がかかるのに、もっと時間がかかるようになった。きのうはNHKの教育TVで中国語の講座が始まったが、ばたばたしていて、DVDレコーダーに録画するのを忘れてしまった。水曜日に再放送があるので、今度こそは忘れないよう予約しておこうと思う。でも、こんなに忙しくて、本当に中国語を勉強できるのか自分でも疑わしくなってきた。よっぽど何か強い動機付けがないと無理である。夜総会かどこかで、中国美人でも見つけない限り、不可能のような気もしてきた。
平成18年3月28日(火)
先週の土曜日は、娘のクラブの発表会を見に行った。中学生のクラブは吹奏楽部から合唱部までいろいろあるが、ダンス部である。ダンスといっても、社交ダンスではなく、モダン・ダンスである。高校の部は全国大会でも優勝したらしく、中学・高校の合同発表会である。毎年やっているわけではなく、いろいろな大会で入賞したりしているので、今回のような会を設けたらしい。プログラムの本を読んでいたら、最後の方に私の同級生のF女医と医師会理事で後輩のN先生の医院の広告が載っていた。ここに私の医院の広告を載せたら、娘はいやがるだろう。会場に着くと、広いホールにいっぱいの人が来ていた。同級生と思われる生徒も多かった。私は時間ぎりぎりに行ったが、うまいこといい席に座れた。家内は朝から会場の準備の手伝いに行っているので、私1人である。ビデオを持って行って撮影したかったが、会場内は写真も含めてすべて撮影禁止である。
予め娘が出るプログラムをチェックしていたが、一時に大勢が出てくると、みんな同じ衣装で同じ髪型をしているので、誰が誰だかわからない。私は強度の近視で、コンタクトをしていても遠くはよく見えない。双眼鏡を持っていったが、舞台で動き回っていると、追いかけるのが大変である。結局中学生の部と最後の自己紹介の部でなんとか娘を確認できた。双眼鏡で覗くと、舞台の上で踊り子のような衣装で、やや強めの化粧をしていた。踊っている時には、私には見せてくれたことのない天使のような笑顔をふりまいていた。自分の娘ながら、将来は美人になると思った。高校生の部も面白かった。音楽も私好みで、すべて私の趣味と一致していた。これが日本舞踊だったり、ブラスバンドの演奏だったりしたら、途中であきてしまっただろう。娘の成長に伴って、幼稚園のお遊戯の発表会から、運動会といろいろ見ている。今回はまだ本の端役であるが、こんな大きな舞台でみんなの拍手に包まれて、幸せだと思った。
前にも書いたが、クラブの練習は正月明け4日から始まり、土日も毎週あり、朝早くからいつも帰ってくるのが夜6時過ぎである。ここまで練習していたら、身も心もダンス漬けになると思うが、日常の立ち振る舞いはまだダンス的でない。ただ、朝から晩まで自分の身体と対話していたら、日常のさりげない動作の中に、美しい身の振る舞いやしぐさに気付いていくかもしれない。まだ言葉の表現と、身体の表現の違いを自覚していないかもしれないが、言葉にならない感情を身体で表現できるようになれば、身体感覚を通じた感情が豊かになるかもしれない。今回ダンスの発表会を見ていて、ふだんあまり考えたことのない、身体を使った自己表現についていろいろ思いをめぐらした。言葉の限界や身体の限界、言葉と身体の対立、身体表現とエロスなど考え出したらきりがない。ここまで徹底的に練習したら、そのうち娘にも身体を通じた新しい世界が開けてくるだろう。夏休みも冬休みも家族でどこにも行けないが、娘のいきいきとしたダンスを見ていたら、このまま頑張って続けて欲しいと思った。
日曜日は年に1度の東山医師会の総会があった。年度会計の報告などが中心になり、内容としてはあまり面白くない。これからは京都市から委託されている市民検診が縮小されていくので、収入が減り、緊縮予算となっている。秋の集いを簡単な納涼会にするなど、医師会にも不況の波が及んでいる。その後の懇親会で、あまり知らない女医さんと一緒になった。私より卒業年度が5年下であるが、開業して形成外科を手広くやっている。前に眼瞼下垂の手術をしていると聞いていたが、眼瞼下垂といったら重症筋無力症ぐらいしか思い浮かばず、あまり関心はなかった。ところがよく聞いてみると、コンタクト・レンズをしている人に眼瞼下垂が多いという。コンタクト・レンズをはずす時にまぶたを横に引っ張るので、まぶたが垂れ下がってきて、手術をする人で予約が数ヶ月先までいっぱいだという。そういえば、最近まぶたにしわが寄ってきたが、年のせいばかりでなく、眼瞼下垂なのか? コンタクト・レンズをはずす時には、スポイトを使うといいと言われた。このことは眼科の専門医でもあまり知られていないという。眼瞼下垂で、不定愁訴(あちこちの身体の不調の訴え)の人が手術してよくなることも多いという。他にレーザー治療もしており、よく海外に講演に行くという。私の全く知らない世界で医者をしている人もおり、すごく勉強になった。娘さんがフィギュア・スケートをしているというので、ぜひとも世界の荒川を目指して欲しい。
平成18年3月21日(火)
先週の木曜日に他府県の労働局から頼まれていた裁判所に提出する意見書をなんとか書き上げた。本当は火曜日が締め切りであったが、時間がなくてどうしても書ききれなかった。日曜日から書き始めて5日間であったが、久しぶりに全知全能を使った。このケースは、旧労働省から出た精神障害の労災の認定の仕方と事例について書いた本にも載っている。労働局が労災として認めないとして判定した後、民事裁判で事業主に対する損害賠償の一部が認められ、再び労災認定を求めた裁判である。過酷な労働条件の中で、被災者の方は大変な思いをしたことはよくわかるが、冷静に判断して、労災として認めるのは難しいと思った。しかし、当時提出された意見書や裁判の資料を読んでみると、労働局が本来認めてはいけない所を認め、争ってはいけない所で争っている。原告側についた医師の意見書を読むと、この部分を理路整然と容赦なく批判している。国側が認めた部分を否定する意見書を出してもいいのかと聞いたら、これまで裁判でもずっと認めてきた所を手の平を返したように否定するのはまずいらしい。そうなると、争ってはいけない所で、原告側についた医師の意見書の内容を覆さなければならない。
この前の日記にも書いたが、他府県の裁判のケースが私の所に来たのは、知り合いの医師と裁判で争いたくないためと思った。しかし、詳しく内容を見てみると、誰も引き受け手がなかったのではないかと思うようになってきた。国側に沿った意見書を書くにしても、こじつけのような内容にしたくない。意見書の最後には署名をして、それこそ裁判で証言をしなければならない。膨大な資料の山を読めば読むほど、原告側の医師の意見書に反論できそうもない。「白い巨塔」の裁判シーンを思い出して、冷や汗が出てきた。最初の部分で労災として認めることはできないとしたらよかったのに、最後の部分で認めることはできないとしているので、絶体絶命である。
家にはニンテンドーDSの「脳を鍛える大人のDSトレーニング」があるが、どの問題にもあらかじめ答えが用意されている。しかし、この裁判に関しては、全く反論の余地はないかもしれない。全部でA4用紙5枚にびっしりと書いたが、医学論文を書いていた頃を久しぶりに思い出した。朝から晩までどう相手の意見書に反論したらいいか考え続けていた。私は今回は国側に立って、労働者側の敵になるが、悪代官様に仕える悪徳医師ではない。被災者の方には気の毒であるが、労災と認めるにはやはり無理がある。
結局、完璧と思われる相手側の反論に対して、こちら側も完璧と思われる反論を考えついた。へ理屈ではなく、これ以上相手側も理論立てて、自分たちの主張を押し通すことは無理である。こんなことを書いて、またどこかひっくり返される落とし穴があるかもしれないが、まず大丈夫であろう。この5日間は脳を鍛えるどころか、脳をふり絞って、私の持てる能力をすべて使い果たした。全部書き終えて、今は長いこと味わったことのない達成感にひたっている。自慢話のように聞こえるかもしれないが、今回は許してほしいと思う。一歩間違えたら、私が裁判で大恥をかくことになるので、こちらも必死である。後は、裁判の日に備えて減量し、相手に負けないように身体を鍛えるだけである。毎日腕立て伏せを100回し、10kmは走ろうと思う。
連休の間は休診にして蒸発していたので、ホームページの更新が遅れてしまった。原稿は新しく買ったウィルコムの携帯電話付きPDAのW−ZERO3で書いていたが、夜中に医院まで戻ってきて更新する元気がなかった。火曜日更新は絶対厳守なので、今回だけはご容赦願います。
平成18年3月14日(火)
先週の火曜日は映画「ホテル・ルワンダ」を見に行った。午後6時半からの上映であったが、大勢の人が見に来ていた。アフリカの小国ルワンダで起きた民族対立による虐殺を取り上げた映画で、私が詳しく知ったのは、「ジェノサイドの丘」という本が出版された時であった。雑誌の書評を読んで、当時買うかどうか迷ったが、上下2冊もあるのであきらめた。しかし、この映画を見て、早速アマゾンで注文した。国連の平和維持軍が撤退し、80万人の住民が皆殺しにされていく中、ホテルに避難してきた1200人の住民をかくまう物語である。先週製薬会社の勉強会で来ていた先生が、このルワンダの難民キャンプに医療チームのボランテイアとして参加していた。
最近もの覚えが悪くなっている。映画を見る時に、ツチ族とフツ族の区別を意識的にしておかないと、どちらがツチ族でどちらがフツ族か混乱してくる。イラクでもそうであるが、フセイン政権時代はスンニー派とシーア派はそれなりに融和して住んでいたが、一旦宗派対立が起こるとお互いに殺しあうようになる。ルワンダのツチ族とフツ族も互いの民族同士で結婚もするほど協調して暮らしていたが、民族対立が表面化して、フツ族の民兵がツチ族の住民を無差別に殺戮していった。次のもんもん読書録ではぜひともこの「ジェノサイドの丘」を取り上げようと思う。欧米諸国がほとんど無視していたこのアフリカの小国の虐殺をこうして本にしたり、映画にする人がいるということはまだまだ世界は捨てたものでないと思う。
雇用保険の離職者証明の手続きを終え、障害者自立支援法のややこしい書類もすべて書き終え、やっと一息つけると思って映画を見に行ったが、まだ最後に他府県から頼まれている労災の裁判の意見書が残っている。障害者自立支援法については、デイ・ケアをやっていない診療所で、250人の診断書を含めたすべての手続きを事務員にやらせた強者の医者もいれば、1人で300人ほどの書類をすべて自分1人で書いた医者もいる。私の医院は事務員が家庭の都合でやめたばかりで、院外薬局の住所の書き込みから患者さんへの封筒の宛名書きまですべて私がした。パート事務員の募集の時に求人誌に高い時給で出したら、あまり反応がよくなかった。応募してきた人に聞いたら、時給がよすぎるのは、仕事が忙しすぎるとか何か裏があるように思われるらしい。私の医院ではそれほど患者さんが多いわけでないので、医療事務の仕事は1人でもやっていけるぐらいである。仕事内容も、すべて院外処方で、検査もめったにないので、難しい保険請求もなく、ほとんどワン・パターンである。患者さんの診察の間は私は大変であるが、事務の人はその間時間的余裕がある。実際に新患の患者さんが来たら、1人30分以上かかる。電話についてもすべて私が出ているので、無用な気を使うこともない。2人雇っているのは、病気などで休んだりした時のためと、お互いに有給休暇が取れるようにするためである。パートの人でも交代で有給休暇が取れるのは、1人でも充分こなせる仕事量だからである。患者さんの中には医療事務をしている人もいるが、話を聞いていると、超ワンマン院長も多い。私はあまりあれこれ言わず、自分でどんどんやってしまうタイプである。
1ヶ月以上朝5時に起きて、6時には診療所に着き、日曜日もほとんど朝から晩まで仕事をしていたが、労災の裁判の意見書さえ書いたら、後はゆっくりとできそうである。今は確定申告の書類を出しに行く暇もなく、今年は最後の15日になりそうである。日曜日に初めてぶ厚い書類を取り出して読み出したが、なかなか大変である。他府県の事案がどうして私の所にまわって来たのかというと、原告側について意見書を出している先生との絡みもあるらしい。私も知り合いの先生や自分の先輩の先生とはなるべく裁判では争いたくない。池田小学校殺傷事件で、宅間守被告の精神鑑定が、地元の精神科医ではなく、京大と府立医大の精神科医にまわって来たことを思い出した。この時には、阪大の医者の子供がたくさん池田小学校に通っていて、知り合いの子供が被害にあったりしているので、地元の精神科医は避けたと聞いている。私の立場は労働局側にたち、労災とは認めないという意見書を書かなければならない。しかし、これまでの裁判の資料などを読んでいくと、一筋縄では行きそうもない。1ヶ月以上前にもらっていた資料であるが、やはりいくら日曜日に朝から晩までやっても1日では無理である。月曜の朝は、午後からある労災判定会議の5件の事案の資料を読んでいたが、最近出てくる事案は判定の難しいケースが多くなってきている。今朝はこの裁判の意見書を書いていたが、なかなか終わりそうにない。午後から京都市こころの健康増進センターに行き、3時間ほど障害者自立支援法の書類審査をしなければならない。その後で、また裁判の意見書である。明日からは5時起きにならないように、なんとか今日中に仕上げようと思っている。
平成18年3月7日(火)
この前の土曜日はある製薬会社の勉強会がホテルであった。私を含め、3人の開業医でやったが、自分の症例の原稿を用意しなければならず、けっこう面倒臭かった。半年ぐらい前に、3人で集まって情報交換会を兼ねた飲み食いをするという話が、いつのまにか大げさになってしまい、製薬会社からは学術部の者まで出てきていた。気楽な集まりと思っていたが、全然気楽な集まりでなかった。自腹を切って好きな所で3人でわいわいやっていた方がよかったような気もする。ホテルでの会食が続いているが、最近つくづく洋食があわないと思うようになってきた。まさか、胃がんにでもなっていて、しつこい料理が食べれなくなってきているわけではないと思うが、すっかり和食党になっている。残りの2人は私の後輩であったが、注がれる酒を飲んでいるうちにお互いに酔っ払ってしまった。話題が公務員の給料のことに及び、侃々諤々の討論をしてしまった。私は、安い給料で滅私奉公で頑張っている人もいるというと、どうもみんなの評判はよくないようである。このホームページでも官僚のトップの事務次官の給料が安いと書いたが、みんなの反発を呼ぶようである。庶民感覚からすると、かけ離れた高級取りかもしれない。しかし、その事務次官より稼いでいる医者が、公務員は恵まれていると非難するのもおかしな感じがする。もちろん、防衛庁の談合事件など不正に対しては徹底的に糾弾したらいい。
4月からの診療報酬の改正が決まる前に、どこかの官僚が医者は公務員と変わりないと発言して、猛反発をくらっていた。どういうことかというと、医者の収入はほとんどが国民から集めた保険料と国からの援助で成り立っているから、税金とかわりないというわけである。もちろん、公共事業をしているゼネコンの社員は公務員かという反論もある。高齢化社会を迎え、国の医療費が増大する中で、医療費をなんとか抑えていかなければならない。開業して皆が皆成功しているわけではないが、少なくとも、事務次官より収入の多い人が、公務員は恵まれすぎていると発言する資格はないと思う。自分の方がよっぽど恵まれている。前にも書いたように、事務次官より給料を稼いでいる人は世の中には沢山いる。しかし、自分で事業などを起こして稼いでいる人と医者では全く違う。医者は窓口で患者さんから医療費の1割とか3割を徴収しているが、残りの収入はすべて公費である。増大する国の医療費を抑えるには、医者の収入を抑えろという議論が出てきても不思議ではない。ここを理解せず、公務員は恵まれすぎていると自分だけが庶民の味方みたいな言い方をするのは、一種の偽善である。私も酔っ払っていたのでここまで言ってしまい、後輩と大ゲンカ寸前まで行った。会を催した製薬会社の人ははらはらと見守っていた。製薬会社の人は今回の集まりを将来は大きな研究会に発展させたいようであったが、私としては後は2人の後輩に任せたい。
帰ってきてからも、興奮して眠れなかった。公務員でも楽な仕事ばかりの人もいるので、民間から比べたら確かにそういう人は恵まれていると思う。しかし、朝から晩まで滅私奉公で仕事をしている人も少なくない。楽な仕事をしている人と必死で頑張っている人に給与の差がそう出るわけでない。どんなに優秀な人でも、公務員の給与体系の枠組みでしか収入を得ることができない。公務員の味方をするわけでないが、国、京都府、京都市には優秀な人材は残って欲しいと思う。庶民感覚とはかけ離れて、残業手当もなく死ぬのではないかと思うほど働いている人は大勢いる。特に今は国も自治体も赤字で、莫大な借金の残務整理みたいなことばかりさせられ、仕事内容としては決して魅力的でない。「公務員は首にならないから」という程度の志望動機の人ばかりに国や自治体の運営を任せていくことはできない。本当に優秀な人は、超一流企業の就職も選択は可能であるし、実際に優秀な若い人は今はどんどんとそちらに流れていくという。公務員ではないが、私も日赤の時には滅私奉公で仕事をしていたし、今でも数多くの先生が残って頑張っている。
日曜日の朝は寝不足のまま、息子と「ナルニア国物語」を久御山のイオン・シネマまで見に行った。今はインターネットで席まで選べるので、便利である。内容は初めはたいくつな部分もあったが、段々と面白くなってきた。息子がハリーポッターより面白かったと言っていたが、私もそう思った。ただ、この年になると、いろいろなファンタジーの仕かけを知りつくしているで、物語としてそれほど新鮮さがあったわけでない。1話が完全に完結していて、この映画が大ヒットしたら、また次作が作られるのだろう。しかし、ハリーポッターより知名度が低いので、よほど大ヒットしなければ、このまま1作で終わってしまう可能性もある。ハリーポッターはシリーズごとに主人公達がどんどんと年を取っていったが、まだそれほど違和感はない。「ナルニア国物語」で出てきた4人兄弟の1番下の女の子は4〜5歳で、幼い女の子独特のかわいらしさが作品の魅力になっていた。シリーズになったらすぐに成長してしまうので、一体どうするのだろうと余計な心配もしてしまった。
平成18年2月28日(火)
先週の土曜日はある精神科病院の集まりがあった。京都第一赤十字病院のような大きな病院は診療所や病院とのスムーズな連携を図るため、講演会や懇親会を催している。勉強会を開いている病院はあるが、病診連携の集まりは精神科病院では初めてであった。開業医にとっては、入院の必要な患者さんをすぐ診てくれる病院は大事である。反対に、病院にとっても入院患者さんを紹介してくれる開業医は多ければ多いほどいい。
最近、立て続けに入院を頼まなければならない患者さんが続いた。どこの精神科病院もこちらの都合のいいようにいつも部屋をあけて待っているわけでないので、部屋がないと紹介する病院を探すのに苦労する。この前は、待合室にいた患者さんが逃げ帰るぐらい、激しい興奮状態の患者さんがいた。まれではあるが、長いことうつ病として診ていた患者さんが、突然躁状態となることがある。小さな医院なので、患者さんが躁状態になると、大騒ぎとなって対処が難しい。なんとかこの病院に頼んで入院させてもらったが、もしすぐ入院させる所が見つからなかったら家族も医院も大変である。
別の患者さんから、調子が悪いので、○○病院に紹介してくれと頼まれたが、紹介するのが難しい病院もある。患者さんからみたら、どこの病院も変わりないように見えるが、医者によって目に見えない病院のテリトリーがある。よく知っている病院には頼みやすいが、あまり知らない病院は頼みにくい。知らない病院でももちろん紹介状は書くが、無理のきく病院のように、前もって部屋をあけてもらうことはできにくい。目に見えないテリトリーというのは、精神科病院では出身大学の系列の病院かどうかも関係してくる。地域によってそこにしか病院がなければ出身大学はあまり関係なくなるかもしれないが、かなり無理を頼む場合には、どうしても出身大学の系列病院になってしまう。京都では京大系と府立医大系とその他がある。その他というのは、息子の代になって出身大学が変わったりする場合である。患者さんが望む場合には京大病院にも紹介状を書くが、専門的な治療を求めて紹介するわけでないので、あまり気は進まない。京大病院に限らず、時々大学病院に入院したいという患者さんがいるが、どこの大学病院も自分の外来の患者さんで病棟はいっぱいである。専門的な入院治療を求めるのでなければ、普通は一般の精神科病院に紹介する。例えば、風邪がこじれて入院したいという場合、わざわざ大学病院に紹介する内科医はいないのと同じである。どこの科でも同じだと思うが、自分の専門以外の科については、それほど系列病院にはこだわらない。
1番困るのは、無理のきく関連病院でも紹介できない患者さんである。もんもん質問箱にも書いているが、主に薬物関係の患者さんと境界性人格障害の患者さんは断られることが多い。もちろん自ら入院を希望して、薬を断ちたいという患者さんは別である。境界性人格障害の患者さんは、入院したからといって治療効果はあがりにくい。一般の人は何かあったら精神科病院に入院させたらいいと考えるが、そう簡単ではない。前にも書いたが、京都第一赤十字病院で私が診ていた患者さんが救急で受診してきた。病棟を廻っていて少し遅れて行ったが、待合室で手首を切っていた。すぐに外科の先生が来て縫合したが、カッターナイフを看護婦さんが取り上げたと言って暴れ、なだめるのに苦労した。やっと帰ったと思ったら、また外で縫合した所をカッターナイフで切り裂いていた。この患者さんが自宅で枕に火をつけたことがある。私は病院の会議に出席している時であったが、家族から電話があり、何とかして欲しいと必死に頼まれた。家族が本当に困っているのはよくわかったが、警察も帰った後で、どうしようもなかった。私が開業してからであるが、別の機会に保健所の相談員と連携し、私が往診してなんとか措置入院にした。措置入院になると、京都市が入院先を探し、病院も要請を受けると入院を受け入れてくれる。もちろん、入院したからといって、患者さんの症状がそれほど改善するわけでない。退院してからは、「どうして入院させたのか」と受け入れてくれた病院の主治医や看護婦さんに執拗にいやがらせの電話をしていた。
精神科病院との懇談会はよかった。同じ大学系統といっても、紹介状の返事に書いてある若い先生の名前と顔が一致しない。いつもお世話になっている先生と飲み食いしながらコミュニケーションができて、有意義であった。精神科は精神保健指定医だけでなく、専門医制度もできたので、資格を取るにはいろいろな患者さんのレポートが必要である。これからは、多少難しい患者さんでも、勉強のためにもう少し入院させてもらえたらと期待している。
平成18年2月21日(火)
この前の土曜日は夕方から精神科医会の講演会があった。今回の演題は「香りの精神科医療における応用」で、講演者はある大学の助教授であった。最近はアロマセラピーが話題になっているが、音楽セラピーのように、ある程度のリラックス効果はあると思っていた。人によっては香りなんかよりも、自分好みのアダルトビデオを見ている方が、ストレスの解消になるという人もいるかもしれない。しかし、あえてアダルトビデオセラピーとは言わないので、香りについてもそれほど深い興味はなかった。
話の内容としては、いろいろなハーブなどの香料を患者さんに使用し、医学的にその効果を検証していた。香料の名前は忘れてしまったが、不眠や初期のうつ病にも効果があるという。初めて総括的に香りについて聞けて、有意義であった。ただ、この程度の効果のあるものは、他にもあるような気がした。うろ覚えで申し訳ないが、以前にドイツかどこかで、男性患者さんを2つの群に分け、1つの群では毎朝女性の裸の胸の写真を見せ、もう1つの群では何も見せずに経過観察をしたら、女性の裸の胸の写真を毎日見せていた群は何も見せなかった群より何かの病気(忘れてまった)のリスクが減ったという結果が出ていた。笑うと免疫力が高まるというのと同じで、この種の実験とあまり変わりないような気もした。ただ、香りにも欠点があって、すぐに慣れてしまうので、効果が乏しくなるという。最後にこのことを聞いて、妙に一安心もした。自分の無知で、効果的な治療法を見逃していたら、医者としては失格である。そんな魔法のような方法ではなく、あくまでも補助的な手段のようである。
講演会が終わった後は、立食パーティで懇親会である。日曜日には障害者自立支援法の書類を書かなければならないので、あまり飲まないように気をつけた。私の医院には京都市と京都府の患者さんばかりでなく、大阪市と兵庫県の患者さんがいる。それぞれ書類の様式が異なり、大阪市では医療機関コードまで書かなければならず、兵庫県では精神保健指定医の証のコピーか医師の略歴がいる。それぞれぶ厚い書類が送られて来ていて、いちいち内容を確認しなければならないので、面倒である。京都市の締め切りは3月10日までであるが、兵庫県は2月28日である。たまたま兵庫県の患者さんが今入院していて、伸ばし伸ばしにしていたが、もう残り時間が少ない。
二次会には行かなかったが、他の先生と話をしているうちに、ついついビールと水割りを沢山飲んでしまった。年齢のいっている先生が娘が口をきいてくれないと嘆いていれば、どこどこの先生は家族と別居しているなど耳にした。以前に私の同級生のF女医から、このホームページについて過激すぎると言われたことがある。若い患者さんからも家族のプライバシーを書き過ぎとも言われた。私としては、あたりさわりのない内容より、より本音に近い内容にしたいと思っている。人生というのは、それほどきれい事ではすまされず、それぞれがいろいろな悩み事を抱えながら生きている。今や皇室でもいろいろ言われる時代である。腹のたつことは多少あるかもしれないが、愛妻家であることは変わりないし、2人の子どもも愛している。数あるホームページの中で、医者の本音に近い日記があってもいいと思っている。ふだん酒の席で語られるようなことでも、興味のある話題はこれからもどんどんと取り入れていこうと思う。
日曜日は午後から京都国際交流会館で、外国人のためのカウンセリング・デイがあった。母国語ではなかったが、1人英語で相談を受けた。残った時間は月曜日にある労災の審査の書類を読んでいた。今回は4件出ていて、内容的には難しいケースばかりであった。仕事内容も厳しいものばかりである。香りもストレスの軽減に役立つかもしれないが、毎日仕事に追われている人にとってはそんなことよりも、もっと睡眠が欲しいだろう。時間に余裕のある人だけが、アロマセラピーやヨガ教室に通って、ますます元気になっているような気がした。
平成18年2月14日(火)
先週の木曜日は京都市こころの健康増進センターに審査のために行ってきた。障害者自立支援法が4月から施行されるため、京都市では現在外来で公費負担を受けている1万7千人の患者さんをこれから審査して切り替えていかなければならない。病院や診療所でも、有効期限が1年になるので、半分ぐらいの人は新たに診断書を書き直さなければならない。私の診療所では公費負担を受けている患者さんは100人以上いる。3月10日までにすべての書類を整えて提出しなければならないが、気の遠くなるような作業である。
とりあえずは、土曜と日曜に朝から晩まで書類を書き続けたが、書いても書いてもまだ山のように残っている。診療所が用意する書類はなんとか書けても、患者さんが用意する書類は煩雑で、結局1から10までこちらが代行して書かなければならない。早速月曜の朝から問い合わせの電話がたくさんあった。外来でも、ひとつひとつ書く所を説明していたら、これだけでかなりの時間を取られてしまう。本当に間に合うのか、心配になってきた。少し前に、他府県の労働局の人が来て、裁判沙汰になっている労災の件について相談があった。難しいケースで、裁判所に提出する意見書を書いて欲しいということであった。場合によっては、東京まで行って裁判で意見陳述をしなければならない。断りきれず引き受けてしまったが、この意見書も3月前半ぐらいまでに書かなければならない。ぶ厚い資料はそのまま放ってあるが、今は介護保険の審査のような目の前の小さな雑用でもストレスになっている。金曜日には保健所で患者さんに障害者自立支援法について説明しなければならないが、わかりやすい簡単な資料を作っている暇がない。きのうは他の特別養護老人ホームから定期的に診察に来て欲しいと依頼があったが、いくらなんでも無理なので、これは断った。
あまり忙しいと書いても、読んでいる方は少しも面白くないので話題を変える。きのうは午後から府医師会で医療安全対策委員会があった。2月24日(土)の午後2時から、京都テルサで府医師会主催の医療安全シンポジウムが開かれる。テーマは「患者の言い分、医者の言い分」で、同志社大学の心理学科教授の講演の後、20分ほどの寸劇がある。患者と医者のコミュニケーションという題名で、話の内容はプロの作家が作り、それをプロの役者が演じる。その内容を検討するために、ふだん会議で使われている部屋の机が端に寄せられ、大きなスペースが作られた。私の席が1番前で、3人の役者さんたちにその場で演じてもらった。さすがに照明はないが、バックミュージックも流れ、大体の内容はよくわかった。数十センチと離れていない場所で、大きな声で寸劇をされ、最初は少し途惑った。役者さん達も会議室でいかつい顔をした沢山の医者のすぐ目の前で演じなければならず、やりにくかったと思う。
寸劇の内容は患者と医者のやり取りを面白おかしく表現したものであった。くだけた内容であったが、年齢のいった委員の先生は言葉遣いなども含めてもっと真面目な内容にして欲しかったようである。パロディでやっているのであるが、正直言って私はあまり笑えなかった。もともと屈折したシニカルな笑いが好きなので、仕方ないかもしれない。みんな無難な笑いを求めていて、現代風の若者言葉などには嫌悪感を示す先生もいた。私を含め多分多くの医者は、TVでやっているようなバラエティ番組の多くはくだらない番組として退けてしまっているのだろう。その日常の感覚のまま、この寸劇を非難してもまずいかもしれない。TVでもどうしてこれが面白いのかわからないことが多いが、案外一般受けしていたりする。多くの患者さんを対象にしたシンポジウムなので、これはこれでいいのかと思った。他の先生の意見にもあったが、後の討論で話をひき締めたらいい。
なんとか今日はここまで書けた。1度にやることが重なると、せっかく朝5時に起きて6時に医院に出てきても、この日記を書くだけで診察までの時間がつぶれてしまう。こういう時には今までで1番忙しかった時のことを思い出すようにしている。「あの時から比べたらまだましだ」と自分に言い聞かせているが、「あの時はまだ若かったから」という声が聞こえてこないわけでもない。
平成18年2月7日(火)
先週の土曜日は京都精神病院協会の講演会があった。この講演会は医師ばかりでなく、各精神病院の看護師などの人たちも大勢参加し、主に病院関係者の一大交流の場となっている。開業している先生も沢山参加していた。ゲストの講師の先生はある大学の助教授で、テーマは自殺であった。前にも書いたが、私は高知市桂浜にある浦戸大橋からの投身者68名を調べて論文にしたことがある。話の内容は、最近のデータを除いてほとんど知っていることばかりであった。講演を聞いていて興味深かったのは、自殺の動機について詳しく調査しようと思っても、今は個人情報保護法があるので、簡単には調査できないという。自殺の遺体を検案をする東京監察院に問い合わせても、自分の同じ大学関係の患者さんでもなかなか情報を提供してもらえない。ましてや、残された家族の人から直接話を聞くのは至難の技である。
私の場合は、警察の調書や海上保安部の人身事故調査票と海難事故調査票の提供を受けた。生存者6名については収容先の病院にもあたり、その後の転機についても調査した。精神病院に入退院している人についても、詳しい情報を得ることができた。もう詳しいことは忘れてしまったが、発見された死体の場所によって、管轄が警察と海上保安部に分かれる。警察の調書は詳しく、海上保安部の調書は簡単すぎていいかげんな感じであった。自殺か他殺かを調べるために、不倫をしていた人や愛人にしていた人について自殺の動機ばかりでなく、他殺の可能性についてもしつこいほど調べられていた。もう17年前の話であるが、当時は私がお世話になっていた病院の院長が地元の警察署で精神鑑定をしており、詳しい情報の提供を受けることができた。今ではいくら自殺防止のための学術調査といっても、個人情報保護法に守られて、こんな大規模な調査はできないであろう。
参加者は150名を越えていたが、この講演会の目玉はその後の懇親会で、立食パーティではなく、本格的なホテルのコース料理が運ばれてくる。ふだんは病院の仕事と家の事で忙しいパラメディカルの人たちにとっては、人気があるだろう。今回はいつもと違ってテーブルが指定され、周りは開業医の先生ばかりであった。話題は、4月から障害者自立支援法に変わるので、その煩雑な手続きについてであった。3月までに現在公費負担を受けている患者さんの半分以上の診断書を新たに書き直さなければならない。今まで1ヶ月分を書くのにも、日曜の朝から出てきて書いていたが、今までの12ヶ月分を残されたわずかな間に書かなければならない。(これまで、2年間に1回更新していたので、その半分は1年分となる) デイ・ケアを大規模にやっている診療所の先生が、従業員がパートも含め60人もいると言っていたので驚いた。しかし、これだけ人数がいると、細かい事務手続きなどは従業員に任せられるような気もする。私のような小さな診療所では人件費は少なくて済むが、細かい雑用は私が全部やらなければならない。求人広告も所定の書類にすべて書き込み、離職証明書の賃金支払状況も、細かい数字を何年にも渡って毎月書き込み、その後で何回もハローワークまで行かなければならない。賃金明細から税理士に送る領収書の整理やあちこちの支払いまで、雑用は山ほどあり、医院の外の掃除まで私がやっている。患者さんが困った時にはいつでも電話に出れるようにすべての電話は私が取っているが、これは私のポリシーなので仕方ない。
講演会が終わった後で、同級生の立命館大学のT教授と医師会の理事をしている後輩のN先生と飲みに行った。私はワインはよくわからないが、2人とも好きなので、ワインを何本も開けて飲んだ。浪人していた時の話から、官僚の話まで議論が白熱した。私も久しぶりに酔っぱらってしまって何を話したかあまり覚えていない。官僚の批判も出ていたが、官僚のトップである事務次官の冬のボーナスが300万円ちょっとでは少なすぎると思う。中小企業の社長でも、大事な日本の針路を決める行政のトップより稼いでいる人は多い。官僚の批判すべき所は批判したらいいが、税金で食わせているので、滅私奉公で働けというのはまずいと思う。優秀な人が民間に流れてもいいという人もいるが、本当に優秀な人は国に残るべきである。家についたら夜中の2時過ぎで、翌日は二日酔いで仕事にならなかった。夕方4時過ぎから、やっと必要な書類だけ書いたが、やらなければならないことが山ほど残った。最近は毎朝5時に起きて、医院には6時に出ているが、次の連休も2日とも朝5時起きになりそうである。私は夜型であるが、毎日患者さんの診察後は疲れきって何もできないので、早寝早起きをせざるをえない。
平成18年1月31日(火)
この前の木曜日はある製薬会社主催の講演会があった。社会性不安障害(いわゆる対人恐怖)の話であったが、専門医にとってはほとんど知っていることばかりで、話の内容はもうひとつであった。講演会の後は情報交換会と言われる立食パーティがある。久しぶりに私の同級生であるF女医と話をすることができた。前にも書いたが、F女医は純粋な内科系出身の心療内科医であるが、実際に診ている患者さんは統合失調症の患者さんを除いて、精神科出身の私が診ている患者さんとそう変わりがない。以前にこの先生が診ていた患者さんが私の医院を受診してきたが、かなり大変な患者さんで、長いこと頑張って診ていたので驚いたことがある。
心療内科は内科系出身の先生と精神科出身の先生がいるが、大量服薬や自傷を繰り返し、暴力的な患者さんは内科系の先生は苦手である。私も得意ではないが、それでもこれまでにたくさんの患者さんを診ている。1人で開業している女医さんは、暴力的な男性の患者さんが来たら大変だと思う。スタッフも女の人が多く、なかなか対応できないかもしれない。女医さんの場合は、新患の患者さんは予約制で診ている所が多いが、それでも大変な患者さんがまぎれ込んで来る。私はプロなのでどんな患者さんでも診るが、他の患者さんに迷惑がかかるような患者さんだけは避けたい。
女医さんの場合は、女性の患者さんの駆け込み寺みたいになるかもしれない。ある医学雑誌で、虐待を受けた女性の患者さんだけを朝から晩まで診ていた先生が、ある日突然診察室で立てなくなりそのまま入院になったと書いてあった。性的虐待を含め、患者さんがそれまで誰にも話したことのなかった辛い体験を毎日聞き続けていて、自分でも気付かないうちに無理をしてしまったのだろう。だから、暴力的でないというだけで、簡単な患者さんばかりというわけではない。F女医は男性の患者さんも診ているが、本当に深い部分では同性とは違って、わかりにくい部分もあると言う。私は治療していて、女性の患者さんの深い部分がわかりにくいとあまり意識したことはない。もしかしたら、勝手にわかったつもりになっているかもしれない。しかし、浮気したり、女性を捨てたりする男性の気持ちや心理状態はよくわかる。(私が共感しているということではなく、男性として理解できるということである) 女性の患者さんが彼の気持ちがよくわからないと言っても、同性としては手に取るようにわかる時もある。もっとも、誰でもそうであるが、異性に夢中になっている時には一挙一動が気になり、かえって相手の気持ちが冷静に判断できなくなってしまう。
家内とはどんなに忙しくても、毎週1回は2人で京都駅付近に昼食を食べに行き、子どもたちのことや日常の出来事を話したりしている。娘もだいぶ変わってきて、以前のようなこともなくなってきている。夫が仕事ばかりで家のことは何もしてくれないと嘆く女性も多いが、仕事ばかりの夫の辛さもわかるし、放って置かれる妻の辛さもわかる。私の所を受診する男性は、会社で過重なノルマやプレッシャーに追われ、長時間のサービス残業を強いられ、身も心も限界に達している人が多い。昔は亭主関白で、夫が稼いできている分、妻は夫に尽くすみたいなことはあったが、今は妻の権利意識も強くなっている。男女同権の意識は強くなりながら、結婚したら男が働いて生活費を稼ぐのは当たり前と考える女性は多い。女性自身も結婚しても働きたいという人から専業主婦を目指す人まで、温度差が大きい。「こんなに苦労して家族のために働いているのに」という夫の言い分と「仕事ばかりで家族のことをかまってくれない」という妻の言い分は、男女の違いをよく言い表しているような気がする。「どうして私ばかりが家事や育児をやらなければいけないの」という女性が増えてきたように、いずれは「どうしておればかりが家族のために朝から晩まで働かなければならないか」という男性も増えてくるだろう。働き続けたくても、まだ会社は男性中心で、小さな頃から生涯働き続けるようには訓練されてこなかったと言う女性もいるかもしれない。男女の役割も含めて、今後大きく変わってくるのは確かである。特に専業主婦の人は夫の給料が毎月銀行に振り込まれてくると、それこそ水や空気のようにただでいつもそこにあるような錯覚に陥ってしまう。子どもたちも同じである。父親が苦労して稼いできたお金は水や空気のように意識されることなく、おいしい食べ物や新しい服に使われる。もちろん、夫が生活費を稼いでくるから、好き勝手にしたらいいというわけではないが、この不況で夫の職場環境がますます厳しくなっていることは確かである。
平成18年1月24日(火)
忙しいという言葉は禁句であるが、それにしても忙しい。この日記も今日も朝6時から医院に出てきて書いている。1月の初めに、京都市から障害者自立支援法の移行に伴う通院医療公費負担の審査を依頼された。2月から1回3時間ぐらいで、400枚ぐらいの診断書の審査をするという。現在は京都市こころの健康増進センターで通院医療費公費負担や精神障害者保健福祉手帳の審査をしているが、以前は京都市から委託され、私を含め外部の医師4人でやっていた。現在は京都市精神保健福祉審議会委員をしているので、頼まれるとなかなか断りづらい。4月からの障害者自立支援法施行に伴い、わずかな期間に9千枚ぐらいの審査をしなければならず、内部の医師だけでは無理である。私よりも忙しそうな先生はどうするのかと聞いてみたが、手伝うというので、私も手伝わざるをえない。
早速2月、3月の予定表を見たが、月、水、金は4時から外来があるので、こころの健康増進センターまで行って、3時間仕事をして帰ってくるのは無理である。土日は休みとなっているので、後は火曜と木曜である。木曜日も第5週を除いて、隔週で特別養護老人ホームと介護認定の審査がある。唯一時間があるのは、火曜日の午後であるが、時々ヘルパー養成講座の講義がはいったりする。今回は歯科の予約や介護認定の講習会もはいっている。最近は日曜日も医院に出てきて、診断書を含め1日中雑用をしているので、あまりゆっくりとできていない。仕方ないので、週1回火曜か木曜に一仕事が終わってから、出かけることにした。今年は1月3日に京都市の休日待機番もやったので、年をとってから、ぜひとも京都市長から精神保健福祉活動に貢献したということで何か表彰状を受けたい。
先週は受付けの子が家庭の事情で急にやめることになった。やめる時には1ヶ月前に知らせるように契約書に書いていたが、やむをえない事情なので仕方ない。求人をしなければならないが、とりあえずハローワークに行ってきた。以前に行った時には、正職員の求人は反応がよかったが、パートの募集はあまりよくなかった。事業所の登録用紙が変更になっており、また書き直さなければならない。ついでに、受付けの子の離職届けを出しに行ったら、ややこしいことになっていた。雇用保険がパートから正職員になった場合は、変更届けを出さないといけないらしい。1年以上は働くことはできそうもないので、失業保険をもらうことになるが、この手続きが面倒である。最初はパートで雇い、次に正職員にして、またパートに戻っているので、事業主の離職証明書を何通も書きそろえなければならない。賃金支払額を毎月書いて、タイムカードも用意しなければならない。ふだんはパソコンで月々の給与明細を作って渡しているので、賃金台帳は作っていなかった。タイムカードもその月ごとにいろいろな所に放り込んでいるので、探し出すのが大変である。賃金台帳についてはそろそろ税務調査もありそうなので、いずれにしても用意しておかなければならなかった。きのうも朝6時から医院に出て、この賃金台帳を作っていたが、平成13年度から各月ごとの給与明細をひとつひとつパソコンで開いて書き込んでいき、けっこう手間暇がかかった。ここからまた必要事項を離職証明に書き込んでいかなければならないので、まだまだ時間がかかりそうである。とりあえずはリビングに求人広告を出すことにした。どこに連絡したらいいのかわからず、家でリビングを探したが見つからず、やっと医院で探し出し、なんとか手続きは取った。
日曜日は京都市と京都府の自立支援医療事務の説明会があった。3月までに現在公費負担を受けている人のみなし認定用の診断書を新たに書かなければならない。自分の医院の診断書さえ間に合うかどうかわからないのに、他人の診断書を毎週3時間も審査している暇があるのか心配になってきた。私の患者さんで、経済的に苦しい生活をしていて、最近3千万円ほど遺産がはいった人がいる。お金がはいってきたらうつ病が治るかと思ったら、少しも治らないと嘆いていた。私も開業してお金ははいってきているが、ちょっともゆとりのある生活に改善していないと嘆いている。
平成18年1月17日(火)
実家から帰ってきて、早速池田の妹に連絡してみた。自分の娘と正月明けに東欧を周っていて、ハードスケジュールで疲れたと言っていた。妹は両親をこちらに呼ぶのはもう少し先にと考えていたので、母親と話をしに週末に実家に帰って行った。自分の所で引き取ると言っていたが、母親はまだ若いので、近くで別居するのがいいような気がする。私も両親に会いに行く時に、いつでも好きな時に行ける。家内もいちいち妹に断らず、気軽に訪れることができる。
先週の土曜日から風邪を引いていて、なかなか治らず、診察をしていてもしんどい。私の医院は予約制と当日受付けの2本立てで診察しているが、最近は予約しない患者さんが増えてきて、日によって極端に多い日と少ない日がある。成人の日の翌日は午前診だけであったが、患者さんが50人も来て疲れてしまった。そうかと思うと、20人を切る日もあり、もう少し患者さんを平均的に振り分けなければいけない。日曜日は、午後から日本精神神経学会の指導医のための講習会があった。朝から晩まであるかと思っていたら、1時間半ぐらいの講習で拍子抜けであった。前にも書いたが、精神科関係は厚労省が与える精神保健指定医の資格があるので、これまで学会の認定医の資格はなかった。最近他の学会と同じように、認定医と指導医をつくることになった。過渡的措置で、ベテランの先生は簡単に誰でも資格は取れるが、研修指定病院に勤めている時だけ、指導医と名乗ることができ、研修指定病院を離れると、指導医ではなくなるという。他の学会では、指導医を取るとずっと指導医を名乗ることができるので、わかりづらい制度である。私のような診療所でも研修指定病院になれるので、指導医を取ると、研修生がいなくても、指導医を名乗ることができる。将来のことを考え、次の募集の時に研修指定病院に申請しようと思う。
日曜日の夕方は恒例の東山医師会の新年会があった。今年は会長も変わったこともあり、祇園の芸妓の踊りはなかった。かわりに、弦楽四重奏を聴いた。まだ若い女性演奏家の集まりで、ノースリーブでかなり薄着である。私はクラシックはほとんど聞かないので、コンサートにも行ったことはないが、少し挑発的な服装に見えた。ヴィヴァルディやモーツァルトの曲に混じって、ビートルズの曲もあった。「ノルウェーの森」も「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」も原曲の方がいいような気がした。高校の修学旅行は京都に来たが、当時泊まった旅館にジュークボックスが置いてあり、流行っていた曲がビートルズの「レット・イト・ビー」であった。私はこの「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」の方が好きで、今でも旅先のホテルなどでこの曲のメロディが突然頭の中に湧き起こったりする。演奏会が終わると、4人は拍手に送られて、会場を後にしたが、1人の演奏家が大胆なスリット入りのドレスを着ていた。演奏といい服装といい、全体の雰囲気が倖田來未なんかよりセクシーに感じられた。もうちょっと前の席で演奏を聞いたらよかったと思った。
演奏会が終わると、食事である。こういう所の食事はいつもワン・パターンで、ステーキの味付けが私好みでなかった。最近の好みは和食か焼肉かで、洋風の味付けはあまりおいしいと思わなくなってきた。まだ、中華料理の方がましである。開業していて、ふだん話す機会のない2人の先生と話をした。2人とも出身地は富山と金沢である。大学は京都でも、医学部の場合は私のように地方から出てきている人も多い。それぞれ年老いた親が田舎におり、それなりに心配していた。
きのうは早速妹の所に電話してみたが、母親は思ったより元気で、もうしばらく田舎にいるという。私にいろいろ言っていたことと妹に話していることが随分と違っている。私は滅多に田舎には帰らず、妹は子どもを連れてしょっちゅう帰っているが、母親は妹に対して遠慮しているのかとも思った。いずれにしても、これから本格的な雪のシーズンで、このまますんなりとおさまりそうもない。近い将来、両親を大阪か京都に呼ぶことを本格的に考えていかなければならない。
追記:連休で田舎で撮ってきた写真を、もんもん写真館の「日本 故郷」に更新しました。
平成18年1月10日(火)
土曜日から成人の日のきのうまで、1人で実家に帰っていた。娘はクラブで朝から晩まで練習で、息子は2日連続でサッカーの試合である。長野県北部は数十年来の大雪で、車で帰るのはあきらめ、JRを使った。新幹線で名古屋まで行き、名古屋から特急で長野まで行き、後は飯山線に乗り換え、目的地まで行く。電車を使って帰るのは本当に久しぶりであった。特急は奮発してグリーンにしたが、行く時にはガラガラであった。昔と比べスキー人口が減ったのと、今はみんなスキーバスを使うのか、スキー客はほとんど見かけなかった。時間通りに帰れるか心配したが、新幹線が数分遅れた程度で、無事家にたどり着いた。
特急の中は居心地がよく、ビールやラム酒を飲み、気持ちよく過ごした。ソニーのPSPにTV番組や映画を入れて行ったので、退屈しなかった。これから実家に帰る時には、車はやめてJRにしようと思った。野沢温泉や志賀高原に行く時には、実家の車を借りたらいい。京都の家から実家まで400km
ちょっとであるが、これまでの車での最高記録はぴったり4時間である。私は飛ばし屋なので、娘も怖がって、私に対する反発の一因にもなっていたかもしれない。最近は年を取ったせいか、のんびり走るようにしている。車で2時間以上運転するのも段々と面倒くさくなってきている。
京都駅を2時前に出て、家には7時前に着いた。飯山線を降りたら、駅は雪の壁である。自宅まで歩いて10分もかからないが、母親が車で迎えに来てくれた。自宅まではスプリンクラーが道路に設備され、なんとか車で走ることができた。駐車場も雪の山で、車を停める場所を確保するのも大変である。家に着くと、父親が居間に座っていた。最近はすっかり呆けてしまって、少し前のことも覚えておらず、母親は車の中でぼやきっぱなしである。前日の京都新聞の夕刊に市内で雪で家が押しつぶされたと記事が載っていたので、心配であった。自宅の屋根の上は灯油で温水を流して雪を溶かす装置が取り付けてあった。ふだんの年ならこれで間に合うが、今年は雪が多く、毎朝屋根に上って雪を取り除かないと間に合わないという。風が吹いて、雪が屋根の一方に寄って積もってしまう。両隣は空き家で、今にもつぶれそうなほど雪が積もっている。雪が多すぎて、捨てるところもないという。今は道路に捨てるのは禁じられ、ダンプカーで千曲川の土手に捨てに行くが、どこも予約でいっぱいで、お金もかかる。この日はそのまま寝たが、夜が寒く、布団を3枚重ねてもなかなか寝つかれなかった。
翌日朝刊を見ると、屋根の雪下ろしに自衛隊の出動を頼んだことが載っていた。私の自宅は市内の中心部にあるが、高齢化で商店街は歯抜けのように閉じられ、今は郊外の大型店に客を奪われている。幹線道路から少し離れると、道路は除雪できておらず、1人暮らしのお年寄りが雪に閉じ込められている。私の同級生でも、市内に住んでいる者はほとんどいない。母親は朝早くから雪の中を屋根に上って雪を下ろしている。私は車を借りて、お湯に入りに野沢温泉にでも行こうかと思ったが、無理だとすぐわかった。千曲川までデジカメを持って写真を取りに行ったが、あちこちの駐車場で車が雪に埋もれている。雪の壁で川を見ることもできない。雪も降りやまず、寒くて途中で帰って来た。
昼食後、比較的近い戸狩の温泉まで母親が運転して父親と3人で行くことになった。市内から出るとどこも雪の山である。京都でも、東山区ではそれほど雪が降っていなくても、北区で大雪の時があるが、その比ではない。段々と吹雪のように雪が降ってきて、先が全く見えない。道路の両側は雪の壁で、道路も真っ白に雪が積もり、前から雪が吹きつけ、すべて真っ白でどこがどうなのかさっぱりわからない。車から降りると、かろうじて道路が区別できるが、車の中からは全くわからない。戸狩温泉は幹線道路から少し外れているので、通る車もほとんどない。目印となる看板なども雪に埋もれ、どこをどう曲がっていくのか、母親もうろ覚えである。途中、人に道を聞くが、年齢の割りに耳が遠くなり、次の信号で右に曲がると聞いても、おかまいなしでまっすぐ走る。道路も対向車とすれ違うのがやっとで、なかなかUターンできない。途中であきらめて、また自宅に引き返すことになったが、まったく先が見えない。母親はそれでもおかまいなしで運転している。助手席に座っている父親が呆けているわりにはいろいろ注意する。私は後部席に座っていたが、本当に真っ白で何も見えない。どこまで母親に見えているのかわからず、私もこわくなって注意したが、案の定右側の雪の壁に車をぶつけて止まった。外に出てみると、人家も見えない山道で、これから進む道が真っ白に雪が積もり、本当に心細くなった。他の車の後をついて何とか家にたどり着いたが、私1人で運転していたら、それこそ途中で遭難していただろう。
翌日はいい天気で青空が出ていた。市内を少し歩いてみたが、1つ通りが違うと、道が雪に埋もれていて、なかなか帰ってくることができなかった。翌日はまた母親に車で駅まで送ってもらった。車はきのうぶつけた所が大きくへこんでいた。池田の妹は父親が亡くなってから母親を自分が引き取ると言っていたが、母親は早く出たがっていた。妹は弁護士の夫に自分の息子を預けたまま、今は自分の娘とヨーロッパに旅行している。昔は小さな子どもを2人預けて、1人でエジプトにも行っている。また帰ってから、妹と今後のことを相談しなければならない。帰りに時間があったので、善光寺にお参りに行った。こんな時期でも初詣に大勢の人が来ていた。五穀豊穣と家族の幸せを祈願し、京都に帰って来た。
平成18年1月3日(火)
年末年始は相変わらず1人で海外旅行に行っていた。家内と子どもはディズニーランドでカウント・ダウンである。まだ先であるが、息子の中学受験が終わったら、家族みんなで海外でゆっくり過ごしたい。年末にソニーの携帯ゲーム機であるPSPを買った。ゲームはやらないが、息子のゲームソフトを一緒に買いに行った時に、画像の美しさとその精悍な形に魅惑された。買うかどうかずっと迷っていたが、ソニーからTV番組などを簡単にこのPSPに転送できるDVDレコーダーが発売されたので、一緒に買った。パソコンからも動画を転送できるが、私のパソコンはTVチューナーはついていないし、映画ソフトを取り込むのも面倒くさそうである。たまたまパソコン雑誌を読んでいたら、転送するのにもけっこう時間がかかっていた。買うからには、いつでも簡単に利用できないと宝の持ちぐされである。音楽から写真、インターネットと楽しめるが、パソコンのデータも持ち出せるのは便利である。PDAはシャープのザウルスからソニーのクリエまで買ったが、あまり利用することもなく手放してしまった。予定表はやはり紙の手帳が便利である。
さて、旅行前にこのPSPに借りてきたDVD映画とTV番組をコピーした。コピーガード付きのDVD映画も画像安定装置を通したら、簡単にコピーできる。DVDレコーダーに録画したら、USBでPSPにつないで、2時間番組でも転送は3〜4分である。それこそ、おでかけ録画である。こんな物を買ってしまって、電車通勤もしておらず、旅行も年に何回も行けないのに、どこで見るのかということになるが、大阪にはよく出かけるので、電車の中で利用しようと思う。私は映画やTV番組をPSPで持ち出すほど映像マニアではないが、利用目的を明確にしたらいい。単なる娯楽に使うのはもったいないので、語学の勉強が向いていると思う。4月からNHKの教育TVで中国語講座などが新たに始まるが、このDVDレコーダーに番組予約して、後は出かける時にPSPをつないで転送したらいい。30分番組なら1分ちょっともかからない。忙しいとCNNのニュースも見ている暇もないので、当面はワールド・ニュースを入れて、毎日利用しようと思う。たった30分であるが、継続は力なりである。電車の中で困るのは、騒音がうるさくて音量をかなり上げないと、なかなか聞こえないことである。iPodなどに好きな曲を入れて、電車の中で聞いている人をたくさん見かけるが、こんなにうるさかったら音楽を楽しむどころでないと思う。耳にも相当負担がかかる。飛行機の中でも同じである。ノイズキャンセラー付きのヘッドフォンはボーズの製品が有名であるが、大きくて重すぎて持ち運びには不便である。去年の夏にセンハイザーのヘッドフォンを買ったが、小さくて携帯に便利で気に入っている。
結局旅行ではPSPは見ている暇があまりなかった。行きの飛行機の中で本を読んでうとうとしてしまい、帰りの飛行機では前の座席に液晶TVがついており、3本近く新作の映画を見てしまった。こういう時にはノイズキャンセラー付きのヘッドフォンが威力を発揮する。ホテルで途中まで見ていた「ミリオンダラー・ベイビー」をきのうは自宅の寝床で最後まで見た。こんな小さな画面で1本の映画を見たのは初めてである。本当にいい映画だったので、もっと大画面で楽しんだらよかったと思った。DVDレコーダーにはそのまま残っているが、これから2時間かけてまた見直す暇はなさそうである。
最後に今年の新たな目標である。まず始めに、自分の身体の健康管理である。体重がどんどん増えてしまって、最低5kgは落とさないといけない。1日中診察室で座りっぱなしで、昼も朝買ってきたコンビニの弁当を食べているので、ほとんど身体を動かしていない。運動とダイエットを日常生活にうまいこと組み込もうと思う。それと、開業以来胃カメラなどの検査は何もしていないので、今年は1日休診にしても必ず人間ドックにはいらなければならない。もっと大きな目標もあるが、毎年できていないので、ここではなかなか公表できない。でも、今年こそ本気でチャレンジしようと思う。
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